第8話 文化の違いで片付ける?



「あ~~俺はよくやった」

 

 外はすっかり暗くなり、赤い月が消え空には青い月が浮かんでいた。

 ここ数日、俺はカレンにスパルタ指導を受けていた。

 今はスパルタ指導を終えて、ジークの執務室のソファーに寝そべった。

 きっとカレンからは『そのようなことをしてはいけません』とお叱りを受ける可能性があるが許してほしい。


「ご苦労だったな」


 ジークは今日は一日、軍で訓練をしていたようで留守だった。そして今は執務室で仕事をしていた。

 忙しいであろうジークは席を立つと、俺の寝そべっているソファーの頭元に座った。そして俺を見下ろしながら静かに言った。


「どうだ? カレンと過ごして」


 俺は寝そべったまま正直に答えた。


「そうだな……メンタル面が不安だな。ニコラス側がリディアとの仲を深めさせようと動けば、カレンは暴走して、処刑されるような過激なこともしてしまいそうだ。あ、ニコラス殿下だった……」


 ニコラスと言うと、カレンに烈火の如く叱られるので俺は『殿下』と呼ぶことを覚えた。


「処刑……そうか……」


 ジークは静かにそう言った。

 カレンはよくも悪くもプライドが高い。王妃になると言われて育てられたのだ。無理もないかもしれないが……ニコラスと上手くいっていないのか、彼女はかなり情緒不安定になっている。数日一緒に過ごしてそう思った。

 悪い人ではない。

 だが……悪い方に傾きそうな危うさを秘めている。


「ジークもそう思うんだ?」


 俺は目を開けて、ジークをじっと見ながら尋ねた。


「レンが来るまで俺はカレンとまともに話をすることもなかった」

「あ……お互いにどう接したらいいのかわからなかったとか?」


 俺が問いかけると、ジークが驚いた。


「その通りだ」


 台本で見たとは言えなかった。

 ジークはつらそうに唇を噛んでいた。

 俺はふと、手を伸ばしてジークの唇に触れた。少しかさついていたが、とても柔らかいと思った。


 俺は起き上がると、ポケットからリップクリームを取り出した。これはこっちに来た時ポケットに入っていたものだ。

 俺は自分の口にリップクリームを多めに塗って見せると、ジークにリップクリームを差し出した。


「ほらこうやって使うんだ、塗りなよ。唇って乾燥するとひび割れて痛いだろ? 訓練にも影響ない?」


 するとジークが俺の唇とリップクリームを交互に見ながら言った。

 一瞬の出来事だった。

 俺は後頭部をジークに抑えられ、気が付けば大胆に唇を重ねられていた。


 は? 


 意味がわからなくて固まってしまった。ただ、ジークの唇はかさついているのにとても柔らかいということだけが頭に浮かんだ。

 ジークは唇を離すと、上唇と下唇を擦り合わせながら言った。


「塗った」

「え? まさか、俺の口のを直接塗ったの!? ものぐさ過ぎない??」


 ジークは憮然としながら言った。


「こっちの方が確実で早そうだ」


 もしかして塗り方がわかなかったのだろうか?

 だから、面倒で俺の口にあるものを塗ったと……

 あまりにも自然に口をつけたので俺は何も言えずに混乱していた。

 俺がぼんやりしていると、ジークが楽しそうに言った。


「毎日、早朝に訓練をしていると聞いた。明日は私も参加しよう」

「え? あ、うん。よろしく……じゃあ、俺そろそろ寝るね」

「ああ、おやすみ」


 俺は首を傾けながら自室に戻ったのだった。



 ◇



「なぁ、カレン。こっちの世界にもキスってあるの?」

「ゴホゴホ」


 俺はお茶休憩の時に、カレンに聞いてみることにした。

 だがキスについて尋ねた途端に、カレンが咳き込んでしまった。


「大丈夫?」


 カレンの背中を撫でると、カレンが睨みながら言った。


「急に何です?」

「いや、だからキスってある? それって一般的に誰でもいつでもしちゃうの?」


 カレンは大きく目を開いた後に、額に片手を置きながら言った。


「はぁ~~~そうですわよね……レンは異世界からいらしたのですか、ご存知ありませんわよね」


 そう言ってカレンはキスについて説明してくれた。


・あいさつで手の甲や、頬に唇を触れることがある。

・唇と唇を合わせるキスは恋人や婚約者


 どうやら、俺の認識とそうズレてはいないようだが……あれはジークにとってキスではなかったのだろうか?


「ところで、カレンはニコラス……殿下とキスするの?」


 怒ったり照れたりして暴れるを覚悟して尋ねたが、思いの外カレンは冷静に答えた。


「殿下は……キスはして下さらないわ」


 俺はカレンの様子がおかしくて思わず眉を寄せながら言った。


「手の甲は?」


 カレンは無表情に目を下に向けながら「ないわ」と答えた。そしてカレンは淡々とした様子で言った。


「ニコラス殿下は、私とはあまり目を合わせて下さらないし、腕に触れるのを許して下さるのも夜会などのエスコートの時のみ……他の方々たちは、婚約者の方と夜会に出席すると抱き寄せられたり、頬やおでこ……唇にもキスをしていらっしゃるわ」


 俺はカレンにさらに質問を続けた。


「あ~~ちなみにお茶会とかしないのか?」


 確か舞台では、ヒーロー第二王子とヒロイン聖女リディアはよくお茶会をしていたように思う。舞台でも二人のミュージカル風のコミカルなお茶会のシーンは人気だった。

 だからなんとなく貴族の恋人同士のデートはお茶会なのかと思ったのだ。


「ニコラス殿下はお忙しいみたいで……ずっとお茶をご一緒してはいないわ」


 うわぁ~~、キッツ!!


 ニコラスと関係に不安になっているとこに、聖女降臨。主人公のリディアは二人の王子に愛を囁かれている展開だが……。

 悪役令嬢として聖女を苛め抜くカレンは、ずっと王妃教育を受けて来たにも関わらず、婚約者のニコラスを聖女に取られるのだ。


 うん、荒れるのもわかる。


「なぁ、カレン。ニコラスのこと好きなの?」


 カレンは視線を俺に向けると静かに言った。


「……ニコラス殿ね。でもそうね、好き……そんなこと考えたこともなかった。ただ私はニコラス殿下の妻になるということしか頭になかった」


 俺の感覚では結婚というのは好きだとか、好ましいとか感情で結婚を決める人が多い。

 だが、カレンにとって結婚とは義務だ。

 例えて言うなら、家が会社を経営していて幼い頃から会社を継ぐように言われて、懸命に努力して突然、養子を貰ったからその人に会社を任せるので出て行け……と言われた感じだろうか?


 『なんだよ、じゃあもっと早く言えよ』とか『ふざけるな』と言って憤るのも普通だろう。


 カレンは俺を見ながら尋ねた。


「ねぇ、レン。好きってどういうこと? どんな風に感じたら好きなの?」


 俺はとんでもない難題を突き付けられて思わず息を飲んだのだった。


 

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