葛城さんは空気が読める善人っす

「やっ! 朝食の時間ぶりっすね! どうしたっすか、天使さん? そんなしんどそうな顔をしちゃって。幸せがすたこらさっさと逃げちゃうっすよー?」


「……葛城さん」


 朝のホームルームが終わり、午前中の授業の全てを終え、午前中に備える昼休みを楽しもうとしたその瞬間。


 私は背後から現れた葛城さんに声を掛けられた。


「おやおや。私に気づかないぐらい考え事をするだなんて随分と深刻そうっすね?」


「葛城さんに気づくだなんて無理があるでしょう。葛城さんって異様なまでに気配を隠すのが得意じゃないですか。何をしたらそんな事が出来るんです」


 というのも、この人、全く気配がしない。


 歩いても物音1つしないし、目を離せば勝手に消えるし、呼吸の数と音が異常なぐらいに少ないし。


 こうして声を掛けられなかったら、考え事をしている私は葛城さんに気づかなかった自信しか無い訳で、葛城さんはまるで敢えて自分に気づかさせてくれたとしか言い様がなかった。


 そんな彼女は笑いながら「演劇部っすから。これぐらいは余裕っす」と全く理由にもなっていないような言葉を口にする訳なのだけれども、そんな私の様子に気づいていないのか……あるいはとっくに気づいているのに無視をしているのか。


 どちらにせよ、彼女はいつものように人の良さそうな笑顔を貼り付けていた。


「いきなり朝食の時にばたばたとし始めたから、私とお嬢、心配したっすよー?」


「朝は本当にご迷惑をお掛けしました。ですが、問題は解決したので大丈夫ですよ」


「えぇ~? 本当でござるっすか~?」


 おどけた調子で、フレンドリーな物言いをしてみせる葛城さんではあるけれども……そんな彼女の瞳の奥は笑っていなかった。


「……本当ですよ」


「そうっすか。ならこれ以上、自分が追求するのは止めにしとくっすかね」


 ここ百合園女学園の理事長でもありご主人様の実兄でもある百合園千風と面会し、これからの女装生活における障害である身体測定をどう切り抜けるのかを悩んでいた……だなんて、口が裂けても言えない。


 彼女は私の女装事情を知らない人間であると同時に、知ってはいけない人物でもあるのだから。


「じゃあ別の話題を振るっすけど……百合園さんは一体全体どうしたんっすか? 胃が痛い胃が痛い胃が痛いと連呼しては口から胃薬を垂れ流しながら机に突っ伏しているっすけど」


 葛城さんが目を向ける方向にいらっしゃるのは、私のご主人様である百合園茉奈なのだけれども、ご主人様の目は死人を思わせるぐらいに濁っていらっしゃる。


 確か今日の昼からご主人様のお兄様こと理事長が出張で学校にいなくなるらしいから、ご主人様はこれから理事長室に籠って業務をしないといけない訳なのだけど……果たして彼女は大丈夫だろうか。いや、大丈夫な訳がなかった。


「持病の胃痛ですね」

 

「理事長代理も大変っすね」


 どうして彼女があんな目を背けたくなる程の有り様になっているのかと言うと、つい先ほどのご主人様の実兄が口にした『身体測定での必勝法』が関係してくる訳なのだけれども……それもこれも葛城さんにとても言えるような内容ではない。


「なるほどっす。これはお2人の秘め事と見たっす。良いっすねぇ。一体全体、美少女2人は私たちに隠れて何をしていたっすかねぇ? 想像しただけで楽しくなるっすねぇ」


「葛城さんが思っている事じゃないですから」


「了解了解っす。そういう事にしておいてあげるっす!」


 一体全体、彼女が何を考えているのか全く見当もつかないが、少なくとも私の女装事情がバレたとは到底考えられない。


 というか、そもそもの話、男子が女装をして女学園に紛れ込むだなんて犯罪行為だし、気持ちが悪い行動でしかないし、頭が狂っているとしか思えない所業だ。


 いくら察しが良い葛城さんと言えども、そんな異常行為に気づけば非難の声を出すに違いない……そういう意味合いにおいて、彼女の異常なまでの察しの良さはある意味では私の女装事情の障害でもあり、女装事情がバレているかいないかどうかの指標でもある訳なのだ。


「……そう言えば」


「ん? どうしたっすか? 天使さん?」


「いえ。最近、クラスメイトが私にちょっかいをかけないなって」


 今更ながら気づいたのだが……ここ最近、私と同じクラスメイトの女子生徒が私にセクハラをしなくなったのだ。


 というのも、私がこのクラスに編入した初日……私の身体という身体はクラスメイトによって、下半身の男性器以外の箇所を揉みくちゃにされてしまった。


 私が席を立てば、クラスメイト達は偶然にも席を立ってはセクハラをして。

 

 私が女子トイレに向かおうとすれば、クラスメイト達はまたまた偶然にも席を立ってはセクハラをして。


 私が下校をしようとすれば、クラスメイトはまたもや偶然にも席を立ってはセクハラをしてきた。


 おかげ様で、私の編入初日の思い出はセクハラ三昧だった。


 その事実から顧みるに、誰がどう見ても私のクラスメイトは犯罪者というのは明白であった。


 己が性欲に忠実なケダモノであり、私の事を唯お姉様だなんて言う酔狂な敬称で呼ぶくせに、己の色欲を満たす事しか考えていないような手で私の身体という身体を犯し尽くしたのが私のクラスメイトである……筈だった。


 そんな彼女たちのセクハラ魔の手が、何か変な物でも食べたのかと疑うぐらいにぴたりと止んだのだ。


 とある時期から、信じられない事に私にセクハラをしなくなったのだ。


 ――2


「言われてみればそうっすねー。いやー。不思議っすねー。何でっすかねー?」


「……何か、しましたね?」


「何か、とは何っすかねー? 自分、国語が苦手だから分かんないっすー」


 飄々とした態度で煙に巻こうとする彼女であるのだが、私の背後からはまるで痴漢をする犯罪者のような視線が……クラスメイト達の視線が依然として突き刺さっているのが肌で感じ取れる。


 その事実はお嬢様学園の生徒とはとても思えないぐらいに自由奔放である筈のお嬢様たちが、己が獣性に従順である筈のケダモノ達のそういう色欲が全て消えた訳ではないという事を意味しており……同時にそんな彼女たちが見るだけという行為に留めているという事が、いざこうして気がつけば不気味にしか思えなかった。


 見ているだけ。

 見ているだけで、何もしない。


 それは初日の出来事を体験した私にとって、到底信じられない光景であった。


「それにしても、意外っすね? 天使さんってそういうのにすぐに気が付くと思っていたっすよ。不用心なのは感心しないっすよ。もしかして、あの日みたいに胸を触られるのは編入初日だけだと思ってたっすか?」


「……そう、ですね」


 今にして思えば、編入してから1週間も経ったというのに、その事実に気がつかなかったのは女装をしている自分にとっては余りにも大きすぎるミスのように思えてならない。


 変態たちがどうしてこうなったのかという、理由は分からない。

 全くと言っていいぐらい、分からない。


 だけども、目の前で飄々としている葛城さんと……その背後にいるであろう下冷泉霧香が関係している事であろう事は流石に分かった。


「気になるっすか? そんなに気になるなら近くのクラスメイトに雑談がてら聞き出したらどうっすか?」


「聞いて素直に答えてくれるとは到底思いませんし、私はそんな話術を持ち合わせてはいませんので」


「そうっすか。じゃあ、うちのお嬢に聞くのはどうっすかね?」


「下冷泉先輩本人にですか。……そうですね。そうする事にします」


「ありゃ、意外っす。天使さんは私から聞くものとばかり」


「だって、葛城さんはそういう事を絶対に言わない人ですので」


「っす。お嬢から命令されてないんで絶対に言わないっすよ。業務内容じゃないっすからね」


「そう言うと思ってました」


「私の性格が分かってくれて嬉しいっす。本当に天使さんとは仲良くなれそうで嬉しいっすよ」


 けらけらと笑いながらも、こちらの背筋を凍えさせるような不思議な圧迫感を醸し出す彼女であったが、そんな彼女が今のところ、私に対して敵対心を見せていないのは僥倖と言う他なかった。


 兎にも角にも、この葛城楓を敵に回したくない……そういう意味において、私は彼女の雇い主である下冷泉霧香と良好な関係を結ばないといけないという背景があったりする訳なのだけども……それすらも目の前にいる彼女の計画のような気が何となくする。


「それはそれとして……今週末の金曜日は身体測定っすね! どうっすか天使さん! 見た感じ、天使さんは貧乳ですけれども成長したっすか? 揉めば大きくなるらしいっすよ~? 月曜日からでも育乳したら大きくなるかもっすよ~?」


「両手の指をいやらしく動かさないでください、はしたないですよ」


「あはは。冗談っす。そもそも、はしたなさで言えばお嬢に余裕で負けるんで、これぐらいはノーカンっすよ」


「……それは……まぁ……はい……」


「そこはお嬢の従者である自分としては否定して欲しかったっすねぇ! 天使さんは信じないでしょうけれど、あれでもお嬢には清い乙女心あるっすよ⁉ 本当っすよ⁉」


「…………」


「何っすか、その疑いで練り固められた視線⁉」


 何はともあれ、葛城さんとの会話を終えた後、私はこの教室から出る事にしたのであった。




━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━╋━




 そして、そんな銀髪の美少女の後ろ姿をこっそりと眺めている百合園女学園の女子生徒が1人いた。


「わ、私、唯お姉様と昼食を取りながらセクハラを……!」


 そして――そんな百合園女学園の女子生徒の背後に物音1つ立てないで佇む笑顔の美少女が1人。


「ご機嫌ようっす」


「ひっ……! か、葛城さん……⁉ ご、ご機嫌よう……」


「早速で悪いんですけど……再度お話をしましょうか。裏切り者の末路についてのお話を、ね?」


「ひぃっ……⁉ ち、違うんですっ! これは言葉の綾で……! 我ら唯お姉様好き好き大好きファンクラブの妹たる者、そんな事は絶対にしませんからっ……!」


「そうっすか。なら、いいっす。今後も唯お姉様を崇め奉りましょうっす。今後とも唯お姉様にはノータッチノーセクハラ。それをちゃんと守ってくれるのであれば、寮暮らしの私が唯お姉様の秘蔵写真を公開するっす。ただ約束事は守って頂けないと、他の支援者からの反感を買うでしょう。そうなれば私の活動にも支障が出ますので、何かしらの対策を施す……そう契約の際に私はちゃんと言った筈ですし、両者の録音データも取っていたのですが……お忘れですか?」


「わ、忘れてないですっ……!」


「ご理解頂けて何より……っす。今後ともご贔屓の程、宜しくっす。心配せずとも、先の唯お姉様との会話で貴女のご所望のASMRの音声は取れましたっす。今夜中にでも編集したブツをお渡しさせて頂きますので……どうぞ他の会員の方々には御内密に。貴女と私だけの秘密っすよ?」

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