第22話 進撃のモーゼ1

 いつの間にか時刻は22時を回ろうとしていた。


 見張りは立てるとして、いまは出来るだけ多くの者達を寝かせ、休ませる必要がある。


 宇宙博物館に備蓄してあるブランケットを取り出したものの、避難者全員に行き渡る分はなかった。仕方なく、老人や子どもといった体が丈夫ではない人々へと優先的に回し、残りの人間は、床の上に直接横たわった。


 光鳴は会議室にそのまま残り、そこで寝ることにした。硬い床には慣れていないが、どこか修学旅行のような雰囲気に、場違いながらも心が弾んでいる。こういうことでもなければ、宇宙博物館の会議室で就寝する、などということは出来なかっただろう。


 ほのかに柑橘系の香りが漂ってきた。


 アストライアが部屋に入ってきたのだ。シャワーを浴びたから、金髪は潤いを含んでいる。職員から借りたジャージは、彼女の体よりは少し小さい。それだけに体型がハッキリと浮き彫りになっている。目のやり場に困り、僅かに視線をずらしながら、光鳴は体を起こして手を振った。


「お帰り。鎧はどこに置いたの?」

「あれは私の意思で出したり、隠したりすることが可能です。いざとなればマスターのため、すぐ武装することも出来ますので、ご安心ください」

「や、別に、そういうのを気にしていたわけじゃないんだけど」


 この強くたくましい女戦士が、本当に自分のことを主人として仰いでいる、というのが、いまだに信じられない。


 試しに、光鳴は命令を出してみた。


「アストライア、万歳して」


 途端に、彼女は、両手をバッと振り上げた。そして手を上げたまま、動こうとしない。ただ首を傾げて、澄んだ瞳でジッと見つめてきた。


「マスター? どうかされましたか?」


 その反応を見て、本人の意思――判断能力まで奪われるのではないんだな、とわかった。命令されたことは即時実行するが、何も疑問に思わないわけではなさそうだ。


 光鳴は迷った。この次の命令を言うのは、問題ではないかと。ただ、この機会に、「本人が拒絶するような命令を下した場合はどうなるか」を見ておきたかった。


「アストライア――服、脱いで」


 ゴクリと唾を飲み込む。別にいやらしい思いからではなく、怒られるのではないか、と怯えてのものだ。


「え⁉ ちょ、マスター!」


 案の定、アストライアは狼狽の表情とともに、非難の声を上げた。が、態度とは裏腹に、手は素早くジャージのファスナーへと伸び、一秒にも満たない速さでジャッと最後まで下ろしてしまった。胸元は全開になり、あとちょっとで大事なところまで見えそうになる。


「と、止めてください! マスター!」

「ごごごごめん! ストップストップストップ!」


 ジャージのズボンをもものあたりまで下ろしたところで、辛うじて、アストライアは動きを止めた。光鳴はすでに顔を背けていたが、それでも半脱ぎの状態になっていたアストライアは、頬を膨らませて、顔を恥ずかしさで真っ赤にしながら、ジャージを着直した。


「……そういうことを望まれるのですか、マスターは」


 冷たい眼差しが、痛い。


「ひと言断れば良かった……ごめん……どこまで命令を聞くのか、試してみたくって」


 どう言い訳しても、彼女は許してくれないだろう。別に悪気があったわけではなく、光鳴としては真面目な考えもあってのことだったが、結果としては最低な振る舞いとなってしまった。


 しょんぼりとうなだれていると、クスッ、とアストライアは笑った。


「大丈夫です。そこまで怒っていませんよ。でも今度からはちゃんと説明してくださいね」

「ごめん、気を付ける」

「おそばに寄っても?」

「ん? う、うん」


 光鳴はあぐらをかき、背筋をピンと伸ばす。その横に、アストライアは腰を下ろして、体育座りで座った。


「少し、マスターについて、教えてください」


 果たしてこの世界に、これ以上清らかな笑顔が存在するのだろうか――と、まばゆくなるほどの満面の笑みで、アストライアは話しかけてくる。


 いままでの人生で一度も味わうことのなかったシチュエーションに、光鳴は、頭の中がすっかり正常に回らなくなっていた。

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