stage.6 「大っ変っですわぁぁああああああああああああああああああ!!!!」


「ス……スカぁ……ト……」


 顎に強烈な一発をお見舞いされた亞獣は、泡を吹き、ゆっくりと後ろに倒れていく。暴虐の限りを尽くした巨体は、ズズン……と大地を揺るがし、地に伏した。青空は撃ちだした右腕をかかげたまま硬直している。まるで勝利のガッツポーズだが、彼女の全身は筋繊維がズタズタに千切れ、息をするだけで精一杯だった。


――急速充填した【ネガティヴィウム負の感情】をノータイムで全身に巡らせて身体能力を極限以上に高めるなんて……いきなり無茶しすぎだよ。


「なに……それ……」


――説明不足は謝るよ…………でも、勝てたじゃないか。


「勝つって……そういうことじゃ……な……い……」


 決壊は突然訪れた。がくんと一気に膝が曲がり、青空は泥だまりに落下していく。彼女の体にはこれっぽっちも力は残っていなかった。


「おっと……」


 ただ、崩れ落ちていく彼女の体を暖かく支えるものがあった。後ろから回された腕が、胸の下を抱きしめる。頭の後ろで、とくとく心臓の音がしていた。


「悪いな、その、女の子に……左の骨が折れてるから、こうするしかなかった……」


 耳元で優しく、照れくさそうに囁いた声は、青空の中に溜まっていた感情を容易く吐き出させてしまう。


「あ……ぁあ……ぁぁぁあぁっ」


 瞳から熱い涙がぽろぽろこぼれる。波蛇青空は本郷大地の腕の中で子どものように泣きじゃくった。


――だめ……大地はヘレナを選んだのに……


「おいおい……ヒーローさんも泣き虫なんだな」


 先ほどまで、修羅のような雰囲気を纏って戦っていた少女。それが今では自分の胸で俯き、いじらしく泣く姿に、大地は頬を緩ませた。


――わたしは……告白することすらしなかったのに……


 そして、大地が知る由もないが…………


――わたし、こんなに……ドキドキしてる。


 波蛇青空は、涙と泥と血でぐしゃぐしゃになった顔を拭うことも忘れて、高鳴る胸を必死で抑えていた。


――好き……好きだよっ……。


 青空は、手放したくても手放せない、ほろ苦い気持ちに包み込まれていた。


「はは……ほんとそっくり……いつっ!?」


 突然、大地の腕の力が強くなり、ぎゅぅっと密着するように抱き寄せられ、青空の心臓はさらに騒ぎ出す。


――大地の腕……意外と、ごつごつしてて男の人って感じする……。


 などと、青空はささやかな優越感に浸っていたが、すぐに大地が大怪我を負っている事実を思い出し、呂律の周らない舌を働かせた。


「あ、あ……! はなして……もう……だいじょうぶ」


「あはは……心配すんなって、これくらい保健室いけば……」


「うそつき……そんなわけ……ないよ……」


 戦争がなくなり医療も革新的に進歩した。だが、最新技術を持ってしても、大地の怪我は少なく見積もって完治に一週間は必要だろう。しかし、彼は目の前の少女をこれ以上泥で汚させない一心で、やせ我慢を続けた。


「あと……きた……ないし」


「はぁ? 汚くなんかねえよ」


 大地は少し語気を強めて呟く。その言葉に、青空は瞼をぱあっと広げて瞳を輝かせた。心臓は既にショート寸前である。


――なんで、そんなこと、いうかなぁ……。もう、抑えられなくなっちゃうよ。


――いいんじゃない? 伝えるだけなら……。


 心の中の蛇が囁き、青空は言い訳を手に入れてしまった。彼女は、罪を犯す決意のため、深く息を吸い込んだ。はあ、とため息に紛らわせて口を開く。


「す――」


「「うおおおおおおおおおおおおお!!!!」」


 青空が次の句を継ごうとした瞬間、避難していた人々が校舎から飛び出し大歓声をあげた。生徒も教師も事務員も、あらゆる出口から一斉に駆けよってくる。


「あんたすげぇよ! あんなでかいやつ倒しちまいやがった!」

「最後のアッパー痺れたぜ!」

「ああ……天使たん……こんなに傷ついて」

「おまえは少し黙ってろ」

「いたひ!!」


 周りを取り囲み、次々と称賛していく人々に青空は呆気にとられた。


「あ……あの……」


「おぉい……担架ぁ持ってきたぞぉ……」

「おお、ナイス教頭!」

「運動部! 天使様をお運びしろ!」

「りょぉかい、しぃましたぁ!」

「だまれ漫研」

「いたひ!!」

「おら! 慎重に扱えよ!」

「「うすっ!!」」


 青空は瞬く間に、屈強な男子生徒の繊細な手つきで大地の腕から引き離され、神輿のように運ばれていく。彼女は目をテンにして、されるがままになる他なかった。


「ちょ……あの……」


「わーっしょい! わーっしょい!」


――うわぁぁぁぁぁぁぁ!! 全校生徒にこんな格好晒すなんてぇぇぇぇぇぇぇ!! 死ぬ! 軽く死ねるよ! いや、むしろ誰か一思いに……


――その心配はないよ。


「え……?」


「大っ変っですわぁぁああああああああああああああああああ!!!!」


 青空が野郎どもの上で顔から火を噴いていると、昇降口の扉を蹴っ飛ばし、顔面蒼白のヘレナが飛び出してきた。彼女は乱れた縦ロールをさらに振り乱し、陸上選手顔負けの全力疾走で駆けてくる。


「大地ぃぃぃいいいいいいいいい!!!!」


「いだだだだだっ!?」


 ヘレナは両手を広げて跳躍すると、大地をこれでもかと抱きしめた。予想外の追い打ちに、大地は苦悶の表情を浮かべる。


――ヘレナ……そうだよね。わたしより、大地の方が心配だよね。ううん、無事でよかった!


 波蛇青空は、再び走った胸の痛みから目を背けた。


――キミは本当にお人よしだね。


――うるさい


「大地! 青空が見つかりませんの!!」


――え?


「なんだって!? 礼拝堂は!?」


「勿論探しましたわ! ワタクシ、学校中を駆け回ってきたんですの!! なのに……!!」


 涙目で大地に縋りつくヘレナの言動に要領を得ず、青空は口を開こうとした。


――だめだよ。


――リンドゥ?


――正体は明かしちゃだめだ。変身前はただの人間だからね、狙われたら大変だろ? だから、ティアリングには認識阻害機能がついているんだよ。


――認識阻害……。じゃあ、あれは全部…………ううん、知ってた。大地はみんなに優しいから。


 青空は、自分を心配して狼狽える2人を見て、ほっとしたような、残念なような、よくわからないぐちゃぐちゃな気持ちを抱いた。


――こんなに心配してくれてるんだもん……これ以上はいらないよ……。


 青空は担架に乗せられ、うっすら寂しげな笑みを浮かべる。そのとき――


「あっれぇ~♡ もう終わっちゃったのぉ~♡ ざっこぉ~♡」


 夕闇に包まれた学院に、挑発的で、可愛らしい、アルトの声が響いた。

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