第5話 十五年後の約束
「分かりました。車掌に連絡を入れて、車庫入れの前に車内を点検させていただきます」
私の目を見ないまま、駅員はテキパキと私の問い合わせに対応した。
「でもそれって、通常業務ですよね?」
「申し訳ありません。駅の間隔が短いため、限られた人員では全車両のフォローは…」
「確か、真ん中らへんでした!」
「申し訳ありません」
ここで初めて私の顔を見て、丁寧にお辞儀をされた。
電車内で忘れ物が発見された場合、最寄りは品川駅にある忘れ物センターに出向いて、身分証を提示すれば取り戻せるらしい。他のセンターに保管されている場合でも、発送してもらうことも可能だ。
しかし、それは“届いた場合“の話だ。
パソコン自体が転売可能な代物であるからして、望みがあるとは思えない。
増して、私が危惧しているのは、その“中身“の流出なのだ。
私は駅に戻り、電車を待つ。
5分刻みのダイヤといえど、待つ時間がもどかしい。
それにこの路線では、追いつく、ということができない。
小田急線のように、各駅停車を急行で追う、というわけにはいかないのだ。
部長に連絡だけでも…と思ったが、携帯電話に出ない。
そうこうしているうちに電車が来た。
私は乗り込み、私物のスマホにメールアドレスが登録されている同僚、企画部の咲間くんにメールを打った。
電車の窓に張り付き、見覚えのあるモバイルケースを持っている人物はいないか、構内でパソコンを開いている人物がいないか、駅に止まるたびに目を光らせる。
だが、それと断定できる人物は見当たらない。
すでに駅を去っている可能性もある。
大きなエコバッグに、モバイルケースを仕舞われていては、見つけようもない。
中吊り広告の仕事をした時に調べたことがある。この路線の各駅は1日に10万人を超える乗降者数を誇っている。
到底、見つけられるとは思えない…。
「クライアントへの謝罪…担当替え…懲戒免職…クビ…良くて減給…はぁ」
焦りのために吹き出していたアドレナリンが、今では引き潮のように去ってしまい、私の脳みそは悲壮感に満たされていた。
「こっち!」
降車しようとする人の後頭部を突き抜けて、幽霊の顔が目の前に飛び出した。
「うわっ」
「何しているの、早く降りて!」
「え?」
私は幽霊に手を掴まれ、閉まりかけた扉を掻い潜る。
構内の男子トイレに飛び込み、扉を力任せに叩く。
「警察を呼んだんだから、覚悟しなさい!この泥棒野郎!」
男に作業を中断させるため、扉を何度もたたき続ける。
カチャリッ。
扉が乱暴に開かれた。
私は後ろに下がって手を広げ、通せんぼをする。
怖い。
懸念していた半グレ風の容姿ではなく、無精髭に黒縁メガネ、清潔感の無いよれたTシャツ姿の小太りの男だった。
だが、怖い。
力では、勝てない。武器を持っているかも知れない。
…でも、負けない!
「観念してパソコンを返せ!」
男は、私にパソコンを投げつけると、続け様にタックルをかまして来た。
「キャ、大丈夫!?」
パソコンを両手で抱えたまま、私は後頭部をトイレのタイルに打ちつけた。
「こん、くそッ!」
片手を伸ばして男の靴を掴むが、振り払われてしまった。
男はそのまま、トイレから消えた。
パソコン画面は見たこともない青い表示になっており、私のものではない、USBフラッシュメモリが突き刺さっていた。
私はそれを引っこ抜くと、便器の中に放り込んだ。
恐る恐る会社に戻ると、部長は外出したままで、受付嬢も普段通りにそっけない挨拶を口にする。
デスクに腰をかけ、ため息をついた時、企画の咲間くんが駆けつけて来た。
「どうなった?」
「なんとか、取り戻した」
「そうか…良かった。営業が誰もいないから、どうしたものかずっと悩んでたんだぞ。下手に言いふらしたら、収拾つかない騒ぎになりそうだし…」
「そうかぁ、助かった…でも、こんな感じなの。咲間くん、分かる?」
パソコンを広げると、ブルー画面が立ち上がる。
「そのUSBが無いんじゃ、なんとも言えないけど、ロックを解除するつもりだったのは間違いないだろう…ほれ、元に戻った。念の為、何かインストロールされていないか、履歴を確認してみる」
「そんなことできるの?」
「コマンドプロンプトから…ちょっと待ってくれよ…うーん。特には、無いみたいだけど」
咲間くんの細く長い指は、私のそれよりも3倍は早いブラインドタッチで、命令文を繰り返し打ち込んでいる。
その指には、プラチナのリングが光っていた。
「プロパティを見ても、怪しそうな著名のアプリは無いな。履歴からして、それらしいファイルも無い。操作を始める前に、間に合ったのかもな」
「さすが、咲間くん…助かるッ」
「…この話が広まっていたら、結果に関わらずにお前は総スカンだったな。恩に切れよ」
「キルキル、キレまくりよ」
「じゃぁ、なんか奢れよな」
私は何度も首を縦に振った。
「ウィルスソフトが入ってるんだな。あんまり意味ないけど、ライブアップデートしてからスキャンしておけよ」
「ライブって?」
「ウィルス定義だよ。まぁ、入っているデータ量も下版データほどじゃないだろうから、すぐ終わるだろう。今、やっておくよ」
「素敵…」
「飯な」
「はい。お店を探しておきます」
会社支給の黒くて重い、私のノートパソコンが、一階層上の存在へと進化を果たした瞬間だった。
パソコンを胸に抱え、にこにこ顔の私に受付嬢のみっちゃんが、怪訝な顔で声をかけた。
「どこ行ってたんすか?今し方、電話があって、折り返し欲しいって」
「了解です。ありがとう」
渡されたメモには、先日ポスティングの配布計画を提出したクライアント名と、担当者名が記載されていた。
「受注かしら…金額大きいから、楽しみッ」
「良かったね、色々と…一時はどうなることかと」
デスクに戻り、パソコンに頬擦りしながら、私は幽霊に応えた。
「あなたにも、お礼をしないとね。本当にありがとう。何か、スイーツでもご馳走できればいいんだけれど…」
「じゃぁ、私のお願い、聞いてくれる?」
「魂を寄越せ、の類でなければ…」
「何よ、それ。あなたの家で、ゆっくりとお話しがしたいの」
「ここじゃ、ダメなの?」
「だって、人目を気にするから、全然話せてないじゃない。それに、あなたの家に、お邪魔したいの」
「鍵が無くても、勝手に入れるじゃない。倫理観の問題?」
「ダメなの…どういうわけか、招かれないとお家には入れないの」
なんか、どっかで聞いたことがあるような…。
私は承諾した。
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