第八章 満月の夜に 第1話
長に命ぜられるがまま、芸をする。赤と黄色のストライプ柄の大玉に乗りながら三本の瓶をまわして見せると、観客は歓声をあげた。ただ芸をして、金をもらう。楽しくもなければ、悲しくもない。二年前、♦Qに会ったとき生まれた疑問。いつから感情を失くしたのだろう。涙も出なければ、笑顔も作れない。笑い方なんて、とうの昔に忘れた。心をどこかに置いてきた。
毎日毎日、鞭を片手に芸を教え込む長。感情なんて持っていてもお腹は膨れない。感情を抑えたほうが、芸でミスをすることが減った。だったら、感情なんて捨ててしまえばいい。辛いなんて、思わなければいい。♥Qの名を聞けなかったことなんて、♥Qの望みなんて、忘れてしまえばいい。そうやって二年の修行が終わったころには、元々手先が器用だったこともあり、相当な量の芸ができるようになっていた。客の前に立つようになると、僕目当ての客までできた。あっという間に一番の稼ぎ頭になり、金と少しの自由を手に入れた。
その日は珍しくカードマジックを披露していた。トランプはほぼ消耗品なため、めったに使わないのだ。いくつかの芸が終わったとき、おさげ髪の女が目の前にいた。捨てたはずの記憶が、つい昨日のことのように蘇る。その女が♠Qであることは、すぐにわかった。会えた。偶然とはいえ、再会することができた。それならば、もしかしたら♥Qにだって、会えるのかもしれない。小さな希望が、僕の中に生まれた。そこから、僕の♥Q探しが始まった。
二年の月日が流れていたけれど、競を聞くことができた♥Q以外の全員の買われ先はまだ覚えていた。しかし、一座に買われている身である僕は自由に探し回ることはできない。夜の間だけ手に入れたほんのひと時の自由と、芸をしているときに目と耳を最大限に使うことで情報を集める日々が続いた。六年をかけてついに♥Q以外の全員の消息をつかめた。♠K,♣KQは既にこの世にいなかったが…。六人に会うことができた。それなのに何故、一番会いたい人に会えない。
六人目の♦Kに会ってから一年が過ぎようとしている。聞き込みをしてくれるといっていた♦Qからは、何の連絡もない。もはやここまでか。いいのだ、これで。また、自分だけを考えるだけですむ日々が始まるだけだ。ずっとそうだった。守るべきもの、大切なものが増えるほど、自分の身が守りづらくなる。だから全てを切り捨て、ここまで生き延びてきたんじゃないか。自分と命と金だけを信じる。そうやって、このストナレア国を生き抜いてきたのだ。
わかっていた。わかっていたのに。どうしてあの少女に惹かれてしまったのだろう。
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