第9話 世界は不可解なことに溢れている


 ――好き?


 もしも今、辞書が手元にあったら調べたいところだ。

 だが、辞書を見た所でカレンの質問には答えられないように思う。


 ん~~触れたいとか、抱きたいというのは性欲と結び付けてしまうと純粋に好きだとはいえない可能性がある。

 でも、どうしても手に入れたいという狂ったような感情は好きと言えるかもしれない。いや、それも執着という別の感情かもしれない。


 じゃあ、好きってなんだ?


「好きって……なんだろうな?」


 結局俺は、カレンの『好きとはどういうことなのか?』という問いに答えることができなかった。

 

「ふふふ、レンも知らないのね」


 てっきり呆れられると思ったが、意外にもカレンは笑った。もしかしたら俺はカレンの笑った顔を初めて見たかもしれない。


「うん……そうかも」


 映画やドラマで恋人を演じることもあるし、実際に撮影の時はかなり恋愛している状態に近いかもしれない。だが、撮影が終われば感情が見事に変化する。

 スタジオやテレビ局ですれ違えばあいさつもするし、『また共演したいね』と言葉を交わしその時は本気でそう思っている。

 だが、次の仕事になれば前のことはすっかり頭から消え去る。

 俺は中学3年でオーディションに合格して、高校でデビューしてからずっとそんな感じだ。

 まともな恋愛なんて経験がない。


「……レンにニコラス殿下が聖女を選ぶと聞いた時は、そんなことは有り得ないと思っていたわ」


 突然、カレンが俺を見ながら口を開いた。

 俺は真剣な顔でカレンを見つめた。カレンは、少し涙目になりながら話を続けた。


「でも……レンと出会って知ったの。私、ニコラス殿下にこんなに真剣な顔で話を聞いて貰ったことなんてない……レンのように、こんなに私のことを考えてくれる人に会ったことなかった。お母様は私が幼い頃に亡くなって、お父様もずっと隣国との戦に行っていたし、お兄様もずっとお忙しそうだったから」

 

 悪役令嬢の孤独を知った。

 これまでのカレンの価値観の中に、『ニコラス殿下の婚約者で無くなる』という選択肢は存在していなかった。それなのにいきなり全てを奪われ、まるで罠に嵌めるように悪事を働くように誘導されたカレンは、被害者なのかもれない。


「俺も出来る限り学院にいるからさ、何かあったらすぐに言ってよ。何ができるかわからないけど、一緒に考えよう」


 そしてカレンは小さく頷いたのだった。





 カレンとの貴族特訓が終わると、家令のセバスが俺に話かけてきた。


「レン様、ジーク様がお呼びです」

「あ、もう帰って来たんだ。了解、すぐに向かう」


 俺は急いでジークの執務室に向かった。


「入るよ~~」


 ノックをして返事があったので俺は扉を開けて中に入ると、知らない男性がソファーに座って微笑んでいた。かなりのいい身体だ。軍人だろうか?

 入ってよかったのだろうか、と思っているとジークが俺の近くまで歩いて来たかと思うと、俺のシャツのボタンを次々と無言で外した。


「ちょっと、え? 何してるの? 人前だけど!?」


 思わず叫ぶと、ソファーに座っていた男性が奇声を発しながら近付いて来た。


「んきゃ~~~!! 『人前だけど』ですって~~~!! ジークったら、二人の時は何してるのよ!!」


 あ、お姉様でしたか……。

 

 俺が男性を見ている間にジークに手早く上半身を脱がされてしまった。


「だから、どうして脱がせるの!?」


 俺がジークを睨むとジークが当たり前のように言った。


「脱がなければ、測れないだろう?」


 よくみると、男性は手にメジャーを持っていた。そして俺を見て男性はゴクリと息を飲んだ。


「やだ……顔は可愛い系なのに、脱いだらだ凄いだなんて……最高に私の好みよ。ジーク、この子と会わせてくれてありがとう、私この子すっごく好みだわ。ジークと別れたら私にちょうだい!!」


 男性がジリジリと近付いて来る。

 いや、採寸だよね!?


 本気で怯えているとジークが低い声で言った。


「早くしろ。それに、レンを手放すつもりはない」

 

 は?

 

 俺は思わずジークを見た。


 俺、いつジークのものになったんだけ?

 ああ、後見人だってこと?

 そうだよね?


「はいはい、そんな威嚇しないで!! はぁ~~じゃあ、採寸するから」


 俺はその後、過剰なまでに接触の多い採寸を終えた。






「じゃあ、すぐに作って届けるわ~~~」


 男性は俺の身体を触りまくった後に、颯爽と帰って行った。

 俺はぐったりとソファーに横になっていた。


「ご苦労だったな。腕はいいんだが……」


 ジークが眉を寄せながら言った。


「はは、腕がいいならよかった……」


 これだけ身体を撫でまわされて残念な仕事をされたら凹む。

 俺は身体を起こして、ソファーにかけてある上着に袖を通した。

 すると、ジークが俺のすぐ前に来てボタンを手にした。

 そういえば脱がされたのだった。もしかしたら、着せてくれるのだろうか?


 いいよ、と断ろうとしたら、ボタンを素早く二個ほど止めて何を思ったのか、俺の脇腹当たりを撫でた。


「……んっ何!?」


 いきなり撫でられて、思わず変な声を上げてしまう。

 ジークは気に入ったのか、一心不乱に脇腹を撫でている。

 突然でなければ耐えられるが、一体何がしたいのだろう?


「何かあったの?」

「いや、あいつが随分と触っていたから……確かに触り心地がいいな」


 あ、脇腹、気に入ってしまいましたか……。

 ジークは脇腹を気に入ったようだ。

 俺は逃げようとしたが、ジークの方が力が強かった。


「そういえば、どうして採寸?」


 脇腹を撫でているジークに尋ねると、ジークが俺を見ながら言った。


「入学式でレンを剣術室の常勤補佐官だと紹介するために準軍服を作る。あと、もし夜会などに出席する場合に備えて礼服も用意する」

「へぇ~~ありがとな」


 俺が笑ってお礼を言うと、ジークの俺を撫でる手が止まった。


 お? 満足したのか?


 俺がジークを見ていると、ジークに突然真面目な顔で言った。


「お前……これまで何をしてこれだけしなやかな身体になったのだ」


 どうやら、俺はジークに筋肉量と質のチェックを受けていたらしい。

 俺は、ジークの服の上からでもわかる盛り上がった胸筋に触れながら尋ねた。


「そんなに違う?」

「ああ、違うな」

「ふぅ~ん。ジークもすっげぇいい身体だで羨ましいけどな……」


 二人で身体を撫で合っているというおかしな状況に、はっとしてジークから離れた。


「とにかく、服出来るの楽しみにしてる。じゃあ、おやすみ!!」

「ああ」


 俺はそそくさとジークの部屋を出て自分の部屋に戻ったのだった。

 

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