駅員と女(3)
今度の女はしっかりと厚着だった。セピア色のコートを身に纏って、マフラーを首に巻いている。手袋はしていなかったから、赤く冷たくなった手に息を吹きかけた。握力の失われた手で、女はビニール袋から缶ビールを出した。それを差し出して、ベンチの端に座る。
「ありがとー」
幽霊は缶ビールを受け取った。最近では殆ど見なくなったプルタブを開けて、喉に流し込む。
「おいしいね」
苦いビールの味は、幽霊の好みではない。だが、穏やかな表情だった。緑がかった舌が覗いて、てらりと光ったそれはすぐにしまわれた。
女は幽霊に寄り掛かった。そして静かに目を閉じる。相変わらず静かな駅は、二人の呼吸音と嚥下する音だけが響いた。
「地縛霊なの、君は」
「さあ。ただ、俺のみたいに駅に留まっている霊は多くいるみたいだけど」
「そうなんだ」
女はそれ以上聞かなかった。
冷たい風が二人を包んで抜けていく。傍から見たら恋人同士の距離感でいる二人が昨日出会ったなど、一体誰が信じようか。尤も、殆どの人間は幽霊が見えないのだから、女が変な態勢でいるという情報しか目に入ってこないが。
女は幽霊の頬を撫でた。頬の上の辺りから、顎まで。
「ここで死んだら、君と一緒にこの駅にいられるのかな。それとも何方かしか残れない?」
幽霊は女の死臭を肌に感じて、顔を顰めた。死は与えることも享受することも大差ないとでも言うように、女は不気味に笑った。
「知らないね。少なくとも今まで死んだ奴らは天に昇っていったよ。ていうか駅にいたいとか馬鹿でしょ。毎日毎日。生者の群れが蠢いて、黒い虫の集合体のみたいに規則正しい動きをすんの。誰とも話せなくて、ずっと一人。時たま各地を行き来してる霊に会って話を聞くだけ。何が楽しいの、そんなの」
「今よりはマシよ。何倍もね」
女は迷いもなく言った。そして飲み終わった缶を線路に投げ捨てる。
「おま、何を」
「まあ、今は辞めておくよ。その代わり、一週間に一回くらいは飲みに来てあげる」
「何で上から目線なんだよ」
「良いでしょ」
女は、幽霊が飲み終わった缶も線路に投げ捨てた。そしてビニール袋をポケットに仕舞う。
「じゃあ、また来週」
「またな」
女はまた改札を無断で通り抜け帰っていった。
見えない一日月は空を歩いていた。
***
この駅には噂があった。夜中に酒盛りをする女と男の噂。話によれば、人の頃にやっていた風習を、幽霊になっても続けているらしい。
駅員と女 堕なの。 @danano
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