stage.15 ◆ 蛇 龍 転 生 ―じゃりゅうてんせい―

 叩きつけるように乱暴に問題集を閉じた慎太郎は、ガタンと机から立ち上って茜の顔をねめつける。憤りで歪んだ顔に夕日が当たり、さらに赤く染めあげていた。


「え……?」


 悲しいとかムカつくとかいう気持ちを感じる前に、茜は困惑する。声を荒げている慎太郎を見るのは初めてだったのだ。静まり返った教室は、時間の感覚がわからなくなる。肩を上下に揺らして釣り上がった瞳を向ける慎太郎と見つめあい、どれほど経ったのだろうか。扉がカラリと控えめに開いて、天然パーマのボブカットが姿を現した。


「ど、どうか、したの?」

「ゆり……?」


 クラスメイトの里中ゆりが普段から八の字にしている眉をさらに寄せて、入ってくるのを見て、茜は呆気にとられる。そんなおっとりとした雰囲気は周囲を癒し、好意を寄せる男子も少なくなかった。


「し、慎太郎くんと……約束してて……一緒に帰ろうって」


「は? なにそれ……」


 状況がいつまでも呑み込めない茜をよそに、慎太郎は勉強道具をカバンに詰め込むと、ゆりに向かって歩いていく。彼女のすぐ隣まで近づくと、その手をつかんだ。


「オレ、ゆりと付き合ってるから」


 焚貝ふんがい茜は、そのとき何を思ったのか覚えていない。ただ、牡蠣でお腹を下したときの比じゃない寒気が走った感覚だけは鮮明に残っていた。


「じゃ……。ゆり、いこ」

「え、え? でも、茜ちゃん……」

「いいよ、それより物理のP.247の問題がわからなくてさ」


 慎太郎がゆりの手を引き、教室から出ていく。茜の目は零れ落ちそうなほど見開かれていたが、追うこともできずただ突っ立っていた。廊下からは、ゆりと話す慎太郎の声が聞こえてくる。その声音は茜の聞いたこともない、知らない男のものだった。瞳からこぼれた雫が頬に線を残す。やがて、二人の声も聞こえなくなり、夕焼けの紅い教室には茜だけが残されていた。







「それから、慎太郎からバルバロが生まれるのを見て……」


 茜はベッドに置いた拳が震えて握りしめる。ふと、手の甲に、ぽつぽつと液体が滴っていることに気付き顔を上げた。そして飛び込んできた光景にぎょっと目を見開く。


「そんなごとがあっだなんでぇ~~っ」


 体が思うように動かない青空は両目から滝の様な涙を垂れ流していたのだ。


「な、なんでアオさんがそんなに泣いてるんですかっ?」


「だっでぇ~……ひどずぎるよぉ~っ……」


 茜の話は、青空にとって他人事とは思えず、フラれてもなお慎太郎のために戦い続ける健気な姿に心が打たれたのである。


「あがねちゃんはいいごだなあ~……」


 茜はどうしたらいいのかわからず、とりあえずスカートからハンカチを取り出して青空の目元をそっと拭った。その様子をとぐろを巻いたリンドゥが、呆れたように見上げる。


――やれやれ、それはキミも同じじゃないか。青空。


「な、なにがぁぁ~っ」


――もう忘れたのかい? 別の少女とつがいになった本郷大地を守るために、自分を犠牲にして戦っていたじゃないか。


「ね~、その言い方はないんじゃない?」


 茜に鋭い視線を向けられてリンドゥは、バツが悪そうに首を逸らした。


――まあ、だからこそ適格者足りえるんだけど……。


「てぎ、がぐしゃ~?」


 白蛇は、こくりと頷くと、かしこまったように翼を広げて飛び立つ。妙に神秘的な雰囲気に青空は息をのんだ。


――ふむ、いい機会だから説明しておこう。いいかい? 失恋というのはね、人間に大きな負の感情を齎すんだ。


「そんなの言われなくてもわかってるよ! 傷を抉らないで!!」


――そう、その心に重くのしかかる感情が核になるんだ。失恋による感傷は最もエネルギー変換効率がいいのさ。


 白蛇は小さな翼をはためかせ、じぃっと瞳を見つめている。青空は、またしても言いようのない気味の悪さを覚えた。


――そして、そんな深い悲しみを背負いながらも、他者のために行動できる人間がアイゼツティアの力を引き出せるのさ。


「なにそれ、趣味わるぅ……」


――まあ否定はしない……キミたちの心を利用しているようなものだ。ヴルゥムを倒すためにね。


「それが、あたしたちの最終目的です」


「ふーん……。でも、三人がかりでも倒せなかったよ?」


――うん、ヴルゥムはどんどん力をつけている。だから、仲間を集めるんだ。力を束ねれば、きっと奴にも刃が届く……。


 リンドゥは青空の前に首を伸ばして、なにかを吐き出す。淡く黄色に光る蛇の指輪、ティアリングだ。さらに、その隣に水色の指輪を置く。


「あと三人だよね~?」


――うん、ああいや。青空が入ったから二人か。


 スカイ、トワイライト、バジル、そしてまだ見ぬ二人のアイゼツティア。五人の戦士たちには辛い運命が待ち受けているのだろうか。それはそれとして、青空は別のことで眉間にしわをつくった。


「はぁ~、それって失恋した子を探すってことでしょ? なんかやだなぁ……」


「そ~ですかぁ? あたしは恋バナができるかもってちょっと嬉しいですよ。アオさんとしたみたいに」


 手を握って、ほほ笑む少女に釣られて、青空の表情もほぐれていく。


「あかねちゃん……」


――だけど、そのまえに……キミはしっかり体を治すんだね。


「え?」


 茜は手を握ったまま、青空をゆっくりと仰向けに寝かせた。その瞳は熱っぽく輝いている。


「え?? あかねちゃん???」


「だいじょ~ぶですよ~? あたしが~、ちゃぁんとお世話しますからぁ」


 茜がベッドのパネルを操作すると、下からチューブのようなものが飛び出した。先端が蛇の口のように別れたそれを掴み、青空に近づけていく。


「あ、あの……?」


「あはっ♡ いたくないですよぉ~♡」


「ひぃっ……!?」




♡ ♥ ♡ ♥




 田園地帯の地下で少女が絶叫するのと時を同じくして、どこかの地下では培養槽に入れられた人間を、バルバロが愛おしそうな瞳で見ていた。


「パパ……ママ……」


 緑色の液体の中で口に管を詰め込まれ、穏やかな表情で眠り続ける男女。それは紛れもなく、紅慎太郎と里中ゆりであった。装置からはケーブルが伸び、一層大きなカプセルへと繋がっている。その中央には、脈打つ漆黒の卵が安置されていた。


「ボスを助けてくれル?」



■蛇龍転生■



 バルバロが赤いボタンを押した瞬間、二人の顔が苦悶に歪む。ゴウンゴウンと騒々しい音を立ててケーブルが蠕動した。なにがしかのエネルギーをヴルゥムへと送っているのだろう。


「はやク。起きてちょうだイ」


 バルバロが触手を蠢かせ呟いたとき、真っ黒な殻にピキリとヒビが入った。

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