嘘つきと、噓つきと、噓つきの、最初の晩餐(3/2)

「――フ。ここが唯お姉様のハウスね」


 そう口にしながら、私、下冷泉霧香は百合園女学園第1寮に作られたばかりの自分の部屋の中に配置されたベッドの上に飛び込んだ。


 拾われた下冷泉家の敷地内でこんなはしたない真似をしてしまえば、当然怒られてしまうので、こんな事が出来てしまうこの空間は本当に貴重なモノだ。


 それにこの空間は私が以前にお世話になっていた孤児施設を思い出してくれるので、無性に懐かしい気持ちになって仕方がない。


「フ。フヘヘ……! フヒヒ……! 心なしか唯お姉様の匂いがする……! あの唯お姉様と一緒の屋根の下で過ごせるだなんて本当に幸せ……! 唯お姉様がお洗濯してくださったベッドシーツ……! もうこれ実質的に唯お姉様ね! あぁ! 私の全身という全身を唯お姉様が包む! 駄目! 止めて私のイマジナリー唯お姉様が宿った右手! そこはリアル唯お姉様専用の処女膜よ!」 


 仰向けになったり、うつ伏せになったりしながら私はひたすらに唯お姉様に可愛がられる妄想をしていた。


 取り敢えず、下冷泉の家では絶対に出来ないであろう10数年ぶりのゴロゴロを私は堪能していると――私の部屋の中に置いてあった携帯機器が振動を起こし、誰かしらの着信が入っているという事をリラックスしている私に対して知らしめてくるのである。


「フ。最悪。まさかオナニーをしようとした矢先に葛城から電話が来るだなんて」


 寝転がりながらスマホの画面を開いてみると、そこには下冷泉家に代々仕え、私専用の従者でもある葛城楓からの電話が入っていた。


 彼女は言ってしまえば、百合園茉奈に付き従う唯お姉様のような存在であり、洋風に言えばメイドさん、和風形式で言ってしまえばお手伝いさんなのであった。

 

「――はい、下冷泉でございます」


『葛城です。夜分遅くに失礼いたします、霧香お嬢様』


「何か御用でしょうか、葛城様。もしや私に至らぬ点でもございましたでしょうか」


『そういう霧香お嬢様はいつまで実家でやっているような堅苦しいお言葉のままですか。いつも私に話すような雰囲気で構いません』


「フ。助かる。この喋り方じゃないと息とセクハラがしにくくてありゃしない。ところで葛城は今日オナニーした?」


『する必要性がないのでしていませんが』


「フ。そうなのね? 因みに私は今するところ。そういう訳で電話を切るわね。これ以上、イマジナリー唯お姉様を待たせる訳にはいかないの」


『そういう言動を繰り返すから天使唯に嫌われるんですよ、霧香お嬢様』


「フ。葛城は相変わらず頭とアナルが固いわね。まるでカチカチになった男性の生殖器ね! それで何の用なのかしらこの頭男性器!」


『報告です』


「はい問題。唯お姉様の処女膜は何百万円でしょう? はい時間切れ! 答えは私の全財産! 問題に答えられなかったペナルティとして唯お姉様の処女膜を破瓜させる権利は私のモノね!」


『そうですか。良かったですね。それでは勝手に報告させて頂きますね』


「フ。私が勝手に家出して寮に入った件についての報告、でしょう?」


『それもあります。今回の報告は大きく分けて2つ。1つ目は霧香お嬢様が予想なさった通りですが……その件に関しましては旦那様と奥様を私が説き伏せたのでご安心を』


「フ。葛城は相変わらず有能ね。ちなみに聞くけど、どうやって説き伏せたの?」


『反抗期。それから発情期と』


「フ。あながち間違ってないから否定できない」


 どうやら、彼女は私が望むような働きをしてくれたらしい。

 これでこの1年間はあの愛しの唯お姉様と一緒にいられる――。


 そう思うと私の胸の中は暖かくなり、清い乙女が零すような鈴のような笑い声を発してしまいそうになる。


「フ。フヒヒ。ブヒヒ。グヘヘ……!」


『わざとらしい気持ち悪い笑い方しないでください霧香お嬢様』


「フ。ロジカルハラスメントは止めて」


『ただの正論ですよ霧香お嬢様』


「フ。それが昨今で問題になるロジカルハラスメントの正体なのよ。これだから葛城は未だに彼氏が出来ないのよ。喰らえロジカルハラスメント返し」


『私はそういうのに興味がないので。はいロジカルハラスメント返し返し』


「フ。出たわね、葛城の恋愛なんか全然興味ありませーん、が。でも、そろそろ本気で彼氏を探さないと冗談抜きで葛城は行き遅れるわよ? これで王手ねロジカルハラスメント返し返し返し」


『余計なお世話です。さて、霧香お嬢様が必死になって逸らし続けているのは重々承知ですが、そろそろ本題に入らせて頂きます』


 そんなこんなで数時間ぶりの葛城とのやり取りに勤しんでいた訳だが、電話口の向こうにいる彼女の声音が真剣だった事から、これ以上は話が逸らせないな、と内心で後悔するのだった。


「……フ。何の用かしら? 葛城かつらぎの電話はいつも長くなっちゃうから50文字以内で要件を伝えて」


『独断による調査の結果、使と判明しました』


「――フ。あらやだ面白い性的冗談。私、そういうの大好き」


『冗談ではありませんよ霧香お嬢様。天使唯という人物が不自然であったのであの手この手で調べました。彼の過去をまとめた推定の履歴書をPDFとして送信させて頂きます。どうかお目通しの程をお願いします』


「フ。葛城は有能ね。だけど、しなくていい。天使唯が男性っていうのは、とっくの昔に気付いてる。それを知った上で私は彼と暮らすつもりだから」


『やはりお嬢がいきなり入寮した原因は彼でしたか。予想通りと言えば予想通りですが……不可解です』


「フ。これだから葛城は有能なのに彼氏が出来ないのよ」


『そういう霧香お嬢様も彼氏が出来てないじゃないですか』


「フ。私は初恋してる。だけど葛城は? わざわざ入寮宣言した私の身が心配だからってじゃないの、このコスプレ犯罪者。面白すぎでしょ私の従者。昼休みに葛城と会うと思っていなかったから本当にびっくりして愛液漏れたわよ」


『中学時代の霧香お嬢様のお古を勝手に着て、天使唯の観察をしていただけですので悪しからず。それにしても、あの時と言い、今と言い、霧香お嬢様は驚かないのですね。あるいは。相変わらず霧香お嬢様は嘘が上手であらせますね。尊敬いたします』


「……それで? お義父様とお義母様やお義兄様にはもう報告済み?」


『まだ報告しておりません。お給金等は旦那様から支給されてはおりますが、旦那様と私はあくまで契約上の関係。これは私個人でやった調査であって、旦那様から承った業務ではありません。言うなれば趣味です。私は人間の秘密と弱みを掴むのが大好きなだけなのです。故に旦那様に私の趣味を共有する意味がありません』


「フ。無能ね。私以外の人間じゃなかったら今頃きっと首が飛んでいるわよ」


『存じております。おかげ様で霧香お嬢様に危害を加えた人間を消すしか能がない私が重宝されております』


 正直言って、葛城は敵には余り回したくない人材だ。

 

 今回の件に関しても私がこの女子寮に入寮する事となったから、私の身の安全を守る為だけにこの寮内にいる人間の素性を全て調べたに違いない。


 そしたら、偶々にその日に編入してきた学生の素性に違和感を覚え、その学生が男性であったという事実を僅か数時間で解明し、検証がてら昼休みに唯お姉様に接近したのだろう……私の許可無しに。


「フ。どちらにせよ報告ご苦労様。今日はもう遅いから電話を切ってもいいかしら?」


『お待ちください。霧香お嬢様を百合園の息がかかった男がいる寮内に置き去りにするなぞ、この葛城には看過できません』


「フ。相変わらず葛城は堅苦しい。いつもみたいに語尾に『っす』ってわざとらしくつければいいのに。クソビッチみたいな喋り方で私、大好きよ?」


『あれはプライベートでのキャラです。後、私はクソですがビッチではありません。訂正願います』


「はいはい。葛城はクソ処女」


『えぇ、私はクソみたいに処女です。さて、先ほどの件に戻りますが……すぐにご返答が出来ないようでしたら、念のために、今すぐに、旦那様に天使唯の件について全て報告させて頂きます。これは脅しではなく業務中の義務なので悪しからず』


「フ。心配は要らない。あの人にそんな余裕なんてない」


『やはり……霧香お嬢様は気づかれておられましたか』


「あらやだ。葛城は話の引き伸ばし方が上手いのね。それで? このセクハラ床上手の超絶美少女にしてセクシーダイナマイツな下冷泉霧香ちゃんが何に気づいているって? 自分の顔面が人間国宝レベルに美麗だという事? やだ、当たり前過ぎて気づかなかった!」


『天使唯がお嬢の初恋の相手であるという件についてです』


。彼は私の初恋相手。人生で一番好きになった人。……どんな姿になっていても、私が彼に気づかない訳がない」


 私、下冷泉霧香は最初から天使唯が男であるという事を知っていた。


 知っていて、敢えて、彼を女として扱って接していた。


 だから、今日この日はとんでもないほどに大変だった。


 まさか、百合園茉奈をからかおうと遊びに行ったら、そこには10年ぶりの再会となるあの人がいるだなんて夢にも思うまい。


 現に私は動揺を隠しきれていなかったし、天使唯の女装に気づかない演技をし続けねばならなかった訳で……更には彼らに騙される演技をアドリブでしないといけなかったのがとんでもないほどに大変で、更には葛城と昼休みに遭遇して心臓はとんでもない事になっていたし、ティラミスとかいう予想外の爆弾にも直撃したし、ようやく全部乗り越えた……そう思った矢先に葛城の報告。


 私を過労死させるつもりなのかしら、この人たち。


「貴女たちの所為で、今日は本当に疲れたわ」


 明らかに男性に対して言わないであろう呼称である『』をわざわざ使ってまで彼の女装に気づいていないアピールもした。


 年下だから妹様だなんていう余り耳にはしない言葉ではなく『お姉様』という言葉をチョイスしたのは、ここ百合園女学園においてそれが毎日のように聞く呼称の1つであり、誰もが聞いて女性であると思い込むだろうから、彼をその呼称で呼ぶことに決めた。


 ――のは、余りにも酷すぎる話だったから。


 だから、この百合園女学園において高校3年生……即ち、全生徒の頂点のカーストに位置する私を『天使唯の妹』にさせる事で、周囲の女子生徒もまた私の取った行動……使という行動に付き従わざるを得ない。

 

 そうすれば、彼が見知らぬ誰かを姉と呼ぶ事はないし、天使唯が男であるのがバレるというリスクも極力減らせる。


 それに更に付け加えて、私の入寮。

 これにより他の女子生徒は百合園茉奈だけでも怖い存在なのに、私が入寮した事で天使唯の女子寮での生活は更に盤石なモノとなる。


 学内でも人気があり、有名すぎる家名を抱える私たち2人がいる女子寮に唯お姉様がいるからという理由でわざわざ首を突っ込むような度胸を持つ女子生徒は百合園女学園には存在しない。


 だから、入寮した。

 彼の安全の為だけに。


「……フ。ざっとネタばらしをするとこんな感じ。ね、簡単でしょ?」


『それをたったの数秒で考えつく霧香お嬢様は流石にちょっと気持ち悪いですね』


「フ。気持ち悪いと言われて泣きそう。でも、明日から唯お姉様に群がる女子生徒の数は減るとは思うし、最善手だと思うのだけど?」


 冗談で口にした泣きそうという言葉で思い出したのだが……彼が10年ぶりに作ってくれたティラミスを食べた時、本当に嬉しくて嬉しくて涙が溢れ出そうになった。


 もちろん、そんな事をしたらバレてしまうので、何とかその涙を出さないようにもしたし、目を潤せる事もさせないように気を張り過ぎた。


『好きだから。そんな理由でそこまでしますか普通。とても理解が出来ません』


「そんな理由でそこまでするのが、私なりの彼への愛情」


 ……正直言って、彼が女装をし続けるよりもこっちの演技の方が大変である気がしてならないが、バレた時のリスクは彼の方が何千倍も上なのだから、演技上手の私が彼のカバーとアシストをするのは当然の事でしかなかった。


『いくら何でも回りくどいですよ霧香お嬢様。何なら事情を素直に話して、天使唯の心労を少しでも減らしつつ、好感度を稼いだ方が双方にメリットが……』


「フ。葛城はこれだからまだ処女なのよ。あの人はこれから想像するだけでも大変な目に遭う。だから、。私という練習稽古で出来ないのに、本番舞台で出来る訳がない。違って?」


『それは、確かにそうですが……』


「葛城。突き通せない嘘なんて、ただの間違いでしかないのよ」
















『……何でそんな酷い役回りを! よりにもよってお嬢がしないといけないんっすか⁉』














 想像はしていたけれども、やっぱり怒られた。

 いやまぁ、仮に私と葛城の立ち場が逆だったら、私もきっとそうするのかもしれないけれども。


『お願いです、お願いですから考え直してくださいよお嬢……!』


「嫌。葛城からのお願いだとしても、絶対に考え直さない」


『そんな事をし続けたら霧香お嬢様は初恋の彼に永遠に警戒されたままっすよ⁉ 嫌われたらどうするんすっか⁉ 大好きな人に嫌われるだなんて、そんなの、そんなのっ……!』


「だって、そうするように本気で嘘を吐いたもの」


『本当に何を馬鹿な事をしているんすっか⁉ 今まで霧香お嬢様が下冷泉の家で必死に頑張ってこれたのはその人のおかげっすよね⁉ 今まで辛い思いをしてきたじゃないっすか⁉ どうして⁉ どうして報われようとしないんっすか⁉ いいじゃないですか報われて! 私は霧香お嬢様に幸せになって欲しいんですよ⁉ 早く本当の事を言って――!』


「――私の都合なんかよりも、彼の安全の方がずっと大事。そんなの恋する乙女なら当然」


『っ……! この馬鹿っ……! 分からず屋っ……!』


「自分の意思を曲げるぐらいなら馬鹿でも分からず屋でもいい。でも、葛城が動いてくれたのは本当に感謝してる。貴女が動いてくれた理由は私の身を守る為もあるけれど……私の初恋を実らせようとしたのもあるのよね? だから、昼休みに私の過去話を勝手に彼に話してくれたのよね? 彼が私に興味を向けさせるように。私が減らすように調整した彼への好感度を上げさせるように。本当にいい迷惑だったけど……こんな私をフォローしてくれてありがとう」


 私が真剣な声音でそう言うと、葛城は3分程度黙ってから、とても大きな嘆息を吐き出した。


『……本当、お嬢には敵わないっすね』


「この天性の噓つき相手に敵うと思った?」


『やっぱり、お嬢はすごい噓つきっす。救いようが無いぐらいに噓つきっす。絶対にしないでしょうけれど、その嘘の才能をお嬢自身に少しでも使えば……いや、そう思っても絶対にやらないのがお嬢っすよね……』


 まるでどうしようもない子供の我儘を……ティラミスが食べたいだなんて我儘を言った私の願いを叶えてくれた私よりも小さかったあの子みたいに、葛城は観念したかのような嘆息を吐きだしてくれた。


「葛城。私は初恋を諦めるつもりは毛頭ない。……3月。彼が卒業する来年の3月まで私は周囲を騙し続けるわ。そして、彼が卒業したのと同時に告白するわ。色々とね」


『そうっすか。お嬢がそう決めたなら、誰が何と言おうとも絶対に曲がらないっすよね……やれやれ、仕方ないっす。私も百合園女学園に編入する事にするっすよ。お嬢の努力を無駄にさせたくなんかありませんっす』


「……葛城」


『自分、お嬢が大好きっすから。世界で1番に、嘘みたいに幸せになって欲しいっす。天使さんの幸せがお嬢の幸せなら……天使さんの身の安全も自分にお任せあれっすよ。私はそういう事しか取り柄がない人間っすからね』


「ありがとう。葛城が協力してくれるなら百人力だわ」


『幸いにも私と天使さんは同級生なんで。同級生だからこそ助けられる場面もあると思うっすからね。でも、1つだけ聞いてもいいっすか?』


「あら、何かしら」


『お嬢がこの世で一番好きなティラミスは……お嬢を今まで一番強く支えてくれた思い出にまた巡り会えれて、どうでしたっすか? これで嘘ついたら怒るっすからね』


「……正直に言っても、良いの……?」


『今だけは良いに決まってるでしょ、この馬鹿お嬢。いつもいつも息をするように嘘を吐くんですから、今だけは本当の事を言えっすよ』



















「大好き。好き。好き。好き好き好き――! 私、の事が世界で1番大好き! 初めて会った時から! 今も! ずっと! どうしようもないぐらい! すっごく! ゆーくんの事が大好き――!」
















 大好きなあの人の女装がバレてしまったら、あの人は社会的に死んでしまう。


 であるのなら、あの人を社会的に死なせなければいいだけの話。


 例え百合園女学園の女子生徒全員を敵に回しても、下冷泉家を敵に回しても、世界を全て敵に回しても、あの人自身に敵であると判断されても。

 

 どんな手を使ってでも、大切なあの人だけは絶対に死なせない。

 

 あの人に嫌われてでも――この私の嘘で、彼を絶対に守ってみせる。

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