第二章 温かい心 第2話

 最後に出てきたのは、奇妙な出で立ちの男だった。とんがり帽に大きすぎる服、左目の下には逆向きのハートマーク、右目の下には逆三角形が描かれている。白塗りの顔からして、ピエロと呼ばれる者であろう。実物は初めて見た。大道具の係りらしき青年が、僕の座る玉座から五歩ほどの眼前に机を置こうとした。

「無礼者!シュー王子に近づくとは」

 鬼の形相で駆け寄った警備兵が止めに入る。

「待て」

 その日初めて声を発した僕を、その場の皆が驚き見た。

「その者が僕に危害を加えるとも思えん。好きにさせろ」

「しかし」

「これは命令だ。僕は旅芸人に任せよと言っている」

「…かしこまりました」

 警備兵がしぶしぶといった様子で引き下がる。僕は机ひとつ挟んで、ピエロと向かい合った。机の上には、空き瓶が十本ほど並べられている。ピエロは懐から二十センチほどの大きさの紙を取り出し、僕の前に広げた。

『この瓶を空中で回していきます』

 以前何かの本で、ピエロはしゃべらないものなのだと読んだ記憶がある。彼もそうなのだろう。ピエロは三本の瓶を取ると、慣れた手つきで回し始めた。すぐに右手が机に伸び、もう一本加わった。さらに一本、二本、三本。回転を止めることなく、あっという間に頭上の瓶は七本になった。いや、八本だ。いつの間に。今度は見逃すまいと、ピエロの手元に注目する。それは数瞬だった。ピエロの左手が机上に残っていた二本の瓶を同時につかみ、空中に放った。

 気付けば、僕は無意識に手をたたいていた。とても同じ人の成しえる業とは思えなかった。ピエロは先と逆の手順で瓶を戻すと、深くお辞儀をした。

「お前、見事な技だな」

 ピエロは静かに首を横に振った。

「僕は君が気に入った。何か褒美をやろう」

 僕の申し出に、ピエロは首を斜めに傾けた。表情が一切変わらないためわからないが、困惑しているようにも見える。

「それでしたら、報奨金を増やしていただきたいなと」

 ピエロの後ろから口を挟んできたのは、旅芸人の長の者らしかった。

「もちろん、増額する。七百チルドほどな。但し、今聞いているのはこのピエロの望みだ」

 チルド、とは、ストナレア国の金銭単位である。

「ありがとうございます」

 長はにたにたとした笑みを浮かべながら、引き下がる。下品な奴だ。それに比べて、目の前にいる男はとても高貴に思われた。己の望みの全てを叶えられるこの状況に置かれてもなお、表情ひとつ変えない。

「個人的な望みでよい。何かないのか」

 もう一度問うと、ピエロは懐から紙とペンを出した。そこに、さらさらと何かを書き付ける。

『こちらにトラーという男がいらっしゃいませんか』

 頭の奥がすっと冷たくなった。トラー。その名をこんなところで見ることになるなんて…。

「おのれ、無礼者!」

 横から文面を覗き見た警備兵が、慌ててピエロに飛びかかろうとする。

「やめろ。彼と二人きりで話がしたい。この者を別室に通せ」

「ですが王子!こんな得体の知らぬものと二人きりなど、危険すぎます」

「では、旅芸人の誰かを人質にとれ。それでいいだろう」

 ピエロは、僕の知らないトラーを知っているかもしれない。

「さあ、別室に来てくれ」

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