汗かいちゃったね、唯お姉様

(もうやだっ……! もうやだぁ……! 女の子に身体を触られるのもうやだよぉ……!)


 世間一般で言う所の淑女であらせられるお嬢様たちに身体という身体を一方的に触られてしまった私は朝のホームルームの休み時間の後に行われたクラスの席順を決めたりだとか委員会を決めたりする時間を過ごし終え、長い長い昼休みを迎えてしまった。


 昼休み。

 それは学生諸君にとっての束の間の休息である休み時間とは比べ物にならない程の時間を有する休憩時間。


 だがしかし、今現在の百合園女学園においてはそれは別の意味を有していたのであった。


「唯お姉様ァ……⁉ 唯お姉様ァ⁉ どこですの⁉ 探せェ! 私たちの唯お姉様を探せェ! ああ愛しい我らの唯お姉様ァ! 聞こえているのでしょう⁉ 私たち妹の悲しみの声が聞こえるのでしたらその麗しき姿を曝け出してくださいまし! 絶対に何もしませんから! 本当に何もしませんから! ぐへへ……!」


「くっ……! さっき唯お姉様を触り放題をしていた時に付けた筈のGPSが作動しませんわ……! 私たちの唯お姉様を不審者から守る為に付けたお守りだというのに! 唯お姉様は妹の心が分からないのでしょうか……!」


「今はもう昼休みでしてよ、唯お姉様! 本日のランチは唯お姉様の制服に付着した汗を回収して、マイ炊飯器で炊いた白いご飯に唯お姉様の汗で味付けしたおにぎりをお願いしますわ! おいしいですわね、私の脳内に寄生していらっしゃる唯お姉様ァ! 今日から唯お姉様のお家は私の脳内でしてよ!」


(……ひっ……! 外から私を探している女子生徒の声が聞こえてくる……⁉ というかGPSを付けられてたのっ⁉  怖い……! 怖いよぅ……⁉ この学園怖いよ助けて姉さんっ……!)


 声を出したら死ぬ。

 それが分かっているから、私は両手で口を覆い、声と呼吸を物理的に無理矢理に止めていた。


 今、私はご主人様から託されていた理事長室の合鍵を手にしてクラスから命からがら脱出し、安全圏である理事長室に入り、扉を完全に閉めきって籠城し、絶対に誰かが入ってこないように鍵をして、息を殺しながら理事長室に閉じこもっていたのだ。


 因みにその間、ご主人様は女子生徒たちの足止めをしている手筈となっている。


 というのも、授業中に私が泣きそうな目でそう訴えたら、その言葉なき言葉が伝わってくれたのか、彼女は私が席を立ち上がるのと同時に群がってきた女子生徒たちの眼前に立ちはだかっては足止めをしてくれたのであった。


 1秒ぐらいしか足止め出来てなかったが、あの暴徒と化した女子生徒の前に立つのは並大抵の人間ではとても出来ない事なので、そこは考えないようにしておく。


(……もう大丈夫だよね……? もう息していいよね……? もう泣いてもいいよね……?)


 当然ながら、ここ理事長室にずけずけと入り込んでくる生徒というのはまず存在しないし、彼女たちにこの鍵のかかった部屋を開ける手段もない。

 

 変態お嬢様たち総計100人ほどの気配が段々と遠ざかっていくのを肌で感じとってから、ようやく安堵のため息を吐き出す。


「……つ、つ、つ……!」


 疲れるっ!

 すっごく疲れるっ!


 油断も隙も見せられないというか、仮に見せたら社会的に私は死ぬっ!


 こんな緊張感にしか満ちていない生活をし続けないといけないのか⁉


 というか、本当になんだよコレ⁉

 私が一体何をしたって言うんだ⁉

 私は精々、女装をして女学園に侵入したぐらいで――それは十二分に犯罪だよ私⁉


「か、顔と脚の筋肉が……! 女子に触られた胸にお尻に足が……なんか、もう……おかしいっ……!」


 クラス委員決めの最中でも私の背後やら真横やらありとあらゆる方向から女子生徒たちの好奇と性欲の視線に晒され続け、その中でも女性らしい笑顔を貼り付けていたのだけれども、彼女たちには本当に油断も隙もありはしなかった。


 おかげ様で私の表情筋は笑顔の所為で筋肉痛を起こしていた。


「これを……あと……2年も……⁉」


 仮にもお嬢様学園であるというのなら、もっとこう、女子生徒の皆々様は慎み深くあるべきではないのかと私は思う訳なのだけど……⁉


「取り敢えず、周囲の反応から見ればバレてはいないようだけど……だけどさぁ……! おかしいでしょ……! 私は誰がどう見たって男の子だよっ⁉ 仮に女の子に見えたとしてもボーイッシュな女の子だよ! その目は節穴なのかなっ⁉ もっと男の子を見てよっ! そうだよ! お嬢様学園の生徒だから男性の知識が欠けているんだ! うん! きっとそうだ! そうじゃないとおかしいもんっ……! だって、私は誰がどう見ても男の子なんだからっ……!」


 先ほどの休み時間のように触られ続けられるものなら、あのセクハラは段々と激しくなることは想像に難くなく、今回は幸いにも下半身を死守できたものの……次も下半身を死守できると断言はできない。 


 今回は偶然にもこうして理事長室に逃げ込めただけでも幸運であり、その次もその強運で守られると考えない方がいいだろう。


 今後の身の振り方をご主人様と考えてみるのも必要だと思いながら、理事長室に置かれていた姿見の鏡面を用いて私は乱れてしまった制服を着直す。


 ……そうすれば、当然ながら女装をしている自分が当然写ってしまう訳で。


「……かわ、いい……? あれ……? 私って、ひょっとして……かわいい、のかな……?」


 ドキリ、と自分の心臓が恋するように大きく高鳴る。


 まるでではなく、本当に亡き姉である和奏姉さんにそっくりなかわいい銀髪の女の子がそこにいて、男の子である私自身でさえも思わず生唾を飲み込んでしまうぐらいの美少女がそこにいた。


 今日、私は初めて女子校の教室に足を踏み入れた訳なのだけど、そこにいた一般生徒よりも綺麗な女子生徒が、緊張からか赤面し、汗を流しては荒い息を繰り返しては他人を欲情させるつもりしかなさそうな潤んだ瞳をこちらに向けている絶世の美少女が、自分の目の前の鏡に写っている。


「……う、うぅ……。ご主人様が私をエロいって言うけれども……これは否定できない……否定したいのに……できない……」


 なるほど。

 確かにこれほどの美少女であれば、皆の気が狂ってしまうのも頷ける話――。


「いやいや、一体何を考えているんだよ私っ⁉ それはナルシストの発想だよっ⁉ そんなのを考えるのは流石に気持ち悪いってば! いや、でも……私、本当に男だよね……? 女、じゃない、よね……?」


 色々と自分のアイデンティティを失いかけ、危ない思考に支配されかけそうになりかけたが、頭をぶんぶんと振り、偶々理事長の机の方にへと目を向け、それに意識を割けることにした。


「……それにしても、随分と立派な机だなぁ」


 誰がどう見てもこの学園内で一番偉い人間の机であるという事を知らしめるかのような黒塗りの高級志向の机はまさしくお嬢様学園の運営者として相応しいなと思いながらも、私は何も考えずに机のすぐ傍まで近づいた。


 机の上には何やら重要そうな紙やら色々なものが無造作に置かれてはいるものの、基本的にはファイル等で管理されていたりと綺麗に整頓はされている。


「……っと、いけないいけない。ここは人様の仕事の場所なんだからこうして近づくのは色々と不味いよね」


 こういうのってアレだ。企業秘密だとかそういう類の大切な資料だとかそういうものがあるのが相場だ。


 そうして慌てて離れてしまった所為か……私の動きによって応じてしまった衝撃か何かで軽い風が吹き、机の上に無造作に置いてあった紙を1枚飛ばしてしまう。


 誰がどう見ても自分の所為で飛んでしまった紙を無視する事は流石に出来なくて、反射的にその紙を元あった場所に戻したのだけど――内容という内容に、半ば事故のように目を通してしまう訳で。


「――身体測定の告知並びに体操服の申込書? た、た、た……体操服ぅ⁉」


 いや、ちょっと待って!

 これは流石に不味いって!


 考えてもなかった!

 今後の女学園生活において、姿ってことを!


「ちょ、ちょっと待って。ここの学生だった時の姉さんが着てた服って確か……、だったような……⁉」


 ブルマ。

 それは腰周りを覆う女子用の体操服の一種であり、特に太ももだとかを強調させる造りになっていて、近年の学校では余りに採用されない傾向にあったのだけど……ここは明治時代の頃から運営されている超がつくほど歴史のあるお嬢様学校。


 当然ながら、そんな百合園女学園が古き良きブルマを採用しない訳がなかった。


 いや、確かにブルマを着用した女子生徒は大変に健康的なおかげで目のやりどころに困るけども!


 私個人としてはブルマを着用した女子は大好物だけど……それとこれとでは話が全くもって別!


 下半身が調されるような! 

 ブルマに!

 男の私が!

 着替える!


 しかも!

 

  

 そうなってしまえば私の下半身は……!

 私の下半身は……⁉


「勃起するなと言われても、そんなの無理だよっ……⁉」


 嗚呼ああ、拝啓。天国の和奏わかな姉さん。

 男の私がどういう因果か百合園女学院の体操服を袖を通す事になりそうですが、僕は変態ではありません。


 本当なんです。

 信じられないでしょうけれど、信じてください。


「……このがっこうこわいよぉ、ねえさんっ……!」


 次々とやってくるこれからの恐怖に思わず我を忘れ、私は考えなしに理事長室から逃げ出すように廊下に飛び出て――。


「いましたわぁ! いましたわよぉ! 私たちが恋しいが為に唯お姉様が出てきましたわよぉ!」


「……ひぃっ⁉ な、なんでいるんですかっ……⁉ お願いですからこれ以上私の身体を滅茶苦茶にしないでっ……⁉」


 私を探し続けていたのであろう女子生徒たちの群れに運悪く鉢合わせてしまい、このまま理事長室に居座ればと後悔しても後の祭り。


 疾走禁止の廊下をとんでもない速度で駆けてくる女子生徒から反射的に逃げて――この学校に来てまだ日が浅い私は一体全体どこに逃げればいいのかと頭を悩ませてしまう。


「あっ、あっ、あっ……⁉ ど、どこに逃げればっ……⁉」


 つい勢いで逃げてしまったけれども、理事長室に籠城すればよかったと本日何度目になるか分からない後悔をしようとした矢先。


「……誰か、助けてっ……!」



















「ご依頼承りましたっす。まだ学校は不慣れっすよね? なら学校案内も兼ねてやるっすよ。取り敢えず、良い逃げ場所にご案内っすね」














 いつの間にやら私の眼前に湧き出てきた栗色のショートヘアの、黒縁眼鏡が特徴的な小柄な女子生徒がそんな事を言うと、私の手を掴んで引っ張っては何処かにへと連れていく。


「えっ、えっ、えっ……⁉」


 見ず知らずの誰かに手を引っ張られているという事実から反射的に抵抗しようにも、煙のように湧いて出てきた彼女の力は意外と強くて抵抗できないし、かなりのスピードで引っ張られる続けられるものだから身体が転ばないように足を勝手に進ませてしまう始末。


「素人の走りながらのながら作業は危険っすよ? 大人しくついてきてくださいっす。何、私はお嬢のように天使さんをセクハラするつもりは毛頭ありませんっす。何せ私、常識人っすからね」


「だ、れぇ……⁉」


「そういえば互いに初対面でしたっすね」


 まるで歩きながら談笑するように、彼女は全速力で走りながらそんな事を息を切らさずに気楽に話しかけてくる。


 話しかけられる私の方はと言うと、彼女に引っ張られる速度についていくのがやっとで、返事なんてとても出来なかった。


「走りながら自己紹介っす。自分、葛城かつらぎっす。天使さんに一方的に求愛してきた変態お嬢こと下冷泉霧香のお嬢のお付きの人間と言えばいいっすかね?」


「しっ⁉ 下冷泉先輩の⁉」


「大丈夫っす。自分はお嬢と違って変態じゃありませんっす。普通にノーマルっす。あんなクソレズ変態セクハラお嬢と一緒にしないでくださいっす」


「そ、そんな事言われても……⁉」


「その疑念は至極当然っすね。そういう訳でまずは行動で自分の有能さをアピールしてその疑念疑惑を晴らすっす。何せ私、常識人かつ有能っすからね。手始めに後ろの変態レベルが低い箱庭育ちのお嬢様を撒くっすよ」

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