第29話 進撃のモーゼ8
大喝一声、海山坊は禅杖を渾身の力で振り下ろした。
砕け散るような激突音。アストライアは自身の剣で正面から受け止めた。しかし、その手はかすかに震えている。海山坊の腕力のほうが上回っている。
「それそれ! どうした!」
右に左に禅杖を振り回し、疾風怒濤の勢いで海山坊は攻めかかる。力で劣るアストライアは防戦一方だ。徐々に後退している。
ついに、彼女は、大きく後ろに下がった。海山坊の攻撃間合いよりずっと外へ。激突圏内から離れたということは、負けを認めたことと等しい。歯噛みするアストライアに対し、海山坊は愉悦の表情を浮かべた。
「小娘ごときが図に乗るからだ!」
アストライアはきびすを返して、国道をまっすぐ逃げ始めた。
「追え! 追うのだ! ここで一気に叩き潰すぞ!」
先には羽咋市の「王」もいる。まとめて倒せば、羽咋市を支配下に収めることができ、これからの戦いが非常に有利になる。何としても、この機を逃すわけにはいかなかった。
途中で、アストライアは何度か立ち止まっては、抗戦を試みた。だが、海山坊の敵ではなく、その度に押し負けては、また敗走する。
海山坊はすっかり気分が良くなっていた。地蔵のせいであまりいい人生を送ってこなかった彼にとって、いまは最高にツイている時だと思えた。これで華々しく戦功を立てれば、八百比丘尼はきっと自分を重用してくれるようになるだろう。そうなれば、もっとよりよい人生への道が開けるはずだ。
(くはははは! 俺はこの戦で、幸福な人生を掴んでみせる!)
ほろ酔い気分のような心地。無我夢中でアストライアを追っているうちに、いつしか、住宅街に入っていた。国道からは外れている。暗闇で、周囲の様子もよくわからない。
そこで海山坊は我に返った。
いままでは開けた道を進んできたが、気が付けば家々に囲まれた細道へと誘い込まれている。敵が隠れ潜んでいてもわからない。もしもこの状況で、自分だったら、どうやって入り込んできた間抜けな敵を倒すか。
伏兵だ。
「まさか、わざと負けて、俺をここまで――くっ! 進軍速度を緩めろ! 慎重に進むぞ!」
いまさらながら周囲の兵士達に号令した、その時だった。
絶叫にも近い雄叫びを上げて、前から、敵の兵士達が飛びかかってきた。
「やはりか! おのれい!」
海山坊は禅杖で敵兵を次々と叩きのめし、カード化させていく。10名ほど倒したところで、さらに30名ほどの兵士達が、道の向こうから迫ってきた。
こちらの数は約30名。同等の戦力が、襲いかかってくる。そのことに志賀町の者達はすっかり恐慌を来し、ある者は悲鳴を上げて逃げ出し、ある者は言葉にならない喚き声とともに正面からの敵を迎え撃つ。
必死で統制を取り戻そうとする海山坊だったが、その頭部に、どこかから飛んできた矢が突き刺さった。直後、煙とともに、海山坊はカードとなってしまった。
たちまち志賀町軍は瓦解した。散り散りになる弱兵達を、敵軍は次々と屠っていく。
だが――その敵軍は、羽咋市の軍ではなかった。
※ ※ ※
「なんという奇策でしょうか……!」
羽咋市の「王」グレイくんは、感嘆のため息を漏らした。
アストライアがわざと敗北することで、志賀町の軍を死地へと引きずり込んだ。ところが、その死地において待ち構えていたのは、羽咋市の軍ではない。
中能登町を占拠した――七尾市の軍だ。
七尾市が国境付近に兵士達を配置している、という話を、光鳴は憶えていた。だったら、同じく国境を越えて侵攻してきた志賀町の軍を、そちらまで誘導して、相戦わせればいい。両軍が接触すれば、否応なしに、戦闘は始まる。
こちら羽咋市のほうは、一団を形成して援軍に寄こす必要もなく、また一兵も損じることなく、危険な二勢力をお互いにぶつけ合わせて、戦力を摩耗させることができる。
「マスター、そろそろ行ってまいります」
「うん、よろしく頼むよ」
この策の唯一の欠点は、能登ウォーズの場合、敵兵が死なないことにある。カード化された兵士達は、どれかの勢力に拾われてしまえば、その勢力の手駒となってしまう。今回の場合、志賀町、七尾市、どちらが勝つにしても、一方の戦力を増大させることとなる。
が、それは――こちらが最後まで傍観しているだけだったら、の話だ。
アストライアは茂みから飛び出し、もはや数の少なくなった両敵軍へと、素早く襲いかかった。もう終わりも近いかと思っていた敵兵達は、ここへ来ての第三者の乱入に驚き、反応が遅れる。
あっという間に、兵士達は、アストライアによって殲滅されてしまった。
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