第11話 秘め事

 電車に揺られながら、私は美甘さんに恋バナを語る。

 幸い、乗客はまばらだし、コードレスイヤホンが、通話中の艤装になる。

「そっかぁ、でもその指輪、もしかしたらフェイクかも。ちゃんと、確かめた?」

「ぇ、フェイクって、どゆことですか?何、フェイクって、誰得なん?」

「だからぁ、声をかけられたり、色目を使われるのって、面倒じゃない?」

「え〜?そんな体験無いから、よく分からんし、そもそも男の人って、そんな事考えるかな?」

「私は、そう思うけどな」


 幼稚園、小学校、中学校、そして偶然にも高等学校でも同じだった男性がいる。

 ご近所に住んでいた、私の幼馴染。

 怪我して泣いてばかりだった、弟みたいな存在だった。

 一緒に登下校するのが、普通のことだった。

 普通すぎて、当たり前すぎて、自分の気持ちに気づくのが遅れてしまった。

 大学で別れ、保険会社を経た五年後、奇跡的に同じ会社の新入社員歓迎会で、バッタリ再会したのだ。

 大衆居酒屋の安い壁紙が、光輝いた。

 それはもう、誰だって思うだろう。

 これは、“運命“なんだ。

 でも、すれ違った五年間は、ふたりの間に重くのしかかる。

 彼の左手の薬指には、シンプルなデザインの、真新しいプラチナの指輪が光っていた。

 十四年間も、一緒だったのに…。

 たった五年で、取り返しがつかない関係になってしまった。

 私は、自分の気持ちに気づくのが、あまりに遅すぎたのだ。


「どうしたの?」

「いや…彼氏できた事あるの?」

「ありますよ、一応ぉ」

「ぇ、いつ?何歳ごろ?」

「…ち、高学生の頃」

「いや、ち、って言ったよね?ちって。ほんとは中学生じゃね?」

「違いますよ!本当に高校生です」

「何年の時?」

「えっと、3年生です」

「えっと、って。考える事?普通、すぐに出るよ?」

「忘れてたんです」

「思ったんだけれど、言っていい?」

「何?」

「美甘さんって、人付き合い苦手だよね」

「もう大人ですよ。問題ない範囲で対処できます」

「対処って…だって、出会った時なんて、120度のお辞儀してたのよ。気づいてた?もう、なんか一杯一杯な感じ」

「それは…あなたが、魔女だと思ったから、逆撫でしないようにって。大体、私が少々奥手な事なんて、今関係ないじゃない」

「だいぶ、砕けて来たけどね…でも、大事な事だと思うのよ」

「人生論でしょうか?説教なのでしょうか?」

「いやいや、違くて…なんかさ、ちょっと見えてきた感じがするのよ。営業マンだからかなぁ?」

「女なのに、営業マンは変だと思います」

「そういうところもさ、何かどうでもいいと思うんだよね。片意地張ってるってか、痛々しいよね」

 美甘さんは、電車の背景と同じ速度で、後続車両へとスーッと消えていく。

「あら、行っちゃった。大事な話なのに…みかん好きの美甘さん」


「そっちじゃない」

 大学の最寄り駅で降車し、地図アプリを頼りに歩いていた私に、空から声をかけられた。

 見上げると、不機嫌そうな顔でワンピースの裾をなびかせる、美甘さん。

「あ、逆だったのか。少し歩かないと分からない仕様、何とかして欲しいよね」

 私はダンマリの彼女を見上げながら、住宅街を歩き、大学へと辿り着いた。


「ですから、失踪前に彼女から、成分分析の案件について、相談を受けていまして…ええ、秘匿義務に関しては、彼女も言っていましたし、分析内容について具体的に話された訳ではないんです。ただ、これは一見してデタラメな悪戯のような混ぜ物であるかのように思えて、実は単なる毒物ではない、別の効用があるのではないか、と考えていたらしいんです。それを、教授にも内緒でラットの実験をしたらしく、私はその詳細を確かめた上で、教授にご説明する義務があるのでは、と考えたのです。もしかすると、とんでもない勘違いを、私たちはしていた可能性があるからなのです!」

 守衛を説得し、意外にほっそりとした体型の教授を呼び出すまでは、何とかなった。

 しかし、実験室に入れて欲しい、という要望に対しては、教授は頑なに首を振る。

 私の経験上、細身の初老は、厄介だ。

 自制心の塊で、プライドが高く、自分に疑念がなく頑固なのだ。

 いやいや、決して悪口では…。

「…つまり、未知の毒薬である可能性が高いのです」

「馬鹿馬鹿しい。あんな泥遊びのような調合で…」

「検知できなかったのは、仕方ありません。アミノ酸の変異体です。精神に作用します。これ以上は、私がラットを見ることができれば、決定的な結論として、お話しすることができます」

「彼女から、何を聞いているんだね?」

「ラットを見て…」

 私は前歯を見せて、笑顔を作った。


 身分証を見せ、コピーを取られ、私はゲスト入館証を受け取った。

 ラットは、まだ生きていた。

 じっとして動かないが、餌を与えるとしっかり食べるらしい。

 さて、私はその前に顔を近づけ、目を閉じる。

 …6秒後。

 ラットは慌てふためき、ゲージの奥を右往左往し始めた。

「…一体、何をした?」

「猫の気持ちになってみたんです」

「はぁ?」

「ところで、教授。美甘さんのフルネームを教えてください」

「何だ、それは。君は知っているはずだろ」

「これ、ですよね?」

 私はロッカーに貼られたネームプレートを指差しながら、天井を見上げた。

 美川 萌。

 美甘ではなく、愛称として、ミカモ。

「嘘は言ってない」

「でも、本名でもないし、そもそも漢字、違う」

「本名なんて、言えるわけないじゃない!」

「…なんで?」

「だって、魔女に本当の名前を教える、なんて…」

 ほほぉ…何か、聞いたことがある。

「なるほど、本名かぁ…確かに、大事なファクターだ」

 教授は、私の肩を掴んで怒鳴った。

「突然、何を言い出しているのだ。私を見て話したまえ。ミカモ君から、何を聞いたのだ?」

「あ、彼女、そこにいます。今」

 教授は眉を顰めた。

「私を小馬鹿にするつもりか?」

「謎は解けました。全てが終わった後、彼女は教授の前に、再び姿を見せるはずです。そうしたら、直接彼女から、真相を説明してもらってください。私の化学の語彙では、説明しきれませんので」

 教授は、私の肩を掴んで怒鳴る。

「約束が違うぞ」

「約束は、すでに果たしました。ただ、時期の見解が異なっていただけです。今すぐ、ではないだけですよ」

「さては君はッ…どこかの研究室の…」

「キャー、暴力反対です!パワハラ反対!セクハラ反対!」

 生真面目な教授は、思わず手を離す。

 私は走り出した。

「セクハラされましたぁー!」

 守衛にパスを返して、ダッシュで大学を後にした。


「私…あの人、嫌い」

 住宅街に出た後も、教授はしつこく追って来た。

 15分走り続けて、ようやく撒いた。

「もっと、うまくナビゲートしてよぉ…あぁ、ゲロ吐きそう」

「やってたわよ!距離を離せないから、足音でバレちゃうのは私の所為じゃない」

「絶対…マラソンとか…やってるわよ、あの教授…信じられない」

「マラソンやってるのは、いい事じゃないの?」

 私は萌の顔を見上げ、首を振った。

 たまには、理解し合えない事柄もある。

「なんで、ラットが動いたのか、教えて」

 萌さんは、宙に浮きながら、腕組みする。

「だから、猫の気持ちになったのよ」

「わかるように説明して」

「むぅ…周りの人間たちが、難しい化学の事を考えていたって、ラットにはチンプンカンプンでフリーズしちゃうのよ」

「だから、わかるように」

「あぁ、説明が難しいのよ!勝手な想像でしかないし、まだ間違ってるかも知れない…なんて説明すればいいのやら、ちょうどいい言葉が思いつかない…さ、もう移動しましょ…ってか、私が動けばいいのか。あなたは電車より早いんだし」

「ちょっと、どこへいくの?」

「どこだって、いいのよ。それらしい場所なら」

「?」

「それよりも、移動している間に、あなたには考えて欲しいことがあるの。いわゆる、事前のリサーチ」

「考える?」

「そう。それは、魔女の気持ち」

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