本当に馬鹿馬鹿しくて、本当にどうしようもない、噓みたいな女学園と、本当のこと
暖かい春風が桜の花びらをはらはらと躍らせる。
鮮やかな薄桃色の桜の葉の隙間から木漏れ日が差し、歴史と伝統ある百合園女学園の長い長い桜並木に、少女達の黄色い笑い声と軽い靴音が弾むように響く最中、私とご主人様は堂々と桜小路を歩いていた。
「おっ、おっ、おっっっっ!!! 唯お姉様の制服姿やべぇですわ……! 眼が妊娠しましたわ! 責任とってくださいましぃ!」
「あれが伝説の生き物の唯お姉様の生のご尊顔……! やべぇですわ! 同じ性別の人間だとはとても思えねぇですわ……!」
「……先っぽだけ。先っぽだけなら唯お姉様に触ってもバレませんわよね……?」
「ピピーッ! おはようございます貴女異教徒ですわね⁉ 昨日設立されたばかりの唯お姉様のファンクラブ会員になっておきながら唯一神に触れようだなんていう考えの不届き者ですわ! 曲者ですわ! 殺してヨシ! ……って、私が言った瞬間に後頭部からエアガンの直撃を受けて不届きお嬢様がぶっ倒れましたわー⁉ チラっと見えましたけれど、誰ですのあの小柄で眼鏡をお掛けになられてスナイパーライフルをお持ちになられている女子生徒は⁉ あんな女子生徒、百合園女学園におりました⁉」
――いや、まぁ、変態はどう足搔いても変態のままだったけれども、それでも編入初日と違って積極的に進んで私の身体に触ろうだなんていう真似をする女子生徒の数がどうした事か少ない。
あの日というあの日を思い返してみると、四方八方を変態淑女共に囲まれた挙句の果てにセクハラ紛いのボディタッチをされていた訳なのだから、実際に触られるよりも触られない方が当然ながら嬉しい。
というのも、私は本来ここにいてはいけない性別である男である訳なので、当然ながら女性の身体にはついていないアレが存在してしまう。
もしも昨日のような過剰なボディタッチが過剰にエスカレートでもすれば、当然ながら接触事故というモノが起こりうる訳で、そうなってしまえば私とご主人様は社会的にも死んでしまう。
それだけは何としても避けなければならない、のだが。
「……それにしても、ファンクラブって何なんですか……」
「良かったな。人気者で」
「……私、目立つの嫌いなんですよ……」
お互いに真っ正面を向いた風を装いながら、流し目でお互いの顔を見ては、ぼそぼそと私たち2人だけに聞こえるような音量で軽いお喋りをする。
どんよりとしているのであろう私の表情と対照的に、ご主人様の表情は生き生きとしたという言葉が相応しいぐらいにニンマリとしていた。
「余りにも心配すぎて今朝の僕はカツオの竜田揚げを10個しか食べられなかったが、この様子なら杞憂だったかな?」
「いきなり矛盾する事を言わないでください。めちゃくちゃ食べているじゃないですかご主人様」
朝の5時に起きた私はご主人様の専属メイド兼寮母として、彼女の為だけに朝から栄養満点の食事を提供したのだけど、彼女は私の作った食事をいたく気に入ってくださったのか、カツオの竜田揚げをおかずに炊飯器3合分の白飯を平らげてみせたのであった。
そんな食欲旺盛なご主人様であるのだが、彼女はとんでもないほどにスタイルが良い。
すらりとして流麗な身体の曲線から成り立つそのスタイルの良さは私と同じ16歳の少女だとはとても思えないほどの色気を醸し出し、足先から腰までの流麗な曲線を堪能していると胸部の主張が激しい曲線が待ち構えている。
いつもいつも笑顔でお代わりを要求してくる健啖家でもあるご主人様の体型は本当に大食いとは思えないほどに細くて、出るところが出ている。
普段は男のような高圧的な口調をしているけれども、そんな彼女には服越しからでも分かるぐらいの実に見事な双乳がぶら下がっていると思うと、それはそれで興奮してしまいそうな自分がいる。
それに私と同じ百合園女学園の制服を着ている事で強調されている彼女のボディラインは本当にお見事としか言いようがなくて、油断してしまえば彼女をずっと見つめてしまいそうになる自信しかないぐらい、私のご主人様は魅力的であった。
一体何をどうしたら揚げ物10個に白飯3合を朝から食べつつ、そのくびれを維持できるんだ……だなんて、物思いに耽っていると、いきなり背後からぞわぞわとした視線を感じてしまった私は反射的に背後を振り返る。
「フ」
「うわ出た」
背後から百合園女学園の学内2大美女と称される程の逸材が薄ら笑いを浮かべては煙のように現れては私の右腕に両胸を押し付ける形で近づいてきた美人。
彼女の名前は下冷泉霧香。
ご主人様に負けず劣らずの美女であり……今までに会ってきた変態淑女共を優に超すほどのとんでもないほどの変態。
「フ。唯お姉様は朝から茉奈さんに熱心なのね。宜しければこのメス豚の曲線美も堪能してもよろしくてよ。B87W57H88から繰り出されるこの下冷泉霧香を唯お姉様の妹として存分に可愛がって? さぁ、さぁ、さぁ!」
「朝からそんな事をするのは嫌に決まっているじゃないですか、このメス豚先輩」
「フ……! 朝からメス豚って侮蔑されるのめちゃくちゃ気持ちいい……! エクスタシィ……! 唯お姉様にいじめられて身体が勝手にメス豚になってしまう……! それはそれとして昨日私があげた紙紐をちゃんとしていてくれて嬉しい……! あの唯お姉様が私だけのモノだって自分から宣言しているようで、めちゃくちゃ興奮する……! フ。フフ。ブヒヒ……あっ、やば。鼻血出ちゃった」
自分の身体を両腕で抱きしめながら、赤らめた表情を浮かべては鼻血を流す彼女は確かに顔面も身体も良いし、何なら家柄も凄く裕福なのだけど、そんな彼女には致命的が過ぎる欠点が1つだけある。
変態なのだ。
どうしようもないぐらいに、下冷泉霧香は変態なのだ。
「……下冷泉先輩。朝早くから注意するのも気が引けるが、僕の従者である唯に低俗な冗談を吐くような真似は控えて頂きたい。学校全体の風紀にも関わってくるのでな」
「フ。おはよう、茉奈さん。そうね、朝早くから唯お姉様と登校できたという喜びの余りに我をついつい失っちゃった。反省してる」
それにしても、本当に我を失っているとはとても思えないような演技っぽさを彷彿とさせる不敵な笑みである。
そんな彼女は私の女装生活を送る上で最大の障害にして脅威――であると同時に、彼女の変態性を上手く利用さえ出来れば、学園生活においてご主人様と同等以上の助けをもたらしてくれるであろう福音にもなり得る。
というのも――。
「学園3大美女の1人であらせられる茉奈お姉様は今日も凛々しくてお美しいですわ……! 異国の姫と騎士が同居したような神秘性が本当に素敵……!」
「学園3大美女なら霧香お姉様も負けていませんわ! あぁ! 霧香お姉様! 去年の演劇の男役も素敵でした! どのような役でもこなしてみせる霧香お姉様は本当に魅力的……! 話しかけるのをためらってしまうぐらいのあの存在感は憧れるしかありませんわ!」
「グヘヘ……! 唯お姉様ァ……! 唯お姉様は襲いたくなるぐらいに可愛いですわねェ……! 興奮してきましたわァ……! 茉奈お姉様と霧香お姉様がいなければ物陰に連れ込んでいたのにィ……! グヘヘ……! 悔しいィ……! こうなったら学園3大美女の唯お姉様を脳内で徹底的に穢すゥ……!」
周囲の女子生徒が口にする黄色い歓声を聞いてみるに、随分と私の隣を歩いている彼女たち2人はこの学園の女子生徒に慕われているのは事実として明らかなのである。
というのも、彼女たちが只々歩いているだけでモーセが出エジプトの際に海を割ったエピソードのように女子生徒たちが私たちに道を譲るのである。
ご主人様も下冷泉霧香は家柄が家柄という事情があるのだろうが、それでも彼女たちの学園内でもとびきり最上位のスクールカーストの保持者であるらしいのは黄色い声を嬉しそうにあげている周囲の女子生徒たちの様子を見るだけで分かってしまうのだ。
であるのなら、ご主人様と同等以上の学園での影響力を持つであろう変態という存在の彼女を味方につけるのはハイリスクにしてハイリターン……それが下冷泉霧香という
「……本当に百合小説みたいな内容の光景なんだよね……発言内容さえ聞かなければ百合小説なんだよね……」
実際問題、素敵なお姉様2人が放つカリスマのおかげで私に声を掛けようとする物好きがいなくて本当に助かる。
彼女たちはあくまでも『手の届かない領域にいる凄い人』と思われている為か、そんな彼女たちに羨望の意からか挨拶こそする人は数いれど、一緒に登校しようだなんてする人は少ない……というか皆無であり、ご主人様と下冷泉霧香の半径3m以内には冗談抜きで私以外の人間が1人もいない状態なのだ。
「あぁ、まさかこうして朝から茉奈お姉様と霧香お姉様を拝見できるだなんて……! 眼福ですわ……! 今日の学校もさぞかし素敵なものになるに違いありませんわ……!」
「本当にそうですわね……! 私、この学園に入学して良かったと心の底から思いますわ……!」
「あぁ……! 唯お姉様ぁ……! 唯お姉様の両手を手錠で縛って永遠に逃げられないようにした後に唯お姉様の銀髪をペロペロ舐めて監禁したぁい……! 猿ぐつわもされて悲鳴を満足に出せない唯お姉様を一方的に襲いたぁい……! そして、私もご主人様って呼ばせるようにたぁっぷり調教したぁい……! うふふ……! 私は普通の淑女だったのにぃ……! 唯お姉様が本当の私に気づかせてくださったのが悪いんですよぉ……? うふふ……!」
――いや、本当に何なのこの落差。
どうして私だけにそんなどす黒い欲望丸出しの黄色くない声を出しやがる訳なんだよ。
ここお嬢様学校だよ?
お嬢様してよ。
「フ。それにしても学内2大美女が通説だったのにいつの間やら学内3大美女に名称が変わっているわね。たった数日で名前を変えてしまうだなんて……まぁ、それだけ唯お姉様が素敵だっていう至極必然な話になる訳なのだけど」
「ふっ、当然だな。唯は僕自らがスカウトした専属メイドだからな。そう、僕の専属メイド。僕だけの! メ、イ、ド! 皆にこれでもかと愛されても唯は最終的に僕だけのモノになって永遠に可愛がられるんだ」
「フ。こういう人から唯お姉様をNTRするのって気持ちいいのよね」
勝ち誇った笑みを浮かべてみせるご主人様であるのだけど、それでも下冷泉霧香の余裕そうな薄ら笑いが消える事もなく、周囲の黄色い歓声もまた途絶える事はなく、これがこれからの私の毎日となると思うと気が気がでない。
「……でも、どうせ多分慣れるんだろうなぁ……」
こんな噓みたいに波乱万丈な毎日がこれからもきっと続くのだと思うと――少し不謹慎かもしれないけれど、死んでしまった和奏姉さんの事で考え事をする暇さえない。
そう――余りにも色々とありすぎて、故人の事を考える余裕が無いのだ。
これから毎日どうしようとか、これからどう生きればいいのかとか、そういう漠然とした不安を考えることなく、自分の身の安全だけを考えられるこの環境は……本当に馬鹿馬鹿しくて、本当にどうしようもないぐらいに気が楽だった。
だからこそ、許される事ではないとは自覚はしているのだけど、許されるのであればこの普通ではない毎日を過ごしたいとさえ思う……それが例え、社会的に許されないような嘘で満ちたものであったとしても、私はこの嘘のように暖かい陽だまりにいつまでもいたい。
そう願う事は、駄目だろうか。
「人間、変わらざるを得ない時があるってだけの話なのかもね。姉さん」
私はこの2年間を上手く切り抜ける事だけを考えていた筈だっていうのに、いつの間にか此処での生活が上手くいけばいいという思考に切り替わっている事に今更ながらに気が付く。
こんなにもあっさりと意識が変わってしまう自分の無さに辟易しつつ、思わず苦笑をこぼしてしまった。
「フ。どうしたの唯お姉様。そんなに私と茉奈さんの不毛な争いが滑稽?」
「え? あ、いえ、その……」
「何だ。はっきり言え、はっきりと」
「……楽しいな、って……」
姉さんが死んでしまって、1ヵ月ぶりにそう思っただけ。
姉さんが死んでから楽しいと思う余裕は私には無かった筈なのに……いつの間にか、死んだ姉さんの事を忘れて笑っている自分がいた。
身内が死んだっていうのに笑みを浮かべるとは何事かと他人に指摘されてしまうかもだけど、私がこの世界で1番大好きな、私だけの姉は、きっと私の笑みを待ち望んでいるに違いない。
だから、笑う。
だから、笑ってみる。
「……そう。楽しいのなら、本当に良かったわ」
「うん。そうか。……うん。それなら僕も君をここに連れてきた甲斐があるものだ」
心からの感謝を込めた笑みを2人のお嬢様に向けて、天国にいるであろう和奏姉さんに向けて、私は本当に思った事を、噓ではない真実を、口にしてみる。
「この学校、楽しいです」
そう思えただけでもこの学園に来て良かったと、頬に落ちてきた桜の花弁と雫を指で取り払いながら、そう答えた。
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