百合園家の兄と妹はどっちも両方変態
「クハハ! クハハハハ! クハハハハハハ!!!」
「おい、兄」
「クハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
「笑うな、兄」
「こうして会うのも久しぶりだな茉奈」
「いきなり落ち着くのは僕の心臓にとても悪いから止めろといつも言っているだろう、兄」
身体測定という難題を前にした私とご主人様は朝の授業が始まる前の時間に、百合園女学園の理事長――すなわち、百合園茉奈の実兄と面会する予定になっていた。
あの日の彼女が我が物顔で座っていた理事長室の椅子には遠目から見ても分かるぐらいに長身の黒一色のスーツに身を包み、僕のご主人様である百合園茉奈と瓜二つな金髪の男性が座っている。
彼は男である私から見ても――雇い主の兄君であるという事実を含んだことによる贔屓目から見てみても――かなりのイケメンであった。
なんなら、将来こういうイケメンになりたいなと私が漠然と思い描いていたような美男であり、副業でアイドルか何かをやっていらっしゃるのではないかと思う程の美形。
そんな人と、私の隣に座って優雅に紅茶を飲んでいる百合園茉奈と雰囲気がとても似ており、目の前にいる彼とご主人様は本当に兄妹なのだなという事が何となく実感できた。
「クハハ! いやはや、あの茉奈が俺の前に付き人を連れてくるとは夢には思わなかったものでな。ついついツボに入って大爆笑してしまったまでのこと……クハハハハハ!!! ……失礼、思い出し笑いだ」
「兄が変人なのは重々理解しているつもりだが、我が学園に在籍している生徒でもある天使唯さんを前にそのような態度を理事長がするのは止めて頂きたい。学校の品質にも関わってくるだろう」
「クハハ! それ茉奈が言う?」
「僕は兄と違って変態ではないからな。こうして変態を咎める権利は十二分にあるとも」
「クハハ! 鏡いる? お前、俺とめちゃくちゃ似ているぞ? 特に性格! 同じ穴の狢だな! 穴兄妹だな!」
「似てないって言ってるでしょ、この変態馬鹿兄さん! 私が兄さんみたいな変態な訳ないじゃん! 名誉棄損で訴えるよ⁉」
いや、まぁ、うん。
風呂場で私を鎖で縛っては猿ぐつわをして上下関係を叩き込むような調教をして、無理やりに私に女装させる人を変態と言うかどうかを道行く一般人にインタビューしてやりたい気持ちに陥ったが、取りあえず黙っておく事にした。
沈黙は金、多弁は銀というヤツだ。
「それにしても随分とまぁ、あの百合園茉奈とも言うべき人間が1人の人間に随分とご執心のようだ」
「な、何……? わ、悪いって言うの……⁉」
「いや、さもありなん。事情が事情ゆえに仕方がないとは思うがな。安心しろ。この理事長室は盗聴対策も万全だ。我が生徒、天使唯の秘密を口にしても構わん」
何だろう。
この兄妹たちは兄が中々の個性派の所為で、その下の妹が兄の面倒を見ているという図式が完成しているような気がしてならない。
簡単に言えば、兄がボケては妹がツッコミをするような。
いやでも、何だかんだでこのお兄さん、常識人っぽいぞ。
……いや、葛城さんのような例がいたのだから、第1印象と第2印象で決めつけるのは不味いと身をもって知ったばかりだろう、私。
「こうして腰を落ち着かせながら君と話すのは初めてだな、唯くん。改めて自己紹介させて貰おうか。俺は
「こちらこそ初めまして。改めまして天使唯です。本当にお世話になってて、どう感謝して良いものか」
「礼には及ばん。むしろ、君に対する礼と考えれば少なすぎるほどだ」
「それは私の姉……
私の姉である天使和奏は1ヵ月前に交通事故で即死してしまい、これからどう生きればよいのか路頭に迷いかけていたところを私はご主人様に救われた。
……とはいえ、流石に女装をして女学院に通うだなんて夢にも思わなかったけれど。
「我が妹の言う通り、君は和奏に似ている。本当に似ている。俺と和奏は同い年だったから、こうして君を見ると俺より幼くなった和奏が目の前に現れたようで俺個人としては色々と複雑な気持ちになる」
若いと思ってはいたが、まさか和奏姉さんと同い年……つまり、今年で25歳になるまだまだ若い人間だとは夢にも思っていなかった私は思いがけず驚いた反応をしてしまったが、彼はそんな失礼な態度を取った私に対して「クハハ」と笑って許してくれた。
「やっぱり姉は理事長とも面識があったんですね」
「面識があったというのにはいささか語弊が生じる。というのも和奏と俺は結婚する予定だった。恋人というヤツだったのだ」
「ぶふっぉぅ⁉」
先ほどまで優雅な佇まいで紅茶を飲んでいたご主人様がいきなり口に含んでいた紅茶を噴き出して、目の前にいる理事長を水浸しにてみせた。
「ちょっと⁉ 兄さん⁉ 初耳なんだけどそんな話⁉ あの和奏が、わか姉が! 兄さんみたいな変人と付き合う訳ないじゃん! 身の程弁えろよ⁉ 兄さんなんて只々顔がよくて金があって家柄がいいだけでゴミみたいな性格をしている最低男じゃん! わか姉が兄さんみたいなクズ人間に媚びる訳ないじゃん! 死んだわか姉に失礼だよその言動は!」
「クハハ! 俺が貴様の紅茶でびしょ濡れになったというのに謝罪もなしか、我が妹! クハハハハハハ!!! それでこそ我が百合園一族よ! 許す! 俺は許そう! だが俺以外の人間にそれをやらかしたら嫌われるからちゃんと謝りなさいねホント! 兄は妹のそういう所がちょっと心配だったりする!」
「そんなの常識に決まってるでしょ! そんな事よりもわか姉の話だよわか姉の! 兄さんとわか姉が結婚する予定ってそれ本当にどういう事なの⁉ 私、全然そんな事聞いてないよ⁉ どうせわか姉を脅したんでしょ⁉ うわっ最低! 無理矢理に結婚するだなんて本当に最低だよこの人間のクズ! ゴミ! カス! 死ね!」
「随分な言いようだな。そも一族の面々には伏せる予定だったから知らなくて当然ではあるのだが」
ご主人様が啞然としている私の抱えていた疑問を全て口にしてくれたおかげで、半ばパニック状態になっている私は言葉を発さなくてもよくなった。
というか……あの姉が?
結婚?
それも百合園一族で一番偉い立ち場にある当主様と?
もしそうなってしまったのであれば、目の前の理事長は私にとっての義理の兄に当たる訳で、隣で化けの皮が剝がれてぎゃあぎゃあとわめいているご主人様とは義理の兄妹という関係性になっていたのかもしれない。
「そもそも、この俺がどうして和奏という美人を放っておくと思うのだ。まだ幼い妹の面倒を見てくれている銀髪のメイド服姿の中学生の和奏はそれはそれは大変な美人でな」
「うわっ、容姿で選んだんだ……最低……」
「無論、和奏の中身の方が好みだが。おかげ様で俺の性癖は和奏になってしまった。俺は金輪際、銀髪の美人以外で興奮する予定はないと心に誓う程だ。断言してやろう、俺は天使和奏に性癖を壊された」
「妹と、わか姉の遺族の前で話すような内容じゃないよね、兄さん」
「実際、和奏に一目惚れしてしまった俺は今目の前にいる唯くんも正直に申し上げると性癖の対象内だ。むしろ、和奏と同じ血が流れているのだから興奮するなと言われてもそれは生物学的にも難しい。というのも彼は言ってしまえば生殖器が生えた和奏で――って熱ッゥウ! 我が妹よ! どうして兄である俺に対して熱々の紅茶の入ったポットを投げた⁉」
「唯ッ! 逃げて! 本当に逃げて! やっぱりコイツ変態だよ! 自分の身内だから甘く見積もっていたけど、コイツやっぱり下冷泉霧香と同じかそれ以上の変態ッ! ここにいたら唯がこのクズに襲われちゃうからここから逃げて! 早くッ!」
まさかまさかである。
まさか、この私が百合園茉奈のお兄様である百合園千風に性的な目で見られていただなんて、夢にも思うまい。
実際問題、付き合いの長いのであろう自分の兄の発言が『
「クハハ痛ハハハおい待て冗談クハハハハハ痛ァ⁉ ……クハハハハハ!!!」
「むーけーるーなー! そのいやらしい目を私の唯にむーけーるーなー!」
「クハハハハハハ!!! おい待てボールペンで眼球をぶっ刺すのは流石に兄はどうかと痛ァァァァアアアアクハハハハハハ!!! 誰か助けて!!!」
「というか、兄さん! 本当にわか姉が大切ならそんな冗談言うのは流石にどうなの⁉ わか姉はわか姉で、唯は唯でしょ⁉」
「クハハハハハハ!!! 正論だな。誠に申し訳ない」
仲睦まじい兄妹喧嘩を目の前で見せられた僕としては彼らの諍いに対して、苦笑を返す事しか出来なかったと同時に、この兄妹たち2人はどっちも銀髪の美少女――いや、私はまごう事無き男である事実はお嬢様自身も知っている筈なのに――が性癖であるらしく、今後ともいろいろ警戒していこうと自分自身に誓った。
「それにしても理事長は私の姉と結婚する気だったんですね。驚きました。姉は全然そういう事を言っていなかったもので」
「あぁ。和奏に一目惚れをした俺は彼女と一緒にいたいが為に彼女の通う高校に無理を言って通っていたからな。その時に和奏は厭々ながら俺に付き従い、何だかんだで俺と和奏は心を通わせたのだ」
「凄いね。兄さんの妄想は」
「凄いだろう! クハハハハハハ!!! ちなみにそれ実話」
「いきなり大笑いした後に冷静になるの本当に止めてくれない? というか、兄さんの頭本当に大丈夫? もしかしてわか姉が死んだショックで錯乱状態なの?」
「ほぅ? 我が妹よ。一体この俺の説明の何処に不可解な点があったというのだ? 発言を許す。疾く言え」
「兄さんはわか姉と一緒にいたいが為にわか姉の通う学校に行ったという点に決まっているでしょ。わか姉はね、ここの卒業生だよ? 百合園女学園のOGなの。此処は女学園で、兄さんは男。そんな男性の兄さんがわか姉のいる女学園に通っている訳ないじゃん。男は女学園に入れないんだよ? そんな事も知らないのによく大学卒業できて理事長してるね。小学校からやり直したらどうなのかな、この変態」
「妹よ。人を否定する前にまずは己自身を省みるのも大事だぞ。貴様、自分から男子を女学園に入れているではないか」
理事長にしてご主人様のお兄様の言う通りだった。
ご主人様は自分が言う馬鹿な行為を無自覚にしていらっしゃるというのに、よくもまぁ他人を否定できるものだ。
もしかして、ご主人様は私が男子であるという当たり前の事実を忘れているのか?
一応、忘れかけているかもしれませんけれど私は男です。
何度でも言います。
私は、男です。
「だが、ククク。それぐらいは理詰めで解けるような疑問であろうよ。よく考えてみればすぐに解けるような内容だ」
「理詰め? あぁ、未来の理事長様特権とやら? 周囲は女の子で自分1人だけが男っていうハーレムを作った訳だ。普通に最低」
「そんな事をしたら百合園一族末代まで名を残すほどの愚行でしかない。そもそも、そんな事をしたら我が学園に生徒を預ける保護者の反感を買いかねない。そんな事をこの俺がする訳がないだろう」
「だったら、どうやって――」
「――答えならば、貴様の隣に座っている男がいるじゃないか。なぁ、唯くん?」
「ぶふっぉぉぉぅ⁉ ごほっ、ごほっ、ごほっ⁉ ちょ、待っ、に、に、に、兄さん⁉ いや本当に何をしてるの兄さん⁉ それこそ百合園一族末代まで名を残すほどの超愚行なんだけど⁉」
理事長にしてお兄様である彼の言葉の真意に気づいたのであろうご主人様がまたもや口から紅茶を吐き出しては、思い切りむせた。
おかげ様でまたお兄様の高級そうなスーツはびしょ濡れであるし、ご主人様の気管に紅茶が入り込んでしまったら誤飲性肺炎になってしまうではないか、と私は他人事のように思いながら慌てふためくご主人様を見守っていた。
「キモッ! うわ、キモッ! キモキモキモキモキモォォォ!!! こんな気持ち悪いのが自分の兄だなんて本当信じられない! 何をのんびりしているの唯! こいつ本当に変態だよ⁉ 大変態だよ⁉ 超変態だよ⁉ 早くここから逃げないとそろそろ唯がヤバいって! 私、唯と兄さんがBLする瞬間とか見たくないんだけど!」
「落ち着いてください。今回は理事長に相談事があってこちらに来た訳なのですからそのような行為は大変に失礼な事だと思うのですが」
「悠長な事を言わない! もしかして唯はまだ気づいていないの⁉」
「何をでしょう」
「この人、一目惚れしたわか姉と同級生になろうとして女装しやがったんだよ⁉ 女装して女学園に入り込んでわか姉に近づいたんだよ⁉ キモい! うちの兄さんが本ッ当にキモい!」
……まぁ、薄々は感づいていたのだけど。
正直に言うと、ご主人様が感づいて紅茶を吹き出す前よりも私はその事に早くに気づいていた。
私の入学を勧めたのはお嬢様であるけれども、それを承認したのは目の前にいる理事長である。
いくら血の繋がった妹と言えども女学園に男子を編入させたいだなんていうワガママは普通に考えても通る訳がない。
だが実際問題として、それが通ってしまっている。
であるのなら、何かしら前例があっただとか、ただ単に理事長がシスコンのどちらかだと踏んでいたのだが……まさか本当に前者であるだなんて夢にも思っていなかった。
「クハハ! 俺の女装に感づいた和奏にも気持ち悪いと言われた。クハハハハハハハハハハハハハハハハ!!! 俺は生まれて初めて女子に泣かされた。おかげ様で美人に嫌そうな顔で蔑まれるだけで気持ちが良くなってしまう体質にさせられた」
「だから大爆笑した後に冷静になるの本当に止めてくんない⁉ 本当に気持ち悪い! 生理的に無理! 本当に無理! わか姉もわか姉だよ! どうしてこんな気持ち悪いのと恋心を育んだ訳なのわか姉! もっとマシな人いたでしょ⁉ なんで選んだのこんなゲテモノを⁉ それとも兄さんがわか姉に何か脅迫でもしたの⁉ そうしたんでしょこの卑怯者! こんなのが身内ってだけでも死にたくなる! 兄さんなんて顔が良くて金があって仕事が出来る程度のクソ男じゃん! そんなのがわか姉に釣り合う訳ないでしょ! ばーか! ばーか! ばぁぁぁぁぅぅぅぅか!!!」
「クハハハハハハハハハハハハハハハハ!!! お前は褒めているのか貶しているのかどっちなのだ」
本当に仲の宜しい兄妹だなぁ、と私は思いながら、なるべくこちらに被害がやってこないように気配を殺しながら静かに紅茶を啜っていること、10分。
昼休みの終わりを告げる鐘の音が無情にも……いや、有情にも鳴り響いたおかげで、彼女たちの微笑ましい会話を中断させてくれた。
「ふむ? もうこんな時間か。俺はこの後、当学園にお世話になっている御偉方に挨拶する予定があるから席を外すが……肝心の話をまだ聞いていなかった。簡潔に答えてやるから話せ、妹」
「……今週、生徒全員を対象とした身体測定がある。当然ながら女装をした唯も対象に入る。故に兄の女装経験から得られた助言、あるいは裏から手を回して欲しい。それぐらい出来るだろう、理事長殿」
流石にお忙しい理事長の時間をこれ以上割く事はもう出来ないと肌で感じているのであろう茉奈お嬢様はいつも通りの男言葉で素っ気なく、けれども簡潔に要件を述べてみせた。
「身体測定、か。ククク! 懐かしいものだ。俺もあの3年の間、アレには苦労させられたからな」
「我が兄が妹に隠れて女装をしていたという事実は流石に気色が悪いが、逆に言えば3年もの間、この僕にも感づかれないほどの隠蔽工作をしていたであろうことは想像に難くない。どうかその力と知恵を貸してはくれないか」
「ククク。良い慧眼だ、悪くない。無論、人生の先達者であるこの俺がやってきたことをお前たちに伝授してやろう。なぁに、もちろん業者の方にも手を回す。だが、この俺があの3年間に培ってきた必勝法を身につけさえすれば、天使唯の女装生活は盤石なモノとなるだろうよ」
「ほぅ。それは何だ兄」
そう問い合わせてみたご主人様だが。
「――は?」
その驚天動地な奇策を耳にしたご主人様の手から高級そうなティーカップが床に落ちては割れる音が理事長室に響いたと同時に、ご主人様は顔と耳まで真っ赤にして、女の子らしい可愛い悲鳴をあげていた。
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