黒髪の超美人の先輩が変態になるまでの過去話
「……ぜぇぜぇ……! た、助かりましたっ……!」
「お疲れ様っす。ここまで来れば一安心っすよ。ここ演劇部室は昼休みはがら空きなんでね。良かったら今後から天使さんのセーフティハウスにしてくださいっす」
かなりの長距離を走ったというのに息を全然乱さずに気楽そうにそう言ってみせた葛城さんは息も絶え絶えな私に目掛けて、きらきらと光る物体を軽く投げつける。
「おっ、ナイスキャッチっす」
反射的にそれを受け取って、その正体が何なのかと確かめてみると銀色の鍵であり、先ほどの会話の内容から演劇部室の鍵だというのが察せられた。
「えっと、お気持ちはありがたいんですけれど、いいんですか? 私、部外者ですよ?」
「ここの部長であるお嬢の許可は出てるんで大丈夫っす」
「……そのお嬢というのは、下冷泉先輩の事を指しているんでしたか」
「イエスっす。改めて自己紹介させて頂きますけど、自分は葛城。
「お付きと言うと……従者とか、そういう?」
「それっす。時代錯誤感も甚だしいっすけど、そんなしがらみといいますか、そんなこんなでお嬢のアシストをしながら給料を得ているだけのキャリアウーマンが私っすね」
あの下冷泉霧香に仕える従者という情報だけ聞くと目の前にいる彼女は中々の曲者だと思わないといけない筈だ。
だというのに、葛城さんは喋り方やら態度やらが実にフレンドリーで不思議と気楽になれるというか……ここ百合園女学園は言わずと知れたお嬢様学校だというのに彼女は庶民的というか、不思議と私と同じような匂いがした。
「私を女子生徒たちから助けてくれたのは、下冷泉先輩がそう命令したからですか?」
「それもあるっす。自分、流石にあんな一方的な虐殺紛いのようなモノを見て見ぬフリは出来ませんっす」
あっ。この人、良い人だ。
間違いない。
彼女は絶対に良い人だ。
あの変態こと下冷泉霧香の関係者は間違いなく変態であるに違いないと思い込んでいたのだが、どうやらその考えは撤回した方が良さそうだ。
「立ち話もなんですし、どうぞ適当に掛けてくださいっす。昼休みが終わるまではここでサボった方が色々と吉だと思うっす」
彼女に促されるままに演劇部の備品と思われる椅子に座り、葛城さんも同じように椅子に座るのだが、彼女からは机を動かしたりだとかそういう日常生活を送る上での無駄な物音が一切しなくて、それとなく高貴なお嬢様感をどことなく感じられた。
今にして思えば彼女から足音が全くしていない気がするし、そもそもの話として、僕と一緒に全速力で正気を失った女子生徒の群れから逃亡したというのに、私とは真反対に呼吸を乱した様子すら見受けられない。
そういう事実から好奇心が湧いた私はそれとなく尋ねてみた。
「何か運動をしているか……っすか? 大方の想像通りで面白味がないかもですけれど演劇を少々っす。お嬢が演劇部の部長をやってますんで、それのアシストがてら入部したっすけど、意外と体力勝負だったりするっすよ」
「へぇ、演劇って文化系の部活動があったので体力を使うイメージがなかったです。勉強になります」
確かに演劇部に関してはそういうイメージはなかったけれども、こうして女学園に紛れ込みながら女子生徒を演じてからというものの、葛城さんの発言には納得しか出来なくて、私は心の中で何回も頷いていた。
常日頃から他人に見られていて、バレるかバレないかを常に意識しながら生活するというのは神経をすり減らすし、呼吸の一動作すらにも気を遣う必要性があるのだから。
「おやおや、様子を見るにどうにも天使さんにも演技の大変さがお分かりのようっすね……っと、いけないいけない、折角のお客様。しかもお嬢のお気に入りの方だっていうのにお茶を出すのを忘れてたっす」
彼女はそう言い残して、すたすたと壁面の方にへと向かっては演劇のポスターらしきものの前に立ち……理解に苦しむ行為をやってみせた。
というのも彼女は何の脈絡も無くに、いきなりそのポスターを剝がしてみせたのだ。
「えっ⁉ ちょ、いきなり何して……⁉ ……って、あれ? ポスターの裏に穴……?」
「経年劣化によって生じた壁のヒビをこじ開けて作った穴っす。私たち……というか演劇部はここに色々と隠してるっすよ」
「……それ、理事長代理にバレたら不味いのでは?」
「百合園さんには御内密にお願いするっす」
ケラケラと笑いながら葛城さんは壁の中から――正確に言うのであれば、壁の穴から――慣れた手つきで隠しておいたコーヒーケトルと瓶詰にしたコーヒーの粉を取り出すと、ケトルの中を水で満たしてから電源を入れて中に満ちた水を沸騰させる。
これがお嬢様学校特有の行動力なのかと驚かざるを得ないけれども、その本人はと言うと、鼻歌を歌いながら着々とコーヒーフィルターを用意したりだとか着々と準備を進めていたのであった。
「さて。コーヒーを作るのには当然ながら時間がかかるっす。そういう訳で軽い世間話でもどうっすか?」
「世間話、ですか?」
「いえ何。私の主人のお嬢がどうして天使さんに病的なまでの愛情を向けているかどうかのお話っす……おっと。どうにも興味は多少なりともあるご様子っすね?」
「………」
「敵と対峙するにはまず敵の情報から……っす。どうっすか? そういうの少しでも欲しくはないっすか?」
私は葛城さんが話す内容に耳を傾けて良いものかどうかを考えていた。
というのも、下冷泉先輩は典型的な変態だった。
彼女が私の事を好きになったのは直感だとか本能だとか常識人ではとても理解できないような内容のように思えてならない。
であるのなら、そんな分かりきっている内容をわざわざ聞く意味などあるのだろうかというのが正直なところ。
しかし、私がそのような旨を葛城さんに伝えてみると彼女は実に愉快そうに笑っていた。
「本能? 直感? ……お嬢が? あはは! それこそナイナイ! ありえないっす! あの人、天性の詐欺師っすよ? いやぁ案外、天使さんって人を見る目がないっすねぇ。とはいえ、お嬢の噓を見破れる人間なんて始めからお嬢の事を知っている人ぐらいっすから仕方ないと言えば仕方ないっすね」
「下冷泉先輩が、詐欺師?」
「ふふ、口が滑ったっす。お嬢に聞かれたら減給されるっすね。お嬢には御内密でお願いするっすよ」
「……つまり。私が下冷泉先輩に密告しないと誓えば、葛城さんは口を滑らせ続けるという事で宜しいでしょうか」
「頭が良い人との会話は楽しいから好きっすよ」
流石に葛城さんの会話の全てを信じるつもりは毛頭ないけれども、それでも異常なまでの愛着を見せる下冷泉霧香への情報があるに越した事は無い。
それに情報提供者である彼女はあの下冷泉霧香の従者と名乗るだけの人物であるので、情報の信憑性は多少なりともあるだろう。
もちろん、従者という立ち場だからこそ、嘘を盛る可能性も無きにしも非ずではあるのだが……全てを鵜吞みにする気なんて更々ない。
色々と考えた結果、私は彼女の大きな独り言に耳を傾ける事にした。
「幼い時からお嬢のお世話をしていた私が断言してやるっすけど、お嬢が天使さんにぞっこんなのはお嬢の初恋が関係しているからと見たっす」
「初恋、ですか」
「おっと、天使さんも年頃っすねぇ?」
からかうような声音でそんな事を言う葛城さんではあるけれども、これに関しては仕方がないと抗議したい。
というのも、あの個性豊かな変態である下冷泉霧香の初恋の話題ともなれば『これは何だか面白そうな話題だぞ』という直感を覚えてしまったのだから。
恋愛の話題というものは古今東西、老若男女問わずに人々を夢中にさせるものであり……しかも、下冷泉霧香その人の初恋事情ともなれば気にならない筈が無い。
興味を持つなと言われても、興味を持たないでいるのは非常に難しい事は想像に難くなくて、私の口は勝手に聞きたいと口を滑らせ、私の耳も勝手に話に耳を傾けていた。
「あんまり大きい声では言えないっすけどね。お嬢は元孤児っす」
「――え?」
「早い話が養子縁組っす。幼い時から大人をたじろかせる程の美貌を誇っていたお嬢は下冷泉家に拾われて、高等教育を施されたっす。それで出来たのがあの変態っす」
「……それは、簡単に話しちゃいけない事じゃ。それもこんな私みたいな、今日会ったばかりの人間に話すような内容じゃ」
「じゃないでしょうね。でも、お嬢が天使さんに好き好き大好きって言っている以上、従者としては天使さんがお嬢の事を少しでも好きになって欲しいのが実情っす」
「……」
「あの人、色々と歪んでいるから素直に愛情表現が出来ないんっす……何で私がこうして勝手にお嬢の好感度を稼いでいる訳っすよ。本当に困った人っす」
コーヒーを淹れるのもそろそろ佳境になったからか、演劇部室はコーヒー特有の香ばしい匂いが漂い、私はそれを無意識のうちに堪能してしまうけれども、耳を澄ませばお湯を注ぐ音に混じって葛城さんが困ったように笑う声が少しだけ聞こえてきたような気がした。
「さて、そんなお嬢ですけれど、下冷泉家に拾われる前は孤児施設にお世話になってたっす」
「孤児院、ですか」
「今ではもう院長が亡くなって潰れた孤児院みたいっすけどね。まぁ、孤児院と言われても天使さんのような美人さんには縁遠い世界かもしれないっすけど」
それこそまさか。
奇妙なことに、私も下冷泉霧香と同じく頼れる親族がいなかったが為に孤児施設にお世話になっていた時期がある。
そういう意味では、私はあの変態の先輩に対して同情というか、同じような境遇の相手に出会えたという事実を前に只々驚くしか出来なかったのだ。
「当然、孤児であるお嬢は辛い毎日を送っていたでしょう。しかし、そんなお嬢の辛さを忘れさせてくれる相手がいたっす」
「……それが、件の初恋の人という訳ですか」
「イエスっす。その孤児施設にお嬢がお世話になっていた時……お嬢が落ち込んだり悲しんだ時に美味しいティラミスを作ってくれる男の子がいたそうで」
……あれ?
もしかして、これ滅茶苦茶良い話では……?
「当時のお嬢は幼稚園ぐらいの年齢。ですので菓子作りの9割方は孤児院の先生が作っていた……らしいっすけど、お嬢が落ち込んだら背伸びをして、台所に立って、先生に黙って勝手にティラミスを作ろうとして、包丁で怪我して、それでも涙を堪えて作り上げようとして、先生に見つかって怒られても、最後の工程まで自分1人の力で作りきった男の子がいたそうっす。彼はそんなお嬢にティラミスをご馳走してくれたそうっす」
何このめちゃくちゃいい話。
大抵の思い出話はお涙頂戴させる気満々で素直に感動なんて出来ないけれど、料理を作ろうと頑張るその男の子に私はとても感動したし、何ならこうして話している葛城さんの声が涙声になっている。
台所って大人が立つ前提の作りだから子供の身長ではとても扱いづらく、昔の私もよく台所に立っていた経験があるので、その男の子の苦労が手に取るように分かってしまうのだ。
「とてもいい話ですけれど……その男の子と私に何の関係性が?」
「髪色」
「……え?」
「天使さんと同じ銀の髪色の男の子だったそうっす」
「…………え?」
「お嬢が言うにはその銀髪の男の子はお嬢とお姉さんにべったりだったそうで、お嬢はあの子とは毎日遊んでたそうっす。だからっすかね? 天使さんは銀髪だからこそ、お嬢の懐かしい過去を刺激したんでしょう。だから、一目惚れ……という訳でしょうね。あの人、あぁ見えて意外と一途っすよ」
あれ?
待った。
色々と待って。
私はとんでもないほどに嫌な予感さえ覚えている。
姉がいて?
銀髪で?
孤児施設出身で?
料理が好きで?
うわぁ、それってまるで私みたいだなぁ。
「………………………………………………」
「いやぁ、お涙頂戴な良い話っすよねぇ。これで天使さんもお嬢への好感度が多少なりとも上がれば幸いっすね」
「……あ、あの、葛城さん……? 先輩はその男の子の名前って、覚えていたりします……?」
「本人に聞けばいいじゃないっすか」
「そ、それはそうかもしれませんが……⁉」
「お嬢、さっきからずっと天使さんの後ろにいるっすよ?」
「フ。だーれだ?」
突然、目に入る世界が真っ暗になって、眼前に広がっていた風景全てが一瞬にして暗黒と化す。
それと同時に柔らかいような、甘ったるいようなそんな香りが鼻いっぱいに広がって、頭が一瞬だけ稼働しなかった。
「――な、な、な⁉」
当然ながら、いきなりの事で気が動転してしまった私は素っ頓狂な声を上げて、慌てて視界を覆う何かを力ずくで取り払い、こんな事をしでかした存在を見るべく振り返る。
「フ。正解は貴女の下冷泉霧香。不正解の唯お姉様には私と付き合う権利をあげる。そういう訳で2回目のプロポーズと洒落込みましょう。そろそろ唯お姉様と性行為をしないと私が死ぬ」
後ろに立っていたのは黒髪の美少女こと、変態メス豚先輩にして、僕の女装生活を脅かすであろう秘密を有しているという最大最強の難敵と化した下冷泉霧香。
買い物袋みたいに女性の下着であるブラジャーを手にする彼女はいつ見ても慣れない不敵な笑みを浮かべては、動揺する私を恋する乙女のように嬉しそうに見つめている。
つい先ほど自分の視界が真っ暗になったのは彼女の黒色のブラジャーが直接、私の顔面を覆っていたからなのだろう……その事に気が付いたその瞬間、私の下半身が火が付いたように熱くなる。
「フ。それにしても唯お姉様は鈍感なのね。まさか私の過去話に夢中になっている間、唯お姉様の後ろにずっと立って唯お姉様の銀髪をクンクンペロペロムシャムシャして自慰行為をしていたというのに気付いてくれやしないだなんて! それでこそ唯お姉様! この放置プレイ上級者! 好き! 大好き! 結婚しましょう! 処女膜の納め時よ! その処女膜貰い受けるわ!」
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