変態と初夜を過ごす前の作戦会議

「――というのが、昼休みの出来事ですね」


 今日知り合ったばかりの下冷泉霧香の正体が私もお世話になっていた孤児施設の利用者であること。


 そして、あろうことか当時の私に初恋の感情を抱いていたという事実を雇用主……百合園茉奈に報告するべく、放課後の時間に理事長室に赴いては業務中のご主人様に報告していた。


「――胃が痛い」


 本当に胃が痛い様子であらせられるご主人様は本日何度目になるかも分からない胃薬を再び摂取し、しんどそうな表情を浮かべながら重い溜息を吐く。


 言わなければ良かったのではないかと自分の良心が今更ながらに主張するけれども、女装というバレてはいけない事情がある以上、報告に連絡と相談をしない訳にはいかなかった。


「状況は理解した。あの女は僕の胃を潰す為だけに産まれた存在なのか?」


 下冷泉霧香が孤児であるという事実をこうしてご主人様に伝えてしまった訳ではあるけれども、どうにも彼女はその事実を前々から知っていたようで、何なら向こうの方から自分は孤児だと気軽に言ってきたらしい。

 

 そういう意味では説明がスムーズになって喜ばしいなとは思うけれども、まだまだこれからの課題が目白押し。


 取り敢えず、昼休みに勝手に理事長室に入った挙句に見ては駄目そうな資料を見た事も報告しておく。


「なるほど、体育……そう言えばブルマ着用の義務があったか。とはいえ、それに関しては安心して欲しい。当日にはブルマ以外の着用を認める許可ぐらいは出してやる」


「そういうのって勝手に決めて宜しいのですか?」


「前々から女子生徒たちからブルマは恥ずかしいから止めろという声が少数ながらあったんだ。その声を聞いた僕が、偶々、今、ブルマ着用義務を撤回しただけの話だから何も心配する必要なんて無いと思うが?」


「流石は理事長代理ですね」


 普段が普段だからか、こういう時の彼女は素直に頼れる。

 

 これで当面の間は体育の授業に関する事に心配をしなくてもいいだろうか……そう考えて、今日の朝と昼に放課後に遭遇した女子生徒たちのセクハラを思い出す。


「それにしても今後の女装生活の為の課題が余りにも多すぎるな。第一に下冷泉霧香の入寮。第二に女子生徒たちのセクハラ。なぁ、唯? 君は一体全体どれだけの女子生徒たちの性癖を破壊すれば気が済むんだ?」


「元はと言えば、私に入学許可を出したお嬢様の所為ですよね?」


 私がそう言い返すと彼女は理事長の椅子に座った状態で苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべてみせる。

 

 確かに私たちは一種の運命共同体――女装という非常識な事をやっている本人と、その協力者という間柄であるけれども――だが、次から次へとやってくる問題を前にして愚痴の1つや2つを口にしないととてもやってられなかった。


「それにしても、どうしたものか」


「何をですか?」


「あの変態、下冷泉霧香の入寮を許可するかしないか、だ」


 確かに彼女の言動の多くは実に変態的で、危険極まりない。


 なので、その言動を理由として彼女の入寮を拒否する事も出来るのだろうけれど……問題は彼女が学校内では変態的な言動を取らないという事である。


「下冷泉霧香は学園内においては模範生。だから入寮を拒否するどころかむしろ歓迎しなくてはならない流れですよね」


「なぁに、事情というものはすぐに変わるとも。もうこうなったらアレだ。理事長特権だ。百合園家当主の兄の力をふんだんに使って、憎き下冷泉霧香を抱える下冷泉家に全面戦争を仕掛けてやる所存だとも……!」


「お、大人げない……」


「僕は君の為にあの女を排除するつもりだが⁉ その為には全力であの女を潰すだけだが⁉ というか幼馴染じゃんあの女! 何それ⁉ 私だって唯の幼馴染になりたかったのに! そんなの羨ま……ではなく! 度し難いに決まっているだろうが!」


 鼻息を荒くしながら、青筋立ててはそんな物騒な言葉を矢継ぎ早に口にしてみせる彼女ではあったが、私自身も下冷泉霧香が危険というのは同意するしか他なかった。

 

 彼女は本当に危険なのだ。


 ……そう、彼女は私と面識がある。

 下冷泉霧香は、男としての私と面識がある。


 つまり、彼女は私の正体を見破る可能性が非常に高い存在にして、危険極まりない人間。

 

 昔馴染みである彼女が何かを切っ掛けに当時の自分――女装なんてしていない男の子――の事を思い出し、私がその初恋の男の子だと気づかれるのは大変に不味いことでしかない。

 

「……とはいえ、あり得るのか? 幼稚園の時の初恋の人の名前を忘れるだなんて」


「幼稚園の時にお世話になった同級生の名前なんて繋がりが無くなって10年も経てば忘れると思いますね」


 言い訳ではないのだが、かくいう自分も下冷泉霧香という存在の事を忘れていた。


 苗字が変わっていたというのも理由の一因だと思うが、幼稚園に通うか通わないかぐらいの年……しかも10年近く前の話で、それも限られた時間の中でしか交流がなくて再会することもなかったのであれば、そういうのは有り得る話だろう。


「実際、私はもう父と母の顔とか覚えていませんし、名前とかも言う機会も書く機会もないので、ほぼほぼ忘れかけてます」


 確か人間が先に人間の事を忘れる時は先ず『声』からだと言うけれども……その理屈で言えば、私が大好きな和奏姉さんの事を忘れるのであれば声からなのだろうか。


 いや、今はそんな事を考えている余裕なんて無い。


 現状での唯一の救いと言えば、彼女が私の名前を忘れてしまっている事ぐらいだろうが、そもそも彼女の言葉を信じていいものなのかも分からない。


 もしかしたら、彼女は昔の事を覚えていて、わざと忘れていると口にしているだけという可能性も無くもないのだ。


 もしそうなのであれば、彼女はとっくに私の女装に気が付いているという訳なのだが……ここで1つ疑念が生じる。


 


 女学園に女装した男子生徒が潜入をしているのは、どう見ても明らかに異常な行いでしかなく、世間一般で言うところの犯罪行為だ。


 もしそんな行いが露見したのであれば、誰だって悲鳴をあげるのが筋というものに決まっているというのに、それをしないことから考えられる可能性はざっと考えて2つ。

  

 1つ。

 下冷泉霧香は私が女装をしている事実を黙視している。


 2つ。

 下冷泉霧香が

 

 2つ目の考え方は非常に簡単な事で、周囲の人間がいない状態で私の女装を暴くよりも、周囲の人間が多数いる状況で女装を暴いた方が精神的にも追い詰める事が可能であり、そのタイミングを向こう側から指定できるというメリットがある。


 もしくは女装に気づいたのであろう彼女に、私が何かしらの報復――例えば、殺害だとか――をされてしまうのではないかという恐怖感から今はそうしないだけという事も考えられる。


 そんな内容をご主人様に伝えてみると、彼女もその意見に同意してくれた。


「……うわ、唯は頭が良いんだね……というか、完全に捻くれ者ならではの考え方だよ……友達が少ないタイプの人間の考え方してるね……」


「素のお嬢様にそんな事を言われると意外と傷つくんですけど」


 とはいえ、それはあくまで下冷泉霧香が私の女装が看破していればの話。


 もしかしたら彼女は本当に女装に一切気づいていなくて、偶々銀髪だった私にそんな言葉を偶然投げかけただけと楽観視したいのが実の所。


 或いはもっと単純に『』という思い込みで当時の私と現在の私を結び付けられないだけというのも充分に考えられる。


 また、現時点において私の正体がバレていても、バレていなくても、今のところは彼女は私に友好的であるという事実は認めざるを得ないだろう。


 もちろん、何かを企んでいる――例えば、女装した男子の入学を許可した百合園家に対して、名誉棄損だとか弱味を握ったりだとか――可能性も視野に入れておくべきだろうが。


「…………」


 だが、どれだけ深く考えても下冷泉霧香の真意が分からない限り、決定的な証拠を掴まない限り、私たちは永遠に後手に回されるだけ。


 どれだけ彼女の思惑を解明しようと思考を張り巡らさせても、それらがただの徒労に終わる可能性もある訳だ。


 最悪とでも言うべき事に私はもう女装をして女学園に登校をし、彼女と再会してしまった。


 そんな犯罪行為を実行してしまったというそんな事実がある以上、私はもう犯罪者なのであり、もう引き返せない域にまで辿り着いてしまっている訳でもある。


 自分には女子生徒を性の捌け口にしようだなんていう意志は更々ないけれども、女装をして女学園に通学する存在がいる事を他の女子たちが許す筈なんて、あり得る訳がない。


 そして、それは私に対して病的な愛情を向けている下冷泉霧香にも恐らく同じ事が言えるだろう。


「だけど、今回の得られた情報は本当に有意義なものでしたよ。もしもその情報を獲得出来ていなかったら、もっと最悪なタイミングと場所で、最悪な結末に終わっていた可能性だってあった訳ですしね」


「結果論だな」


「えぇ、結果論ですね。ですけど、下冷泉先輩が私の女装について言及をしていないのはまごう事無き事実です。彼女が女装に気づいていない可能性があるのも、また事実ですよ?」


「……ふふっ。君のそういう考え、本当に和奏に似ているな」


 昔を懐かしむような笑顔を浮かべながら、そんな事をお嬢様が口にしたその瞬間、彼女の腹の虫が鳴る音が部屋中に響き渡った。


「……っ、ぅ、ぅぅ……」


 本当に死ぬほど恥ずかしいと言いたげに綺麗に整った顔を真っ赤にして、そんな顔を目の前にいる私に見せないように俯いて隠す彼女は大変にかわいらしかった。


「お腹、空きましたか?」


「……空いてないが」


「そうですか。何はともあれ今日入寮してくる下冷泉先輩の為にも歓迎のご馳走を作る必要がありますので、私、そろそろ最寄りのスーパーでお買い物してきますね?」


「……今日は美味しいご飯を作らないと絶対に許してあげない」


 いつものような男言葉ではなく、素の彼女がそんな事を唇を尖らせながら言ってのけた。

 

 困った。

 これはどう見ても不機嫌そのもののご主人様であり、私はこれからどうにかしてこのご主人様の機嫌を直さないといけない。


 例えば、そう、彼女が言うように美味しいご飯を作ったりだとかで。


 とはいえ、百合園茉奈は私が美味しい料理を作らなかったとしても本当に怒るような人ではないだろうし、そもそも彼女は私が作る料理は全部美味しいと思っているような人だ。


 理由は全然分からないけれど、、何となく分かっていた。


「うわー。全然そう思ってなさそうな余裕たっぷりな笑顔。自分の作る料理は全部美味しくて当然って顔してる」


「そういうご主人様は私の料理は全部美味しくないと?」


「いやいやいや。そんなの思う訳ないじゃん。だって常日頃から和奏の弁当のおかずを交換してた私が……ではなく! この誉れ高き百合園一族の一員たる百合園茉奈が思う訳がないだろう! 屋敷にいた時から唯の作ってくれた料理はどれも実に美味しかった! 全部私好みの逸品を毎日毎日提供してくれたじゃないか!」


 今思えば、目の前にいる彼女は言ってしまえば共犯者なのであった。

 確かにこの異常でしかない生活を送る以上、持つべきものは腹の底から信頼できる共犯者だけだろう。


 であるのなら、私は彼女を、雇用主として……共犯者として信頼するべきだろう。


 そして、私はあろうことか彼女を共犯者として信頼してもいいのではないかと思っていた。


 一体全体、それはどうしてなのだろうか――に、私は今現在の状況を打破する光明を見出した気がした。


「――それだ」


「唯?」


「ナイスアイデアですよ、ご主人様」


「ん? ……え? 何が? 何がどうお手柄なんだ?」


ですよ、。私がご主人様の人となりが分かったのは、ご主人様が私の作った料理を食べてくれたからです。人間という生き物は美味しい食事と楽しい食卓を前にすると、舌が思いのほか軽くなるんです。それはご主人様ご自身が身を以て私に教えてくれました」


「……えっと?」


「ほら、初めて会った時、私の作った弁当の話をしただけでご主人様の化けの皮が剝がれたじゃないですか。それに私がご主人様に調教されている間に作ったご飯を食べた時とか」


「…………………全ッ然、記憶にないな」


「そう言う事にしておきましょう。要するに人間は気分が高揚すると本性を表しやすいんです」


「絶対に僕には該当しないが、人によってはそうかもしれないな」


「私は昔から自分の料理を食べてくれた人がどう思っているのかが何となく分かるんです。その人が本当に私の作った料理を美味しいと思っているのか、ただのお世辞なのかどうかが。だって私の料理は和奏わかな姉さんに美味しいって思って貰う為だけに練習に練習を重ねてきましたから」


「待て。理屈は分かる。確かに楽しい食卓にいたら気分は軽くなるし、美味な食事を食したら誰しも幸せになれるだろう。実際、僕も少しぐらいは饒舌になった――あ。もしかしてそういう事?」


「えぇ。滑らせてやればいいんですよ。私の美味しい料理で、下冷泉霧香の、ね」


「確かにそれなら……でも、いくらキミでもあの下冷泉霧香を看破できるかどうかはちょっと難しいんじゃ……? アレ、本当に何を考えているか分からない変態だよ……?」


「大丈夫です。私の姉は昔から冗談や嘘が上手でした。それこそ私を女の子だってご主人様に紹介するぐらいには」 


「それは、そうだけど」


「姉は私の作った美味しくもない料理を食べて満面の笑みで美味しいって言うような人でしたからね。私はそんな人の弟ですから……自分の料理を食べている人間がどう思っているかだなんて、見極めてやりますよ」


 出来る出来ないの話ではなく……やらなくてはならない話だ。


 これからの女装生活を更に盤石なものにするべく、今日現れた最大最強の障害を何とか突破する必要性がある。


 下冷泉霧香が幼い私と今の私を同一人物であるかを知っているかどうかを、絶対に見極めてみせる。


 その為にも、私たちは噓つきの為の噓つきによる晩餐会の準備に勤しみ、下冷泉霧香の化けの皮を剝がす為の逸品を、私の昔からの得意料理を用意する必要性があったのだ。

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