第4話 曲解のオーバーラップ

「…………」


 幼い自分は黙っている。小学校の教室にいる。


 心臓の動悸は消えた。消えてしまった。


「皆、急な事で驚くと思うが────は転校してしまった。親御さんの仕事の都合だそうだ」

「…………違う」


 そうだ、きっと違う。


「仕方が無い事だとは思う。突然の事で皆も整理が付かないと思うが……人と人との出会いは一期一会だから、気にしな…………」

「…………」


 先生の話は途中から聞こえなくなった。聞きたくなかっただけかもしれない。


「ぼくの、せいだ」


 見ていると、辛くなってくる。それは自分が可哀想だからではない。きっと、自分のしたことがトラウマになっているから。


「ぼくが、もっと自分勝手じゃなければ…………」


 …………女の子も、離れなかったんじゃないかな。


「ぼくが、もっと優しい事を言えてたら…………」


 …………そうだ、引き留まっていたかもしれない。


「ぼくが、もっと気づかってあげれたら…………」


 …………きっと、泣いて無かったよ。




「ぼくが……ちゃんと好きって伝えてたら」




 ……………………それは、どうだろう。




「……みちかちゃん」











 ────────────────────────!!!!!











「ねぇ、大丈夫? 何かスポーツドリンクとかいる?」


 目の前に、彼女の姿がある。伝えないと、きっとまた同じだ。


 頬につたっている雫が、汗か涙か分からない。


「ごめん」

「……へっ?」

「本当に、ごめんね」

「ど、どうしたの? まだ体調悪そうなら、休んどかないと駄目だよ」

「……思い出した、全部思い出した」


 自分が小学校の時の記憶を頭から消していた理由も、心臓の動悸の理由も、それよりも何よりも。


 君の名前と顔を。


「小学校の頃、一緒に遊んでたよね」

「あ、思い出してくれたの!」

「その時に、君は僕の事が嫌いだったと思う」

「え? それってどういう……」

「最後さ、泣き別れしたでしょ。僕が、もっと気遣っていれば。もっと優しかったら。もっと君の意見を聞いていれば……僕のせいだ」

「え、ちょ、ちょっと!」

「……待って、凪さんが気を遣う必要なんてないよ。小さかった僕の過ちだから。心から謝りたい」


 本当に、ただただ申し訳ない。どこかで聞いたことがある。女性の心は大きいバケツのようなものだって。きっと、凪さんはあの日限界が来たんだ。そうじゃないと、あんなに優しかった凪さんが突然泣いたりなんかしない。引っ越しまでするほどに、僕の不断からの行動が許せなかったんだ。


 今まで、過去から逃げていたんだ。


「本当に、ごめんなさい」

「あ、あの……」


 凪さんは呆然としている。そりゃあそうだろう、誰だって何年越しかに突然記憶を取り戻した知人が謝ってきたら困惑してしまう。自分だって、きっと同じ反応になってしまうだろう。


「突然でごめん。でも、言わないといけない事だったと思うから」

「あ、うん、えっと……」


 どういう反応をしたら良いか分からないのか、言葉が詰まっている。凪さんの言葉を途中で遮ってしまったことについても、心の中で謝る。


「何か、自分に出来ることがあったらなんでも言って欲しい」

「あーと、うーん……えっ、本当?」

「勿論だよ」


 これは贖罪だ。でも、凪さんが断ったなら自分は食い下がることは無い。下手に食い下がったところで、また同じ過ちを繰り返すことになるから。


「じゃあ~……今週の日曜日、空いてる?」

「え? うん。空いてるよ」

「それなら良かった! 一緒に遊びに行こっ!」

「えっ?」


 ……ど、どういうこと? 一緒に遊ぶ……?


 凪さんにとって、自分は嫌いな対象の筈。だって、実際に遊んでいる最中に泣き出す程なんだから。


「それはどういう……」

「はい、駄目! もうそれ以上言わないで!」

「は、はい」

「もう何を勘違いしてるのか分かんないけど……まぁいいや。とにかく!今週の日曜日遊びに行くからね!」


 分からない。凪さんの思考が全く読めない。


 謝ったから許してくれた? 本当にそれだけの理由で?


 自分だったらきっと、許したとしてもそんなに切り替えを早く出来ない。


「泣き止んでくれたね。汗も……かいてないみたい」

「あ……本当だ」


 動悸もしない。


「良かった。でも、まだ安静にしててね? 体調悪化してもダメだし」

「う、うん」

「それじゃ、また後でね」


 そう言い残して、凪さんは行ってしまった。


 なんだったのだろう。


「分からない……」


 考えても仕方ない。でも良かったのは取り敢えず、怒って無さそうだったことだ。




 コンコン




 扉が鳴る。


「失礼します~」

「あれ、先生いないな」


 柳下と高橋だった。確かに言われてみれば先生が居ない。


「まだ用事あるんかな? まあいいや、入りますよ~」

「うぃ、風間。体調大丈夫か……って、どうした!」

「なんか涙とか汗とかでヤバい顔になってるぞ」

「え」


 え


「ちょっとティッシュ貸してやるから、あと鏡も」

「保健室の借りちゃえ」

「まぁいいよな、駄目だったあら後で俺らが怒られるだけだし」

「ほら、ティッシュ。顔拭けよ、びしょびしょのままだと気持ち悪いだろ」

「はい鏡」

「……」


 鏡に映る自分を見る。瞼は少し腫れて汗が垂れ、頬は涙の筋で赤らみが強調されている。確かに、人に見せれるような顔ではない。


「風間、マジで大丈夫か? 先生に言った方が良い気がするんだけど」

「痛くて泣いてたのか? 病院とか、この後行った方が良いんじゃないか?」

「あ、いや。これは」

「いいから、行っておけって。これで死んだら洒落になんないだろ」

「そうだぞ、お前が死んだら夢見悪いだろうが」

「そ、そうだよね」


 その優しさと、この顔を凪さんの前で晒した事実の両挟みで辛い。


「あら? 二人とも、そろそろ昼休み終わるよ?」

「先生、こいつ結構ヤバそうなんですけど」

「汗も凄いし、涙も流してて……」

「ほんとに? ちょっと見せて、二人はもう教室戻った方が良いわよ」

「はぁい」

「風間、病院行けよ!」

「あ、うん……」


 弁明しても聞いてもらえないだろうな。


 というか、あいつらに弁明するのは流石に恥ずかし過ぎる。


「異常は……特にないみたいだけど。風間くん、何か辛い所ある?」

「い、いえ。特には……」

「そうねぇ。でも万が一の事が合ったら大変だから、親御さん呼んでも良い?」

「あ、いや、えっと……」

「大丈夫、担任の先生には私から伝えておくから」

「あぁ……はい」

「じゃあ、呼ぶね? 今日は病院行って、家で安静にしてて」

「わ、分かりました……」


 猶更、罪悪感が強くなった。

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