stage.7 「あは♡ ほんとに倒しちゃったんだぁ~♡ すっごぉ~い♡」

「メスガキの香り!?」


 真っ先に反応したのは、漫画研究会部長3年の西城さいじょう丈二じょうじだった。彼は期待に、彼以外の生徒たちは不安げに周囲を見回す。だが、校庭のどこにもそれらしい人影はない。


「あそこですわ!」


 ヘレナは大声をあげて、勢いよく西側の空にそびえる鐘塔しょうとうを指差した。大地と青空、生徒全員の視線が一点に集まる。そこには、夕陽を背に浴びて、小柄な少女が真っ赤なサイドテールをなびかせていた。


「だ、だれですの!?」


「はじめましてぇ~♡ トワイライトで~すっ♡」


 自己紹介もそこそこに、少女は赤いブーツ状の装甲を踏み出して、跳躍する。腰から伸びる尖った貝殻のような腰当てをひらめかせ、騒然とする人々の頭上を軽やかに舞う。スクール水着のようなスーツを纏った可憐な姿に、人々は……というより、西城丈二は目を奪われた。


「ふ、2人目のスク水天使だとぉぉ!!??……なっ!?」


 踏みつけるように亞獣の上に着地した少女の胸部を見て、西城は驚愕した。少女は、首にセーラー服の襟をつけており、張りのある美しい谷間にネクタイが食い込んでいる。つまり、スクール水着の腰から上が前後反転したように、本来背中にあるべきY字の紐が前に来ているのである。さらけ出された双丘は楕円型で平たい貝殻のようなパーツで、慎ましやかにてっぺんを隠しているのみだった。


「なっ……なんだそのセーラースク水はぁぁぁああ!!??」


「あはっ♡ トワって呼んでね♡」


 深紅の少女、トワは怪物の死体の上で小悪魔のように笑った。


「ふぉぉおおおおおお!! トワたそぉぉぉおおおおお!!!!」


「おまえ……そろそろ、捕まるぞ……」


 興奮して眼鏡を曇らせる西城の頬を、クラスメートで友人の呂井ろいヒロミが、顔を引くつかせて引っぱたいた。


「いたひっ!」


 そんなことには見向きもせず、トワは亞獣の顔を覗き込む。


「えいっ♡」


 少女は、ぐりぐりと亞獣の腹に足を擦り付けて活動が停止していることを確かめていた。


「あは♡ ほんとに倒しちゃったんだぁ~♡ すっごぉ~い♡」


 皮肉にも、先ほどまで青空を苦しめていた醜悪な怪物は、彼女よりも小さな少女に足蹴にされたのである。


「き、きみは……何者なんだ?」


 亞獣を見下ろし、クスクスと笑う少女に、大地は問い掛けた。庇うように生徒たちから一歩踏み出し、警戒心で満たされた瞳でトワを注意深く見る。


「こっわぁ~い♡ だから言ったじゃないですかぁ~? ティアトワイライト……その子と同じぃ♡ アイゼツティアで~す♡」


 青空を指さしたトワは、ひとしきり笑うと、両手を広げてぴょんっと、亞獣から飛び降りた。可愛らしく着地した少女は目を大きく開いて、担架の上で困惑し目をしばたたかせている青空を見つめる。


「アイゼツティア……? なんだい、それは?」


「えっとねぇ~? 亞獣のおそぉじするの♡」


 少女は後ろに手を組むと前かがみになり、いたずらっぽく笑った。セーラー服のネクタイと発展途上の胸が揺れて、一部の男子生徒が頬を赤らめる。だが、大地は片方の眉を上げて質問を続けた。


「亞獣、その怪物のことかい? でもそんな話、初めて……」


「だってぇ~♡ トワたちがこ~っそり♡ 倒してたからっ♡」


 トワは口元に手を添えてクスクスと笑うと、亞獣の近くで眠っているカップルに近づく。


「亞獣はねぇ……自分を生んだ人間を、どこかに連れて行っちゃうの……」


 少女は眉をほんの少し下げると、カップルの脇にしゃがみ、そっと頭を撫でた。


「だから……目撃者がいなかったと……?」


「そぉ~だよぉ……だからぁ♡ 今日みたいに暴れたのは……初めて♡」


 少女はおもむろに立ち上がると、大地に向かって振り返り、ゆっくりと近づいてくる。


「どぉしてだと思う?」


 こしょこしょと囁き、異様な雰囲気を纏って歩く少女に、その場の全員が心臓を握りつぶされる錯覚を覚えた。大地は右腕を生徒たちにかざして真っ赤な少女を睨みつける。


「あは♡ だいじょぉ~ぶっ♡ トワは……はわわっ?」


 薄ら笑いを浮かべた少女は、亞獣の尻尾につまずき、すてーんと顔から転倒した。


「いたた~……」


 のっそりと起き上がったトワは、女の子座りで頭をさすっている。そのあまりにも素朴で可愛らしい姿に、一同は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。


「萌え!!」


 ただ一人、西城丈二を除いて……。しかし、声こそ発しなかったものの、彼以外の全員が同じことを考えていた。


――トワちゃん、根はいい子なんだろうなぁ~……。


「はっ……!」


 トワは生暖かい視線で見られていることに気づくと、素早く立ち上がり、青空に向かって歩き始める。


「と・に・か・く~! この子は、トワが連れて行くからぁ~」


「ちょっと! その子は大けがを負って――」


 大地が目を見開き、慌てて右腕をのばしたとき――


「あぁ、勿体ない」


 ドブから響くような、どす黒い声が全員の体を凍り付かせた。トワが青ざめた顔で、ゆっくりと振り返り、ぺたんと尻もちをついた。


「あいつ……一年前の……」


「なに……この声……吐き気が……」


 青空は担架の上で、不快感に顔をしかめて、ただ見ていることしかできなかった。


「だ、だいち……なん、ですの……あれ?」


 ヘレナは大地の体にしがみつき、震える腕で亞獣の腹部を指し示す。日が沈み暗くなった空に紛れ、真っ黒で長く巨大な何かが蠢いていた。


蛆虫うじむし……いや、蛇……か……?」


 明らかに異質な存在に、大地すら目から光を失いかけている。1mほどのそれは、下顎が欠けた醜い蛇の形をしていた。


「せっかくここまで育ったのに……まあ、いい。試してみるとしよう」


 下顎のない蛇は何ごとかを呟き、頭を大きく反らせる。


「さあ、もう一度立ち上がれ」


 黒蛇は勢いよく上顎を振り下ろし、体液が滴る牙を亞獣の首筋に突き立てた。


■Re:アライズ■


 ドクン、と鼓動が響き爬虫類の瞳がギョロリと開かれる。突如、亞獣の腕がビクッと跳ね上がり、生徒たちは凍りついた。


「ずがああああああああああああああああああああ!!!!!!!」


 鼓膜を突き破るほどの激しい咆哮を上げて、亞獣が上体を起こす。


「ほお……成功だな」


 呆然とする人々の前に、再び、亞獣が立ちはだかる。いや、それだけでない……。


「え、うそうそ……? トワ、こんなの知らない……」


 完全に血の気を失ったトワの顔に、屹立した獣が影を落とした。巨大化を続けた亞獣の全高は校舎すら凌駕し、まさに竜と呼ぶに相応しい姿に変貌している。


「そ……んな……」


 青空は、自分の死闘が無に帰した無力感と、絶望感で涙した。彼女を嘲笑うように、漲る力に全身を震わせる暴竜の肩で、黒い影が揺らめく。


「よし……すべて壊せ」


 漆黒の蛇は、抑揚のない声で冷酷に命じた。

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