駅員と女(1)

「お客さん。もう終電ですよ」

 女が起きたのは、それから数時間後のことだった。駅員に身体を揺すられて目を覚ます。女は目を細めた。駅員の後ろで煌々と光る小さな明かりが、女の目を刺していた。

「誰?」

 女の声は透き通っていて綺麗だった。まるで美しいガラス細工を見たときのような驚きと、感動があった。たった一言が、耳の中でころころと鳴る。駅員も、目を見開いていた。

 二人の間を冷たい風が通り抜けて、女は身を縮こまらせた。当たり前だ。女の格好は白い薄手のワンピース一枚なのだから。

「これ、着てください」

 駅員は自分のジャケットを女の肩にかけた。その時にスライダーの先のキーホルダーが駅員の指に引っかかって血を流させた。血、なはずだ。例え駅員の指先から流れ出たものが翡翠色の液体だったとしても。

「綺麗……」

 女は目を瞬かせた。駅員の血は光を反射して、硝子の破片を包含しているような輝きだった。女はその血に触れた。左手人差し指で押さえて、その血を舌に乗せた。唾液と混ざって、赤い舌が透けて見える。

「美味しいですか」

「いんや不味い」

 女はしかめっ面をして、駅員は笑った。

 女は立ち上がった。そして駅員に手を差し出す。駅員は怪訝そうな顔をしながら、手を重ねた。

「綺麗な血ね。この世の皆んな翡翠色の血になればいいのに」

「確かに、そうかもしれないですね」

 女は駅員を抱き寄せ踊り始めた。三拍子のワルツ。新月で、スポットライトはない。静かな駅のホームでは、綺麗なBGMもない。それでも、そんなことはどうでも良いと言うように女はリードした。駅員も初めは戸惑っていたが、いくつかテンポを刻んだら慣れてきたのか、女に合わせて踊っていた。

 女は駅員の目を見つめた。何方も逸らさずに、時間だけが過ぎる。時間だけが二人を置いて進んでいく。

「貴方、なんで血が赤くないの」

 女は唐突に聞いた。

「幽霊ですから」

「え?」

 その言葉に二人は止まって、駅員は笑みを深めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る