噓つきと、噓つきと、噓つきと、噓つき。
「――よし。これで完成、っと」
百合園女学園第1寮。
色々と訳ありの私が今日から住むことになったこの寮の外装を一言で言うのであれば『洋館』。
金持ちの道楽で建てるような洋館ではなく、大体100年前の大正時代に建てられたという歴史ある古い洋館……という事を、この寮の最高責任者である百合園茉奈から聞いた事を何回も思い出しながら、下冷泉霧香を攻略する為の切り札の一品を作り終える。
そして、先ほど業務スーパーで購入したばかりの食材である豚肉と春キャベツを台所の上に並べ、長年もの付き合いであるエプロンを百合園女学園の指定制服の上から紐をきつく結ぶ。
制服以外の服がないのかという話になるのだけど、私は女性モノの衣服を持ってはいない……というか、持って堪るか。私は男だぞ、男の子だぞ。
「……ぐ、むむむ……やっぱり髪の毛が邪魔……目に髪が入るし料理に髪入るし……うぅ、切ろうかな……いや、切っちゃ駄目だよね……短い髪の女の子って……うん……」
認めたくないとはいえ、私の見た目は完全に女子だ。
だがしかし、それでも僕は男であるので、女性の肉体とは違った箇所がたくさんある訳なので、僕は予め演劇で使うようなシリコン製の増胸パットを胸部に直接貼り付けたり、髪はウィッグではなく自前で少し伸ばしていたりなどと言った努力を行っている。
基本的に髪型はお嬢様が贔屓にしている美容院で整えたし、姉の髪の手入れをしていた時期もあったのでそっち方面の知識も髪質も女子に負けない程度にはあるつもりだが……やはり男子だとバレないようにと、気持ち若干長めに伸ばしていた髪はいざ料理をすると鬱陶しくて仕方がない。
ミディアムヘア、あるいはセミロングヘアに整えた自分の髪は具材を切ろうと集中したその瞬間に前髪が顔にかかるのが非常に億劫で――。
「フ。宜しければ私の髪紐でも使う? 安心して。新品よ。絶対に新品だから。本当に新品だから。安心して使って。本当の本当に新品だから」
「――ひゃぁん⁉ だ、だ、だ、誰ですかっ……⁉」
そんなこんなで考え事に耽っていたら、いきなり背後からの髪紐使えコールを掛けてきた存在が現れ、髪の毛を弄っていた私は女の子のような情けない悲鳴を出してしまう。
今、包丁を持っていたら自分の指を切ってしまうぐらいに驚いていただろうな、と冷や汗を流しつつも、この人は私が包丁を持っているかどうかを自分の目で見てから声を掛けるか掛けないかの判断が出来る人だろうと1人で納得した。
「せ、先輩でしたか。も、もうっ……後ろから驚かすのは金輪際止めてくださいっ!」
「フ。善処する」
「本当にお願いしますね? 本当に危ないですから……!」
「フ。怒る唯お姉様が可愛くてヤバい」
「……そんな事より寮のお引越しはもう終わったんですか? 何度も言いますけど、私は料理で忙しくて手伝いなんて出来ませんからね?」
背後にいたのは女装生活をする上での最大最悪の障害とも呼ぶべき存在、下冷泉霧香その人であり、百合園女学園の指定制服の上から割烹着を着用している彼女の手の平には赤色の髪紐があった。
「フ。唯お姉様とイチャイチャしたいが為にもう終わらせた。それに前に住んでいた住居もあるから大きな荷物は極力持ち込んでいないもの」
「御趣味とかないんですか?」
「唯お姉様のストーキングと唯お姉様で自慰行為すること」
「暇人かつ最低って本当に救いようがないですね。他の御趣味とか探されたらどうでしょう?」
「そんな私の事よりも髪紐。使うの? 使わないの? 当分は使わなさそうになかったから誰かに押し売りできないかどうか探していた所だった。なので受け取って貰えると私が嬉しい」
「先輩がその髪紐に細工をしていなければ遠慮なく使わせて頂きます」
「フ。細工だなんて……………………フ」
「何ですかその長い沈黙」
「フ。下冷泉ジョーク。安心して? 予め、位置情報を特定する機材を埋め込んであるとか、唯お姉様を想像してペロペロと舐め舐めして使用済みだとか、私の髪の毛で編んで作った百合百合しい髪紐だとか、一度自分の体内に入れておいて熟成させた髪紐だとか、そういう細工は一切してないから安心して? 100%安心で100%安全で100%信頼しても大丈夫よ? フ。フフ。フフフ。ブヒヒ……!」
「安心できない内容を列挙しておいてから、安心しろと言いつつ髪紐を渡そうとする心理が本当に理解できませんね」
「フ。乙女心は複雑なのよ唯お姉様」
「複雑すぎて逆に汚くなってますよ、その乙女心」
「フ。唯お姉様の笑顔から出される毒舌は本当にゾクゾクする。幸せ」
本当に嬉しいのか、下冷泉霧香は自身の両手で己を抱きかかえては感極まったように震えていた。
そんな彼女の表情は若干赤らんでいて「フゥフゥ、ハァハァ、ブヒィブヒィ」と荒い息を零す様は非常に気色が悪かったが、彼女はどうしようもない変人だという事は承知の上だし、見た目だけなら100点以上の女性なものだから非常に質が悪い事この上ない。
……というか、本当にビジュアルだけは良いな、この先輩……じゃないだろ、私。
「でも、女性からの贈り物に警戒心を持つのは大事。……いるのよ、贈り物にそういうのをしてくる女子生徒。特に食べ物には気を付けなさい。酷い時には
「え。画鋲ってあのトゲトゲした? そんな漫画みたいな話があるんですか?」
「逆に無いと思っていてびっくり。まぁ、私は下冷泉という家名に守られたからそういうのは少なかったけど、偶にいるのよね。下冷泉家は古くて歴史があるだけの家だって思い込んでいる無学で可愛いお嬢様が」
「ちなみに聞きますが、その浅学非才なお嬢様はお元気で?」
「フ。知らない。5年前ぐらいに親の都合でいきなり自主退学したもの。噂だと何でも親の会社が急に経営難になって百合園女学園に通える学費が捻出できなくなったみたいだけど……フ。所詮は噂よ、噂。葛城の言う事なんて99%は嘘だから多分これは嘘でしょうけれど」
怖いなぁ、お嬢様。
怖いなぁ、下冷泉家。
だがしかし、目の前にいる下冷泉霧香は手段としてそういう事も出来る人間なのは確かな事実だろう。
「という訳で、はい、髪紐」
「わぁ! 今の話を聞いたら受け取るしか出来ませんし、流れ的にも今すぐ結べって言われますよね!」
「フ。唯お姉様は理解が早くて助かる。フフフ……私と唯お姉様との赤い糸……! フ。たまらない。本当は首輪にしたかったけれど私は清い乙女なので赤い髪紐で妥協する」
「いや、首輪って……ちょっ⁉ 本当にポケットから鎖付きの首輪を出さないでくれませんかっ⁉ 首輪、もうやだっ……! 首輪を付けられて色々させられるのはもう、やだっ……!」
「勘違いしないで。その首輪は私に付ける用よ。唯お姉様の綺麗な首筋に怪我をさせるような行動を私がする訳がないじゃない」
「……えぇ……? 私が引っ張るんですか、このメス豚を……?」
「フ。そういう訳で、私と唯お姉様の運命の赤い糸をどうか受け取って?」
そんなやり取りを挟みつつ、彼女から朱色の髪紐を受け取って短くも長くもない髪を1束にまとめてみる事にした。
私はあまり女物の髪紐に詳しくはないけれども、そんな素人でも分かるぐらいには彼女がプレゼントしてくれた髪紐は高級品の予感が何となくした……というかこれ絶対に高級品だ。
成人式やら卒業式やら結婚式などと言ったお披露目の場で着用するような着物の帯につけるような飾り紐のような髪紐の両端には、紐で結んで出来たお花と、煌びやかすぎない程度の宝石のビーズがついてあったし、紐自体も中々に丈夫であった。
「……良い材質の髪紐ですね、これ」
「フ。なら良かった。私もミニなポニーテール姿の唯お姉様を見れて眼福。幸せ」
彼女を幸せにしてしまったという事実に少しだけの悔しさみたいな感情が膨れつつあるが、それでも料理中に髪の毛で鬱陶しくなる気持ちから解放されると思うととても喜ばしい気持ちの方が勝ってしまう。
悔しい。
下冷泉霧香に喜びという感情を与えられてしまって私はとても悔しい。
「フ。さて、それじゃ私も唯お姉様とお揃いの髪紐で髪を結んで……っと。フ。それじゃ調理に取り掛かりましょうか」
「え? まさか本当に料理するんですか先輩?」
「フ。当然。その為だけに割烹着を着てきた」
相変わらず捉えどころのない彼女は私が向ける感情をのらりくらりと受け流し、まるで霧を無理やりに人の形に押し留めたかのような彼女の立ち振る舞いに対して、逆にこちら側が翻弄されてしまいそうになる。
だけど、目に見えて分かる形で動揺して、相手に優越感を与えさせるのが気に食わなかったので、無表情でいる事を心構えたまま、包丁を手にしてキャベツを千切りにしていく。
それにしても、まさか下冷泉霧香が料理を作れる人間だとは思わなかった私は却って、先にあの料理を作り終えていて本当に良かったと心の底から安堵のため息を吐いていた。
「私は一応ここの寮母ですし、料理を作るのは私の仕事のようなものですからどうかお気遣いなく。それとも下冷泉先輩は私から仕事を奪うつもりですか?」
「……困った。それを言われるとどうにも言えない。確かに人の仕事を奪うのは駄目ね。でも、何か手伝いできる事があるようなら遠慮なく言って」
先ほどから意外性の連続が続く。
まさか下冷泉霧香がプレゼントをするどころか、料理の手伝いをすると言い出し、更にはそれに断られても素直に引き下がるという一連の出来事は彼女の人となりでは全く想像が出来なかったものだから、彼女は案外気遣い上手なのかもしれない……変人で変態だけど。
「フ。そうそう言い忘れてた。葛城は今日来ないらしい。だから今日の御馳走は3人分でいいわ」
「え、そうなんですか?」
「フ。どうにもどこかの旧華族のお嬢様が急に寮生活をしたいと言い放った事に対しての言い訳を親御さんに報告するみたい。怒られないといいわね」
「先輩の所為でしたか。それは可哀想に……葛城さんは話が通じるから是非とも来てほしかったんですが」
「――フ。葛城もきっとそう思っているわ」
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「……今日も残業……だけど寮に帰れば唯の手料理が私を待ってる……! 頑張れ私……! 唯の手料理を食べるまで死ねない……! だけど、寮に帰れば下冷泉霧香が待っているんだよね……死んでくれないかな、あの変態……というか幼馴染って何なんなのかなぁ……! ずるい……! 私だって唯と幼馴染になりたかった……!」
4月は理事長代理の仕事がとんでもないほどに忙しいので、こうして未来の幸せを噛み締めたり、理不尽を呪う事で応じるエネルギーを燃料にしないととてもではないけれど、やってられない。
時計の針が6時を指しているというのに資料の山が消える事は無いが、このペースを維持できれば7時ぐらいに帰れるだろう。
資料に書かれた文章に目を通し、予算案に間違いが無いかどうかを確認し、印鑑を押すだけの作業と言えば簡単かもしれないけれど、間違いは絶対に起こってはならない。
とはいえ、単調と言えば単調としか言いようが無いので、こういう作業をする時は今日あった出来事を思い返しながらやるのが、私が仕事をする時のルーチンだった。
「それにしても……ふふっ、あの完璧超人の唯でも間違える事があるだなんて。基本的に唯って和奏に似てハイスペック過ぎるけど、少しだけドジなのは本当に似てるなぁ」
早速、思い出すのは和奏の忘れ形見にして、私の性癖という性癖を壊してくれた素敵な銀髪の男の子の事。
編入試験の際に全教科で満点近い驚異的な成績を叩き出した彼であり、料理も出来て、何故か私よりも女の子らしくて、基本的に何をやらせても完璧にやってみせる彼だけれども……今日の放課後に私に報告した時に1点だけ間違えていた箇所があったので、彼にも人間らしさがあるのだなと安堵の感情を覚えていた。
「葛城楓さん、ね。うーん、仕事の最中に確認してみたけど、やっぱりそういう生徒はこの学園には居ないんだよね。本当、自分を助けてくれた恩人の名前をちゃんと覚えないだなんて唯って案外おっちょこちょいだなぁ! ……ふふっ、決めた。今日の唯を虐めるネタはこれにしよ! 驚く唯の顔を想像するだけで業務が滾っちゃうなー!」
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