駅員

 何があっても時は回る。珍しいことがあっても、嬉しいことがあっても、恐ろしいことがあっても。

 駅員、改め幽霊はベンチに座った。まだ陽の登らぬ内に走り始めた始発電車を横目に流す。始発電車に乗る人間はあまりいない。特に、この駅は普通や急行は止まるが特急や快特は止まらない、そこそこの駅だった。だから、起きていても面白いことは起こらず、時偶誰かが自殺未遂を起こそうとするぐらいのことしかない。何十年も駅にいればそれすらも慣れて日常の一部と化していた。

 幽霊は自分の掌を見た。実体化して、眼の前の草臥れたおじさんに触れてみる。おじさんは、それに何も反応せず次の電車を待っていた。疲労とストレスや重圧で感覚がイカれた人間は、何度か触れれば何も反応しなくなった。それに口の中で舌打ちをして実体化を解除する。

 実体化をするのも楽ではなかった。それには疲労感と生命が削れていく感覚を伴う。幽霊なのだから、生命などないはずだ。だが、どの幽霊も口々に実体化すると生命が削れている気がすると言った。実際、実体化を多く行った者ほど、早く天に召される傾向にあった。それに当てはめるのであれば、この幽霊はもういつ消えてもおかしくない程に実体化を使ってきていた。しかし、一向に消える気配がないというのが実情であった。

 幽霊は目を閉じた。実体化の反動は幽霊なのに睡眠を身体が欲する形で現れる。これは個体差があるようで、昔会った幽霊仲間が、この幽霊に教えたことだった。

 電車の音と人の出す騒音の中、幽霊の意識は落ちていく。そして次に目覚めたときは、また終電後の時間だった。

 幽霊は目を瞬かせる。辺りは静寂が包み、人の気配はない。だが、昨日の人の気配がまだ僅かに幽霊の心の中に残っていた。幽霊はまた舌打ちをして駅員のいる部屋にジャケットを取りに行った。幽霊に寒さなどない。だが、これは日課のように幽霊に染み付いて離れない癖であった。

 ジャケットを着て、ベンチに戻った。辺りに耳を澄ませるが、鼓膜を震わすのは静寂だけだった。

「つまらねえな。今日は」

 幽霊は人相の悪そうな顔をした。そしてベンチで行儀悪く寝転がる。

「そんな顔出来たんだ」

 人の足音が近づいてくる。改札の音はなかった。

「酒、飲めるか」

 昨日の女がコンビニのビニール袋を片手に侵入してきていた。

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