嘘つきと、噓つきと、噓つきの、最初の晩餐(1/2)
「――贅沢すぎない? 何このご馳走? いいの? 本当に食べていいの? やっぱり食べるなとか言われたら私、泣いちゃうよ?」
「素。誉れ高き百合園一族に相応しくないとご自分で仰った素が出てますよご主人様」
「うへへ……! 私の好きなご飯がいっぱいだぁ……! 今日も理事長代理頑張って良かったー!」
私がそんな注意をしたというのにも関わらず、百合園女学園第1寮の最高責任者でもあるご主人様こと百合園茉奈は目をキラキラに輝かせながら、食卓のテーブルの上の料理を見つめており、このまま黙っていたら勝手に食べてしまいそうな雰囲気を放っていた。
とても、先ほど私が下冷泉霧香と一緒に仕事終わりのご主人様を出迎えた時はとんでもなく不機嫌だったとは思えないほどの浮かれっぷりであった。
「フ。横で調理風景を観察をしていた私がドン引きしてしまうぐらいの熟練っぷりだったわ。ところで唯お姉様は下冷泉家本邸のお抱えの料理人とかに興味あったりしない? 今の雇われている倍の金額を積むけれど」
「謹んでお断り致します」
「フ。予想通り笑顔で拒否された。ゾクゾクする」
「ほら、子供じゃないんですから早く座ってくださいご主人様。料理が冷めちゃいますよ」
「はーい! ……ではなく! こほん、座らせて頂こう。ところで、唯の髪型が変わっているようだが一体何があった? いや、凄く似合っているが……うん、随分と綺麗な髪紐だな。唯の銀髪によく似合っている」
咳払いをして、いつもの男言葉による威厳たっぷりな百合園一族に相応しい喋り方をする彼女の興味は私の髪型に移行したので、問われた私は特に何も考えずに事実を口にした。
「これですか? 先輩から頂いた髪紐です」
「――――は?」
私がそれとなくそう言った瞬間、お嬢様は凍りついたように微動だしなくなり、その代わりにとでも言うように下冷泉霧香は「フ」と勝ち誇ったような笑い声を零した。
「……ふーん……ふぅん……ふぅぅぅぅぅぅぅん……そっか、そっか……そうなんだぁ……唯は自分が誰のものだっていう自覚がまだないのかなぁ……まだ調教が足りていなかったのかなぁ……」
「あの、ご主人様? 何をブツブツを言って……?」
「フ。あれは嫉妬よ。自分だけの従者に私がマーキングをしたものだから、ちょっと胸の中がモヤモヤしてるだけ。それはそれとして今の唯お姉様の髪型は好きよりの好きだから何とも言えないだけ。要するに髪紐で自分好みの髪型にするっていう発想が湧いて出てこなかった自分に自己嫌悪してるだけ。かわいいわね」
「なるほど、嫉妬」
「は? 全然違うが? 全く違うが? びっくりするぐらい違うが? 僕はそんな事を全く思っていないが? 僕の従者がまさか他の女から貰った髪紐を使っていたから拗ねるだとか有り得ないんだが?」
そんな嫉妬の炎に燃えている瞳を向けられながら、そんな言い訳を聞かされたら、却って逆効果になるという事をこの人はどうして気づかないのだろうか。
とはいえ、この髪紐は何だかんだで便利だから、料理中なら毎日この紐を使って髪をまとめようと思ってはいたのだが、自分の雇い主があんなに不機嫌になるぐらいなら、髪紐をつけるタイミングは今後から気を付けるべきなのかもしれない。
そう考えながらこの髪紐を私にくれた下冷泉霧香に視線を向けると、ちょうど彼女と視線が交わり、彼女はニンマリとした薄ら笑いを浮かべてきたので、私はそんな彼女と軽く微笑み合う事にした。
「解せぬ。どうして唯と先輩が仲良くなっているんだ。今日会ったばかりの人間だろう」
「流石に厨房で一緒に行動を共にしたら何となくは分かりますよ。この人は普通に信頼してもいい変態メス豚先輩です。安心してください」
「唯は本当に信頼しているのか、それ……?」
お嬢様の呟きはもっともなのかもしれないけれど、私自身は下冷泉霧香を信頼してもいいのではないかと思い始めているのが実の所だ。
ここでいう信頼とは、下冷泉霧香は私の秘密……女装をしている事に気づいているか、気づいていないかの件だ。
結論から言えば、個人的には下冷泉霧香は自分の女装に気づいていない、と断言してもいいぐらいだけど……事実はまだ不明瞭で、確定ではなく推定でしかない。
今の今まで、彼女がどっちなのかが分からなかったので、先ほどのキッチンの横に立たせて彼女の様子を伺いながら料理を行っていたのだが、彼女は私に対してこれと言ったアクションを起こす事はついぞなかった。
彼女は本当に女性として私を慕ってくれているのではないか……女性同士の付き合いをしたいのではないか……そう判断してもいいぐらいに振る舞っていて、異性に対して見られるような遠慮というものが全くなかった。
「フ。唯お姉様が私を妹だと認めてくれて嬉しい」
「認めてません。こんな妹は願い下げです。そもそも私よりも年上ですよね下冷泉先輩。いや、先輩だとしてもこんな姉は私には願い下げですけどね」
「フ。女に年齢の話は止めて。女はいつだって夢を見たいの。唯お姉様よりも1歳下になりたいの」
「そうですか。なら、さっさと人生やり直してください」
「フ。まさか遠回しに死ねと言われるだなんて……こんなのとっても興奮するじゃないの……!」
「という訳で先輩は肉体的には無害な変態です。精神的には有害なのが玉に瑕ですけどね。本当、セクハラしなければ良い人ですよこのメス豚先輩」
「ブヒ」
「……どういう訳だ……?」
「フ。唯お姉様に警戒されて私は悲しいけれど、それはそれとしてドMだから嬉しいという訳」
「……本当に、どういう訳……?」
困惑に困惑を重ねたような表情を浮かべながら「訳分かんなくて胃が痛くなってきた」と本当に苦しそうな声をお出しになられたので、この事についてはそろそろ言及するのを止める事にする。
「まぁ、長話になりますからそろそろこの辺で終わらせましょう。ほら、お嬢様も早く座ってください」
そうこうしているうちに私たち3人は長方形のテーブルに座る事になったのだが……どうした事か、私の真横の左側に下冷泉霧香が、その反対側にお嬢様がさも当然という表情を浮かべながら、当たり前のように私を挟むように座ってきたのであった。
「……あの? 反対側のテーブル空いてますよ? そっち側に座りません?」
「フ。茉奈さんが行けばいいでしょう? 唯お姉様の隣は妹である私の指定席」
「先輩が向こうに行けばいいだけの話だろう。唯の隣は雇い主である僕の席だ」
「私の作ったご飯の前で喧嘩をするだなんて、お2人とも良い度胸してますね?」
もうこれ以上言及するのは止めておこう。
言及したところで私が疲れるだけだし、時間が浪費するだけなので本当に意味がないのは想像に難くないし、逆に私が向こう側に避難したところで彼女たちが隣に移動するだけだから逃げても無駄。
そもそも出来立てほやほやの料理をこれ以上冷ますのは作り手である私にとっても我慢ならない事であった。
「さて、それじゃ……」
そんな合図を僕が発しただけで、美人なお嬢様2人は静かに、そして優雅に両の手を合わせると、打ち合わせをした訳でもないのにお決まりの言葉を全く同じタイミングで口にした。
「いただきます」
━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━╋━
「お粗末様でした。ちょっと量が少なすぎましたかね?」
「フ。御馳走様でした。私個人としては充分満足……と言いたいところだけど、茉奈さんは満足じゃなさそうみたいね」
いつものような薄ら笑みを浮かべながら、そんな事を口にしてみせる下冷泉霧香の言う通り、一番食べる量が多かったのは私の雇い主であるご主人様であり、何なら下冷泉霧香が比較的スローペースに食べていた所為で、ハイペースにもぐもぐと食べ進めていたご主人様の所為で一番食べる量が少なかったまである。
だがしかし、そんな事にも気が付いていない当事者はとても幸せそうな笑みを浮かべながら食後の余韻に浸っていたものだから、やはりここでの食事は作りすぎが1番良い結果になるのかもしれない……残りすぎるのも困りものだけど、食べ盛りの人がいるから問題はなさそうに思える。
「さて、それでは作っておいたデザートでも用意するといたしましょうか」
「え? デザート⁉ やったー! ……ではなく、ほぅ、デザートも作っていたのか。素晴らしい働きぶりだ。後でボーナス給与を与えよう」
デザートを作っただけでボーナスが貰えるだなんて余りにも緩すぎる労働環境だなぁと思いつつも、椅子から立ち上がり、夕食を作る前に作っておいた秘密兵器を冷蔵庫から取り出す。
「…………」
あの下冷泉霧香が動揺した気がした。
予め彼女が何かしらの反応を示すだろうと予想して、尚且つかなり注意しないと見逃してしまうような余りにも些細すぎる変化ではあったけれども……取り出したデザートを目の当たりにした彼女は確かに、全くわざとらしくなく、本当に驚いたと言わんばかりに反応し、すぐさまその反応を無かった事にさせていた。
「それで唯。今日はどんなデザートを作ったんだ?」
「ティラミスです」
ティラミス。
それはイタリア語で『私を元気にして』という意味を持ち、下冷泉霧香にとっては『初恋の男の子が作ってくれた思い出の料理』という意味を持つデザートであった。
「凄いな。ティラミスって1日で出来るものなのか?」
「材料さえ揃っていれば案外簡単ですよ」
「……どうしてそんな事をわざわざ?」
驚きかあるいは興味からか目をまんまるにしてはティラミスを覗き込むご主人様とは対照的に、下冷泉霧香はティラミスではなく私の瞳を見ながら問うていた。
詰問される雰囲気でも、理解できないという雰囲気でもなく、かといって困惑極まりないという雰囲気でもない彼女は……本当に物静かな雰囲気でそんな疑問を口にしていた。
「あれ? もしかしてご自分の発言をお忘れになられたんですか?」
「発言?」
「今日の夕食のデザートにティラミスを作らないと私の処女膜を奪う……そう言ったのは下冷泉先輩じゃないですか。だから頑張ってティラミスを作ったのに、忘れてるだなんてひどいなぁ」
「…………」
あの下冷泉霧香が、いつも冷静に人をおちょくる下冷泉霧香が、慌てているような気がした。
というのも、彼女はいつもいつも話す前には「フ」だなんていう余裕たっぷりな薄ら笑いを発してから言葉を発するというのに、今の彼女にはそんな笑い声をあげてすらもいない。
もちろん、そうやって笑うのが『下冷泉霧香が意識的に作っているキャラ』の特徴であればの話であるという注意書きがあるけれども……それでも私の解釈はさほど間違っていないような気がしなかった。
「……確かに言ったわね。フ。困った。これじゃいつまで経っても唯お姉様に下手なワガママが言えない気がしてきた」
そんな彼女の目の前に自家製のティラミスが入ったカップとスプーンを用意する訳だが、当然、用意するこちらとしても大変に胸がバクバクと脈動している。
冗談抜きで心臓が破裂してしまいそうなほどに動き回っていて、緊張と痛みが襲い掛かっているというのに、頭だけはやけに冴えていて、本当に変な気分になる。
「フ。どうしたのかしら唯お姉様? まるで初夜を迎える処女のようにカチコチに緊張して。見ているこっちが興奮してしまいそうになる」
そして、そんな私に対して下冷泉霧香はすぐさまいつもの様子に戻り、見慣れてしまった薄ら笑いを浮かべては性的な冗談を用いてきた。
「緊張するに決まっているじゃないですか。このティラミスはついさっきレシピと睨めっこしながら産まれて初めて作った料理なんですから。美味しくないと言われたらどうしようかなと思うとどうしても緊張して」
「フ。道理。確かに私も慣れない役で劇場に立つときは初めて演技をした時のように緊張する。それにしても、やっぱり唯お姉様は料理のセンスがあるのね。まるで産まれて初めて作ったようには見えない素敵なティラミスね?」
――動揺するな。
ここは文字通りに受け止めて、彼女の言葉の裏に気づいたフリをしてはならない。
裏なんて最初からないのかもしれないけれど、文字通り、生まれて初めて作ったとは思えないティラミスを褒めてくれたのだと考えろ。
深呼吸をしないように、深呼吸をして。
ひきつった笑みにならないように、女性らしい笑みを浮かべて。
女性として、彼女の言うところの唯お姉様としてのキャラクターを守る事だけを考えろ。
お嬢様の言葉を借りる訳じゃないけれども、胃が本当に痛い。
だけど、この難所を乗り切らないといけない。
危険だという事は重々分かっている。
危険すぎる賭けというのも本当に分かり尽くしているつもりだ。
だからこそ、この難所を嘘で乗り切ることさえ出来れば、それでいい。
今、この瞬間で、下冷泉霧香が『昔の初恋の男の子である自分』と『今目の前にいる女性としての自分』を結び付けているのか、いないのかを見極める――!
「さぁ、どうぞ召し上がってください下冷泉先輩?」
バレたら、終わる。
バレなければ、終わらない。
嘘がいけない事だって、そんなのは分かっている。分かりきっている。
だけど、それでも、私は――!
「フ」
わざわざ女装をしてお嬢様学園に忍び込むような噓つき人間と、噓つき合戦をしようじゃないか、下冷泉霧香……!
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