嘘つきと、噓つきと、噓つきの、最初の晩餐(2/2)

 下冷泉霧香は私の幼馴染だ。


 それも私が孤児院でお世話になっていた時からの幼馴染であり、10年もの間ずっと私に初恋という感情を未だに抱え続けていてくれるような――だけど、男という正体を隠そうとする今の私にとっては、余りにも都合が悪すぎる存在であった。


 だからこそ、敢えて、彼女との思い出の一品であるティラミスを作ってみた。

 

 君子危うきに近寄らず。

 そうは言うけれども、だからといって自分自身の脅威から逃げ出すだなんてことはしたくないし、私なんかの面倒を見てくださるご主人様がいるというのに『』で妥協してしまうのは許容しがたい。


 これは主犯である自分の問題だけでなく、共犯者でもある百合園茉奈の問題でもある。


 だからこそ、完璧に騙さねばならない。


「フ」


 そして、下冷泉霧香は勘が良い節がある。


 どんな隠し事をしていてもバレてしまいそうな、そもそも隠し事をしている筈なのにどうした訳か知らず知らずのうちに知っていそうな、そんな雰囲気を醸し出している人間が彼女。


 そんな彼女に『危険だから』という理由で近づかないことがなのではないか……そう思わせるほどの危険人物だからこそ、敢えてこちら側から近づくまでの事。


「……」


「フ」


 いつものように薄ら笑いを零す彼女だが……正直なところ、私自身、彼女の事を悪く思っているつもりは毛頭ない。


 むしろ、あの時の男の子に対して初恋の感情を持ち続けているという一途な思いは尊敬するべきだと思うし、変態的な言動ばかりする所為で誤魔化されてしまうけれども、髪紐をプレゼントする等とそれとなく気遣いをしてくれる彼女を好ましく思ってもいる。


 そもそもの話として――


 だからこそ、私は彼女を騙す必要性がある。


 自分は女性であり、あの時の男の子とは別人なのであると彼女自身に――この上なく残酷な事なのだろうけれど――認めさせるのだ。


「おい君たち。勝手に喋って勝手に黙るのは実に構わないのだが、その美味しそうなティラミスをお預けされている僕の身にもなってくれないか。勝手に全部食べてもいいんだぞ?」


 一瞬の膠着状態に陥っていた食卓の時計の針を進めさせるべく、いつも通りの声を発したのは百合園茉奈だった。


 彼女は私という異物おとこを女子寮と女学園に招き入れている共犯者である以上、下冷泉霧香に僕の女装がバレてしまえば彼女の立ち位置は確実に危うくなる。


 そうなってしまえば、天涯孤独の学生を保護してくれる心優しいお嬢様という評価は一転して、自分の権力で男性を招き入れ保護者たちの信頼を裏切ったどころか歴史に名を残す百合園の名前に泥を塗った愚者として後ろ指を差されても何らおかしくない。


「フ。ところで茉奈さんは食後の胃薬を忘れていないかしら。いつもいつも昼食を食べ終えた後は胃薬を飲んでいたけれど」


「心配無用。そもそもデザートをまだ食べていないじゃないか。まさか折角のデザートを前にして胃薬を飲めだなんて、先輩は実に意地悪だな?」


 今も冷静に振る舞って綺麗な表情のままでいるけれども、分かる。

 

 ご主人様の心臓は私以上に拍動し、いつも痛めている胃が更に痛くなっているのは見ているだけでも分かってしまう。


 ――本当に私たちはあの下冷泉霧香を騙し通すことが果たして出来るのか?


 下冷泉霧香は演劇部の部長を務めるような人間で、言ってしまえば嘘をつくことに関してはとんでもないほどのスペシャリストなのに?


「……」


 1度でもそういう事を考える度に不安がどんどん湧いてしまいそうになるが、どうにかしてその気持ちを必死に押さえつけて表情にも、行動にも出ないように意志を保つ。


「フ。それはそうね。ごめんなさいね2人とも。つまらない事で話を長引かせてしまって。さ、早くティラミスを食べましょ?」


 彼女がそう言うのと同時に身体の震えを押し殺しながら、ティラミスが入ったカップを下冷泉霧香の前に1つ置き、同じ要領で私とお嬢様の分を置いてから3人分の銀色のスプーンを食卓の上に並べる。


 デザートを更に美味しく頂く為に、温められた紅茶が入ったポットを取り出し、食器棚にあった見るからに高級そうなカップに注ごうとしたその瞬間、下冷泉霧香はとても意外そうな声を出してみせた。


「フ。セーヴル。珍しいわね。確か国賓とかに出されるレベルの貴重品で幻の陶磁器って言われる代物よね。まさかこうして肉眼で見れるだなんて夢にも思わなかった」


「おや、分かるのか? ふふん、それは僕のお気に入りでな。この前の誕生日で300万円のティーセットとして購入したもので……おい、どうしてそれをしまうんだ、君」


「割れたら怖いので別のモノにしましょう、ご主人様」


「そんな貴重品よりも、目の前にいる1人の方が大切に決まっているだろうに。まぁ、それならその食器棚の左から3番目、上から5段目……そう、その棚。そこから棚の茶器を出してくれ。ふふ、この茶器はイギリス王室御用達の……」


「安物の茶器は無いのでしょうか」


「僕の含蓄の最中に口を挟むな。そもそも、安物なんてあるわけないだろう。ここは百合園家の管轄する邸だぞ。食事の時に使った食器だって決して安くない」


「フ。それは本当。唯お姉様の料理を盛った大皿だって確か明治初期か江戸後期に作られた食器だった筈」


「ほぅ、中々見る目があるじゃないか」


「フ。これでも明治時代の頃から続く令嬢なものだから」


「そうかそうか。それなら色々と先輩とは話が合いそうだ。というのもアンティークは僕の趣味でね。特に明治時代の年代物は実に良い。大正時代も良いが……江戸時代と大正時代を割ったような異国感がある明治時代は中々どうして趣がある」


 ――調理中に皿だけは絶対に割ってはいけない。


 そう心から決心した私はお嬢様が教えてくれた比較的歴史的価値が浅いらしい茶器で妥協し、それでも恐る恐る、静かに飲み物を注ぐ。


 絶対に割らないという心づもりで各々方に茶器を配り、思わず嘆息をしながら私も椅子に座る。


「フ。ところで唯お姉様が今座った椅子も軽く10万はするような値打ち物よ」


「……ひぇっ⁉」


「フ。嘘よ。ねぇ、茉奈さん」


「そうだぞ、唯。流石にそれで10万はしない。せいぜい5万ぐらいだ」


「……た、高い、です、ね……?」


「壊したら君の身体で弁償して貰おうか」


「フ。茉奈さんにしては良い趣味をしてるわね。私も唯お姉様の身体のご相伴に預かってもいいかしら」


「駄目だ。唯の身体は僕のモノだからな」


「ほ、程々にお願いしますね……?」


 思わず庶民的な態度を取ってしまった私ではあるけれども……その内心は『しまった』という後悔よりも『ラッキーだ』という気持ちの割合の方が大きかった。


 幸か不幸か、私が庶民であるという事を隠していなかったおかげか、法外な値段の茶器によってというアピールを知らず知らずのうちに出来てしまったのだ。


 皮肉な事にも、警戒すべき下冷泉霧香の観察眼に自分自身が助けられてしまった訳なのだけども……余りにも驚異的な彼女の洞察力に対して、今更ながらに冷や汗の感覚を覚えてしまう。


「お待たせしました皆さん。それじゃあ食べましょうか、ティラミス」


 話題を逸らせるべく、場を掌握しているのは自分なのだと再確認させるべく、私がそう口にしたと同時に彼女たちは静かに、けれどとても華麗で優雅な立ち振る舞いで銀色の匙を手にすると、各々がティラミスを掬うとそれをぷるりと膨らんだ唇に近づけると、静かに口の中に入れてはゆっくりと咀嚼していく。


「……うまぁ……!」


 先に反応を示したのはやはりご主人様であった。


 彼女は下冷泉霧香の反応を見て、色々な判断を示さないといけないだろうにあろうことか彼女は目を閉じてティラミスの味を楽しんでいる始末であった。


 いや、まぁ、作った身としてはそれは最大級に嬉しい行いではあるのですが。


「…………」


 その一方で下冷泉霧香もまた目を閉じて、ゆっくりと何回も咀嚼を繰り返していた。


 まるで昔の味を懐かしむような――いや、断言してもいい。


 


(……死んだ和奏姉さんも、あんな顔してた……母さんが死んだ所為で2度と食べられない料理と、いつでも食べられる私の作った料理を……比べる時の顔……)


 何度も何度も姉に料理を作って、以前に作った料理よりも美味しくなれているかどうかを姉の横顔をまじまじと覗き込んで観察に観察を重ねてきた私だからこそ、いや、料理を作り続けてきた人間だからこそ、その表情には心当たりがあるし、見覚えもある。


 彼女の表情は、言葉を発していないというのにとても雄弁だ。


 彼女の言葉なき言葉を少しでも察する事が出来たのは、私が和奏姉さんの弟だったからこそだった。


「…………」


 下冷泉霧香はご主人様と違ってすぐには感想を述べなかった。


 まだ述べるつもりがないのか、はたまた述べる余裕すらもないのか……分からないままに彼女は黙々とティラミスを食する。


 彼女はひたすら無言のまま、銀色のスプーンを操って、ひたすらにティラミスを食べ進め、ついにはティラミスを完食してみせた。


「フ。2番目」


「え?」


 今までだんまりであった彼女がいきなりそんな言葉を言い出したものだから、私は思わず驚きの余りにそんな声を出してしまっていた。


「フ。ごめんなさい、唯お姉様。唯お姉様は結婚するぐらいに好きだし、唯お姉様が作ってくれたティラミスも美味しかったけど、2番目」


「……それは、どういう……?」


「あらやだ。皆まで言わせるつもりだなんて唯お姉様ったらドSで素敵。今日の昼休みに話したと思うのだけどね、私の初恋事情」


 いつものような薄ら笑みを浮かべて。

 だけど、どこか物寂しそうな笑みさえを浮かべている彼女は空になった容器にスプーンを投げ入れると、優雅な動作で紅茶用の高級カップに注がれた紅茶に口を付ける。


「フ。正直に告白すると、私は唯お姉様と初恋の男の子を結び付けていたの。勝手にね。性別がそもそも違うけれど、髪が大好きなあの子と同じ銀髪だったから……失礼な話だとは思うのだけど、私は唯お姉様を通してあの子を見ていたの。本当に最低な女よね、私」


 やはり、彼女はあの日の私と、今の私を結び付けていた。


 過去の自分と今の自分の大きな差異は『性別』であり、彼女の優れた観察眼が見落としてしまったのもまた『性別』なのであった。


「フ。だけど、うん。このティラミスを食べてよく分かった。あの子と唯お姉様は全くの別人。だって唯お姉様のティラミスはとっても美味しいのだから」


 彼女が真実を誤認したという事実に安堵の感情を覚えるのと同時に、形容できないような後悔に似た感情が胸の中で渦を巻く。


 その男の子が私なのだと口を大にして言いたい気持ちも、無くはない。


 だけど、私の危険な生活を少しでも盤石なものにしたいという打算的な思いの方を勝らせる必要があるのだと、理性が主張している。


 そして、


 だって、女学園に、女子寮に、男がいて良いだなんていう話はあってはならないのだから。


 だから、

 

「私はあくまであの子の作ったティラミスが1番好き。どんなに料理が上手な人が作ったとしても、どんなに優れた具材で作ったとしても……私はあの時に食べたティラミスが世界で1番好き。それだけは下冷泉霧香として譲れないし、譲りたくない。だけど、勘違いしないで」


「……勘違い?」


「そう。そもそもが違うの。私の好きなティラミスは言ってしまえば思い出補正がかかった味。比べようにも比べようがない味で、どんなティラミスであろうとも勝ちようがない味。それこそ、下冷泉霧香としての記憶を失わない限り永遠に変わらない味。だから、唯お姉様と色々と条件が違いすぎるのよ」


「それは、そうかもですけど」


「もしも、唯お姉様が今作ってくれたティラミスが最初に食べた味だったらそれは間違いなく思い出の味になっていた。それだけは誤魔化さないわ」


 いつものように不敵な薄笑いを浮かべる彼女はそう口にしながらも、目の前にいる私を母性溢れるような柔らかくも温かい視線で見てくれて……私は思わず胸が高鳴ってしまった。


「……フ。私のキャラじゃない話をしたけど好感度が滅茶苦茶に稼げたわね……! グヘヘ……ブヒヒ……! これは下冷泉霧香ルート待ったなし……! 唯お姉様の処女膜は100%私のモノね……! フ。フフ。フフフのフ……はっ! しまった、この独り言を聞かれたら折角稼いだ好感度が水の泡! そういう訳で世界で2番目に美味しいティラミスを作れる唯お姉様は今後とも宜しく。えっちな美少女同士、仲良くしましょ? まずは処女膜を破る事前提の百合セックスフレンドの関係から始めましょう」


 かくして晩餐会は終わりを告げた。

 考える限りの最良の結果を手に入れる事が出来た私たちは下冷泉霧香がご馳走様の挨拶をして退室したのを見送ってから、2人同時に大きすぎる安堵の溜め息を吐き出し続けた。


 長い長い、百合園女学園での女装生活初日が、ようやく終わりを迎えたのであった。



























━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━╋━




「……フ。何の用かしら? 葛城かつらぎの電話はいつも長くなっちゃうから50文字以内で要件を伝えて」


『独断による調査の結果、使と判明しました』


「――フ。あらやだ面白い性的冗談。私、そういうの大好き」


『冗談ではありませんよ霧香お嬢様。天使唯という人物が不自然であったのであの手この手で調べました。彼の過去をまとめた推定の履歴書をPDFとして送信させて頂きます。どうかお目通しの程をお願いします』


「フ。葛城は有能ね。だけど、しなくていい。天使唯が男性っていうのは、とっくの昔に気付いてる。それを知った上で私は彼と暮らすつもりだから」

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