第17話 大乱の始まり4

 一階ロビーに据え付けられたテレビからは、女性レポーターの興奮した声が流れてくる。人々は画面を見たまま、言葉を失って、硬直している。


 光鳴もまた、テレビを見て――


 思考が、停止した。



 ※ ※ ※



「ご覧ください! この国道159号線を進んだ向こうが、宝達志水町ほうだつしみずちょうですが――見渡す限りの、人、人、人です!」


 女性レポーターは声が上ずりそうになるのを必死で耐えながら、状況を説明し、カメラの向きが変わったのを確認してから、自分もまた国道の先へと顔を向けた。


「何よあれ……」


 音声が拾われないよう、小さな声で呟いたが、その配慮は必要なかった。


 能登最南端にある自治体・宝達志水町の「国境」付近には、町民達が列を成して集まっており、全員一様に不気味な声を上げている。密集した人々のせいで、奥の様子がわからないほどだ。国道はおろか、その左右に広がる草地の上にもズラリと整列している。


 みな、歌うように大声を張り上げている。空間がビリビリと震えるほどの大音響だ。


――モーゼ様を讃えよ

――モーゼ様を信じぬ者は地獄に落ちるぞ

――モーゼ様、ああモーゼ様、モーゼ様


 何の悪い冗談か、と女性レポーターは顔を引きつらせた。


 宝達志水町にはモーゼにちなんだ観光スポット「モーゼパーク」がある。


 オカルト界隈では有名な「竹内文書」を紐解けば……


 かの聖書のモーゼ――紀元前13世紀、迫害されていたヘブライ人をエジプトから救い出した、偉大なる民族指導者――エジプトの追手から逃れる途上、紅海に追い詰められて絶体絶命というところで、「海を真っ二つに割る」という奇跡を起こして脱出に成功した――あの伝説のモーゼは、実は、この宝達志水町に辿り着いて神道を学び、最終的にはこの地で永遠の眠りについた……という何とも奇妙な伝説がある。


 「モーゼパーク」はその伝説にもとづいての町興しとして建てられたものだ。


 女性レポーターも、昔、変わり者の彼氏に連れられて、モーゼパークに行ったことがある。


 鬱蒼とした山の中、蜘蛛の巣が張ってあるような人が滅多に通らない道を進んだ先には、「モーゼ伝説」の石碑。しかしその前にはゴミが捨てられていたりと、見るからに寂れた場所だった。翌日、彼氏とは別れた。


 いまでは宝達志水町は「オムライスの郷」ということで町興しをしている。モーゼのことはいつの間にかどこかへ追いやられていた。


「なのに、なんで、いまさらモーゼなのよ……!」


 群衆の目は明らかに正常ではない。まるで洗脳されているかのような、焦点の合っていない目。


 オオオオオオ!


 目の前の群衆の、後方から、歓声が上がった。


 人々は左右に分かれ、その中央を、長髪で大柄な体格の男が進んでくる。


 長髪の男は、空中に浮かんでいる。腰の高さくらいのところに、足がある。トリックなどではない。本当に浮いている。


「我こそはモーゼ――新世代の神である!」


 高らかに男は宣言し、それを聞いた群衆は「モーゼ様ああああ!」と涙を流しながら喜びの声を上げた。


 国道には、警察が集まっている。だが、誰も動こうとしない。


 それもそのはず、国道から外れたところに、煙を上げたパトカーが二台転がっている。これは、宝達志水町の警察から救援要請を受けた、かほく市の警察が、現場へ急行しようとしたところ、宝達志水町の「国境」を越えた瞬間――先頭のパトカーが一瞬にして、逆走する形で向きが変わり、二台目のパトカーに向かって突進し、正面衝突してしまった――その残骸である。


 軽傷二名、重傷二名。その後も宝達志水町への突入を試みたが、ことごとく失敗に終わった。


 いま、能登は、誰も外部から侵入出来ない状態となっているのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る