第七章 あの日の記憶 第2話
ようやく、おじさんとの待ち合わせ場所にしている馬貸家の前に着いた。そこには馬を待つ人のためのベンチがあり、上物のスーツに身を包んだ三十代くらいの男が一人、座っていた。
「お隣、よろしいですか」
母が問うと、男は笑顔でうなずいた。母に即されるがまま腰掛けたベンチは、街の公園のそれとはまったく異なり、今にも崩れそうな木製だった。母と男は気が合ったらしく、会話に花を咲かせた。私も気さくなこの男が気に入った。話をしている間に馬が二頭帰ってきて、お客が五人ほど出発したが、おじさんが来ることはなかった。
「おかしいわね。場所を間違えているのかしら。まだ引っ越してきたばかりだから、どこかで迷っているのかも」
母が不安そうにつぶやく。
「じゃあ、そこらを探してきてはどうですか。リベルちゃんは、私が見ておきますよ」
男が提案した。
「お言葉に甘えさせて頂いていいですか。リベル、ここから離れちゃだめよ」
「うん。いってらっしゃい」
それが、母と交わした最後の言葉だった。母が見えなくなってしばらくすると、男がピュっと高く鋭い口笛を吹いた。とたんに、馬小屋の影から質素な馬車が出できて、私たちの前に止まった。中から大柄な男が二人飛び降り、腰を浮かせた私の両腕をつかんだ。それは、本当に一瞬の出来事だった。
「お母さん!」
叫ぼうとした私の口は大男の手によってふさがれ、届くことはない。
「ロゼットの女なんてなかなか手に入るもんじゃねぇ。傷ひとつつけんなよ」
さっきまで親切だったはずの男が、大男に命ずる。何故…。
「ったく、最近のリルソフィア人様は人を疑うってことをしてくれなくていい。それともロゼットの血筋かね。さっきのおやじだって、今頃反対方向に向かってひたすら馬小屋求めて歩いているんだろうよ」
男の言うおやじが、私のおじさんを指すのだとわかったとき、ようやく嵌められたのだと悟った。この男は始めから私を狙っていたのだ。抵抗するすべもなく馬車に運び込まれ、何かの気体を吹き付けられると、一気に意識が遠ざかった。遠のく意識の中で最後に頭に浮かんだのは、もうリルソフィアの地を踏むことはないだろうということだった。
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