無くした物を再度無くさないコツは誰が見ても『あっ。コレはあの人のモノだ』って思わせる事っす!

「そういう訳で! どうもっす! 今日から女子寮にお世話になる葛城っす! 天使さんと同じクラスになりましたけど、どうぞ宜しくっす!」


「えっと……はい、ここの寮母をやってます、天使唯です」


「いやぁ、ここがあのお嬢がお世話になっている百合園女学園寮っすか。大正時代を思わせるような洋館の見た目に違わない歴史ある内装でとても私好みっすね」


「…………」


「おやおや? どうしたんっすか天使さん? そんな微妙そうな表情を浮かべて」


「いや、その……」


 私の幼馴染だとか言う下冷泉霧香が百合園女学園の女子寮に入寮してから暫く経った後、私のクラスにとある転校生がやってきた訳なのだが……その転校生の顔は実に見覚えがあるものでしかなかった。

 

 眼鏡を掛け、小柄で、栗色の髪の女子生徒。


 人畜無害という言葉を彷彿とさせるような、苦労人という印象が浮かんでくるような同級生。


 彼女は以前、暴徒と化した女子生徒から私を助け出してくれたという自称演劇部員、葛城楓その人だった。


「葛城さんって、百合園女学園の生徒じゃなかったんですね」


「やだなぁ。今は百合園女学園の生徒っすよ? 正当な手段はちゃんとしましたっす。裏口入学なんてしてないっすよー?」


「なら、あの昼休みの時、どうして百合園女学園に?」


「お嬢に色々と命令されてたっすからね」


 確かに納得は出来る。

 納得は出来るのだけれども、如何せん、私は目の前に現れた葛城楓という人間に対して少しばかりの不信感を覚えているのも確かだった。


「何。私も少しばかり申し訳ないとは思っていたっす。ですので、あの日、自分は天使さんを女子生徒から助けましたし、天使さんが欲しい情報を素直に提供しましたっす。実際問題、天使さんも助かったでしょう?」


「それは……そうですが」


「ふむ。どうにも私のしでかした事は天使さんの中では帳消しにならないご様子……無理もないっすね。私のやった事は善良な天使さんを騙した訳っすからね」


 こうして話しているだけだというのに、油断すれば彼女の事を信頼し直してもいいのではないかと思う自分がいる。


 いや、これは思うというよりかは……揺らぐ……そう、揺らがされている。


 私は目の前にいる彼女の話術によって、揺らがされている。

 人畜無害そうな見た目が、苦労人と言った風貌が、独特な声音が、穏やかに笑い続ける表情が、語尾にわざとらしく付くような気軽さが、全てを見透かしているような視線が、どのような手札をどれだけ持っているのかを一切明かさないままに話し続ける口が、彼女の全てが、私の考えをぐらりぐらりと揺るがしに掛かり、私の考えが間違いなのではないかと思わせる。


「百合園女学園に不所属の15歳が歴史と伝統ある女学園に指定制服を着用した状態での不法侵入。確かにこれは犯罪と呼べる行為であり、おふざけで済まないレベルの悪行っす……ですよねぇ、天使唯さん?」


 そう、そうだ。

 確かに彼女が言う事は事実そのもの。


 だがしかし、その彼女が言う事を


 だって、彼女以上の犯罪行為をやっている人間が今こうして彼女の目の前にいる訳なのだから。


「こんな犯罪行為を。それもあの下冷泉家がやったとなれば、世間の注目を集める事は想像に難くないっす。どうしてあの下冷泉家のお嬢様がそんな事を! ってね。本当は下冷泉家の関係者ですけれど……まぁ、主語は大きい方が注目されやすいでしょう?」


「…………」


「そんなお嬢様がそんな事をしたのは天使さんを女子生徒から助ける為。実にお涙頂戴の良い話……で済めばいいですけれど、それでも起こした事は問題っす。そういうスキャンダル記事を書きたい記者が百合園女学園に集まってくるのは想像に容易いっすね」


「……記者、ですか」


「脅す訳ではありませんが、そういう記者が天使さんにやってくるかもしれないっすね。天使さんは映えるほどの美人っす。そういうのは話題と数字に困らない。何だかんだで学歴や過去を調べ尽くすかもっすね」


 それは、不味い。

 そうなったら、不味い。

 

 そうなってしまえば、もしかすると私の性別が明らかにされてしまうかもしれない。


 ……いや、これは彼女の憶測だ。

 

 そうならない可能性も当然ある。

 だというのに、彼女の言の葉にはまるで見てきたかのような実感が籠っていて、無理矢理に信じさせられてしまうのだ。


「そういう訳で天使さんには黙って欲しいっす。下冷泉家の為にも、天使さんの為にも……ね?」


「私が嫌だと言えば?」


「言えばいいじゃないっすか。ご心配せずとも何も起こりませんよ」


「……分かりました。黙っておきます」


「頭が良い人との会話は大好きっすよ。頭の悪い人との会話は色々とやる事が多くて面倒っすからね」


 そういう訳で下冷泉霧香とは全く別のジャンルで危ない人がこの寮にやってきた。


 名前を葛城楓。

 良い人……みたいな人だ。


 油断したら後ろからやられてしまうような生命の危機を感じさせてしまうようなこの人に比べたら、あの下冷泉霧香がマシに思えてならなかった。




━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━╋━




 天使唯わたしの朝は早い。


 朝の5時に鳴るように予め設定しておいた目覚まし時計の鳴る音で目を覚ました私はまだまだ眠い目を擦りながら、自分自身の人肌でポカポカに温まった最高品質の羽毛布団――確か、ポーランド産のホワイトマザーグースをふんだんに使用した10万円以上はする茉奈お嬢様が贔屓していて、やべぇぐらいにモフモフしている魔性の布団――による二度寝の誘いから脱して、女装の準備をする。


「……うぅ。なんで朝になると勃つんだ……理不尽……」


 この生理現象を見て分かる通り、私は男である。

 女装が趣味という訳ではなく、女装をしないといけない環境にいるからこそ女装をする。


 幸いにも私は世間一般で言う所の女顔であるらしく、体型も下半身のアレさえ除けば女性そっくり。


 百合園女学園の指定した制服に身を包めば誰がどう見ても立派な女子である……認めたくなんてないけれど。


「……」


 だが、念には念という言葉がここ日本には存在する。


「……うん、だから、仕方、ない……」


 予め、言っておく。

 これは言い訳でもなく、ただの事実だ。


 


 朝に軽く隆起してしまったアレが女性用の下着に直接当たっているが、僕は変質者ではない。

 

「……だからといって、だからといってぇ……! なんで女の人のパンツやブラジャーを着ないといけないんだよぅ……⁉」


 どうして、それを着用する事が段々と小慣れてくる訳なんだよ……⁉

 おかしいだろ、本当におかしいだろ……⁉


 何で私が女性専用の衣料店に行っても女性店員の誰もが私を男だって気づかないんだよ……⁉


 女性専用店に男性が入店したら追い払うだとか、そういう仕事をしてよ……⁉


「……うぅ……今日も、着ちゃった……」


 鏡を見なくても分かるぐらいに赤面していた僕は、一応念のために全体を写せるほどに大きな鏡に自分の姿を写すと、そこには誰もが見惚れるような銀髪の美少女が涙目で赤面した状態で立っていた。


「……うぅ……」 


 今日も今日とて自分のアイデンティティがどんどん崩壊してしまいそうになるが、こうして30分ぐらいかけて私は毎日女装に取り掛かる。


 私が今いる環境は百合園女学園……つまり、未成年男子禁制の女性の園であり、本来であれば自分のような存在は異物そのものであり、入学だなんてとても許されるようなものではない。


 つまり、言ってしまえばこの女装が周囲にバレてしまえば私は異常者としてお縄につくことは確実であり、そんな目に遭わない為にも全力で厭々ながら女装に取り組む訳なのであった。


「……よし……」


 最後の仕上げに下冷泉霧香から頂いた髪紐で髪を結って、ポニーテールにするという作業を終えて、今日も今日とて完璧な女装をしてみせた私は意を決して自室の扉を開ける。


 私の個室と、大正時代に建築されたという百合園女学園第1寮という男子禁制の世界が繋がる――と同時に。


「フ」


 ヤツがいた。

 今日も今日とて、ヤツが部屋の扉の前に正座をして待機していたのであった。


「おはようございます、下冷泉先輩。どうして今日も私の部屋の前で待機しているんですか。いい加減、警察に突き出しますよ」


「朝一番に目にしたい唯お姉様を毎朝一番最初に視界に入れる……フ。それがこの下冷泉霧香の流儀。まぁそれは表向きの理由であって本音を言えば唯お姉様の全裸をあわよくば見たいなぁと思ってグヘヘブヒヒ……フ。つまりはそういう事」


「どうしようもないですね」


「フ。今日も唯お姉様が私の髪紐をしてくれていて嬉しい。自分は私の所有物だってアピールしてくれているようでとても嬉しい」


 彼女は下冷泉霧香。

 変態だ。

 

 そんな彼女への対策として無視をするのが1番の最適解。

 そんな答えに辿り着くまでに私は1週間も要したので、この7日分の時間を本当に返して欲しいと思う。

 

「フ。朝の挨拶も終わった事だから私は唯お姉様の自室に失礼するわね」


 相変わらずの不敵な笑みを浮かべて、彼女の名前である霧のように掴みどころがない下冷泉霧香はそんな言葉を口にすると、流れるような動作で私の部屋に堂々と侵入しようとしてくる。


 感謝の気持ちを忘れないようにしながらも彼女を押しのけて、がちゃりと部屋の鍵を閉めておく。


 当然ながら、私の部屋には人目につかない場所に隠してはいるけれども私自身の個人情報が載っている情報……病院に行くときに必要な保険証だとか、男であるという確たる証拠が保管されている以上、ここは自分以外の人間が入ってはならない禁足地のようなものだ。


「フ。流れでベッドの上で唯お姉様に可愛がられると思っていたのだけど残念。まだ好感度稼ぎが足りなかったみたいね。悲しい。そういう訳でここで性行為しましょう。好感度稼がせて?」


「そういう事をしているから好感度が下がるんですよ。私から先輩に対する好感度はほぼ最低ですよ」


「つまり今後は伸びしろしかないって事ね」だなんて素っ気なく口にした彼女と簡単な朝の挨拶を交わして別れた後、私は自分自身の職場にして第2の自室と言っても過言ではない食堂に足を運び、電気ポットに水を入れて沸騰ボタンを押して放置し、ついでに米を洗って炊飯器に投入し、炊飯器の高速炊飯ボタンを押してという作業をやり終えてから冷蔵庫の前に立つ。


「さて、と……」

 

 今日は月曜日。

 先週の休みである土曜日と日曜日の空いた時間にお弁当用のおかずを30品ぐらい作り置きしてタッパーに入れてから冷蔵庫に保存しているので、私と女子寮利用者3人を合わせた弁当4人分の内容は解凍したおかずを綺麗に並べるだけという簡易的な作業をするだけで事足りる。


 とはいえ、やはり主菜などはその日に作った方が食べる身としても嬉しいものだろう。


「……昨日の夜のうちに解凍しておいた刺身用のカツオもいい感じ。魚を弁当にする訳だから……うん、竜田たつた揚げ。朝ご飯用に適当に時雨煮でも作って、後は――」

 

「――天使さんおはよっす! 今日の朝食はカツオの時雨煮っすか? 以前に伝えたお嬢の好物を食卓に並べてくれるのは素直に嬉しいっすね!」


「……うっ、か、葛城さん」


 いつものように人畜無害そうな笑顔を浮かべている葛城さんが、いつの間にやら私の背後に立っていた。


 もしも彼女が無言のままであれば、私は彼女が背後にいた事にも気づかないまま朝食の用意に入っていただろう。


「ん? ……天使さん、香水使っているんすか?」


「香水、ですか? いえ、使用はしてませんが」


 いきなりそんな事を言い出した彼女がくんくんと鼻を鳴らしたが、私は香水を使っていない。


 校則違反だから……という訳ではないのだが、一応、私は男の子だという自意識がまだ残っているからなのか、そういうものはしないようにと思っていたりする訳だが。


「いえ、天使さんから霧香お嬢様の香水の匂いがしたから、ちょっと気になっただけっす」


「先輩とは先ほど会ったばかりです。葛城さんからも扉の前で待ち伏せをするのは止めるように言っておいてください」


「……あぁ、そういう事っすか」


「そういう事、とは?」


「こちらの話なのでお気になさらずっす。何はともあれお嬢には注意しとくっす。お嬢に何かあったら私の給料が下がるっすからね」


 葛城さんは常識がある。

 だけれども、少しだけ怖さがあるのもまた事実。


 思わせぶりがあるというか……一体全体、何と言えばいいのだろうか、この不安感。


 目を少しでも離したら、寝首を取られてしまいそうな……言語化できないような恐怖に全身が包まれてしまうのだが、当の本人はそんな事なんか絶対にしなさそうな善人めいた表情を……まるで仮面のように貼り付けて笑っている。


 本当に心の底から笑っていると言わんばかりに、彼女は全く心の底から笑っていなかった。


「とはいえ、天使さんも女の子なんですから香水ぐらいはした方がいいっすよ? まだ春とはいえ段々と暑くなるっすからね。香水には制汗剤の役割を兼ねるものもあるっすよ?」


「わ、私はそういうのに興味はありませんから」


「物は試しっす。私、お嬢が使ってる香水を奇遇にも持ってますから使ってみよっす! さぁさぁ!」


「で、でも」


「いいからいいから! さぁさぁ! 手首を出せっす! プッシュするっすよ、プッシュ!」


 半ば無理やりに私は彼女に手首を差し出したけれども、香水をすれば少しでも女装の質が上がるかもしれないかもしれないという憶測が少しばかりあったというのも実の所。


 偏見かもしれないけれども、香水を付けている人は女性のイメージが私の中にあったのだ。


「……良い子っすね。調教のし甲斐があるっす」


「調、教?」


「ふ。お気になさらず。調香の言い間違いですので」


 その瞬間、彼女は本当に慣れているとしか思えない手つきで私の手首を手に取ると、プシュ、というスプレー状のモノが出る音を鳴らす。


 その音と同時にひやりと冷たい液状のモノが私の肌を塗りたくる。


「……ひ、ゃぁ、ん……⁉」


「はい。おしまい」


 そう言った彼女が離れると同時に、私の手首から何度も匂いたくなるぐらいに良い匂いが漂う。


 私は香水の知識が疎いのでこれがどういうモノなのかを上手く説明する事はできない。


 だからこそ、これは下冷泉霧香の匂い。

 そう言い表す事しか出来なかった。


 嗅げば嗅ぐほど。

 嗅ぎ直せば嗅ぎ直すほど。

 自分の脳裏は朝1番に出会った先輩にして美少女で一杯になっていく。


「……ふ。良い匂いですね。霧香お嬢様と同じ匂い。霧香お嬢様と親しい関係性がある人間でないと漂わせてはならない匂い。貴方と霧香お嬢様だけの匂い。えぇ、とても良い匂いです。本当に」


「そ、そうですね。確かにこの香水は良い匂い、ですね」


「えぇ。今の貴方からは他の女が寄ってこないぐらい、良い匂いをしていますよ」


「……へ?」


「……なんちゃって! 適当にそれっぽい事を言っただけっすよー! つまりは冗談っす! ポエムっす! 俗に言うところの厨二病っす! 自分そういうの大好きなんでね! それでは自分はこれにてドロンするっす!」


「え、えっと、その、あの……⁉」


「そういう訳で自分はこれにて失礼するっすよー! 一応言っときますけど香水をつけたのは私の独断かつ趣味なんで、お嬢は全然関係ないっすからねー!






















 主人の大切な物を管理するのは私の仕事ですから、ね」

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