第41話 誘拐
「わかった。その時まで待つよ」
嬉しさと共に、真摯に向き合ってくれているベレクトを愛おしく想う。フェンは、溢れ出す感情を全て飲み込み、微笑みを贈った。
予定のあるフェンは、その日は長居せずに帰って行った。
それ以降の一週間は実に穏やかなものだった。
『栄養士の資格を取る為に、勉強を始めた』
『薬膳の次は、栄養士か。ベレクトは料理作るのが上手だし、良いと思う。応援するよ』
『ありがとう』
『そうだ。神殿の伝統料理について教えようか?』
『気になる。教えてくれ』
勉強したこと、食べた料理、天気や最近の流行。これまで病院に関する話題が多かった2人だったが、自分自身について話す回数が増えていった。
そして8日目の早朝。空が黒から赤と白、そして青へと移り変わろうとしている。
「なっ……!?」
たまには朝風呂をしてみようか、と部屋を出たベレクトは、目を丸くし、身体を強張らせる。
扉の横で、イースが膝を抱え蹲っていた。
「ベ、ベレクト」
顔を上げ、立ち上がったイースだが、痛みを伴うのか動きが歪で鈍い。目には隈があり、顔には疲労が滲み出ている。
「ごめん。本当に、ごめん。こんなこと、する資格はないと思われても仕方ないけど、俺はおまえに会わなくちゃいけなかったんだ」
弱々しい声だ。今までとは全く違う。演技かと疑ったが、その割には服が土や何かの液体で汚れている。
まるで強盗に襲われ、逃げて来たかのようだ。
「な、何が目的なんだ」
「逃げて欲しいんだ。可能なら、ベレクトの彼氏に頼んで、坑道かどこか……人に見つからない場所に。それで、俺が神殿に報告を……」
イースはフェンの正体を知らない。それでも、名を出した。
湯場は安全では無い様な言い回しに、ベレクトはさらに状況が読めなくなる。
「理由を説明してくれ。逃げろと言われても、追ってくる奴が誰なのか分からない以上、対策が出来ないだろ」
「そ、そうだな。まず、その……東の港で漁師をしている筈の俺が、土地勘が余りない西側へ行った事に疑問を持たなかったか?」
唐突な質問だ。しかし、昼にパンを買いに行ったあの日、偶然にしては出来過ぎているのも事実だ。縁談の話をした母親が探偵でも雇って特定させたか、と思った。しかし、仲人を務めるはずの母親は、図書館の前で遭遇して以降は全く会っていない。
イースの行動も、改めて思い返せば変だ。ストーカー行為をしていたにしては、フェンへと昼食を運んでいた期間は全く遭遇せず、気配や視線すら感じなかった。
しかし、発情期間近で彼はアパートに現れた。発情期間近のΩは媚香が漏れ始めるが、報せのようなもので効果はかなり薄く、半径一メートルも離れればαであっても何も感じなくなる。もしも遠くから様子を伺っていたのなら、ベレクトの発情期に気付かない筈だ。
「アパートも……Ωの避難所も、どうして分かったと思う? 避難所なんて神殿の息が掛かっていて、αとβを退けるために奇蹟の守りがあるんだ」
イースト白衣の医療団の団員が言い合っている最中に、避難所を特定していると溢した。ベレクトは、リュートルから報告を受けていた。
嫌な予感がどんどん膨れ上がる。
「……おまえの両親は新王教団の信者だったな。親が信者なら、子供も強制的に入信させられる」
「そうだ。俺はまだ、信者だ。心底嫌だけど……俺の名前を使ってクソ親父が教団に借金を作ったせいで、逃げられなくなった」
イースは眉間に皺を寄せ、拳を振るえるほどに握り締めた。
「ベレクトの居場所に関する情報は、教団から貰った。いや、押し付けられた。信者は島中にいるから、新王に宛がえる若いΩを見つけると、直ぐに教団の上層部へ伝えるんだ。俺は、おまえを連れてくるように命令されて……でも、やらかしているから警戒されているだろうし、せめて恋人がいるかどうか訊こうと思ったんだ。でも、監視が何人か付いてるのを、おまえと再会した時に気付いた。下手に動けばおまえが捕まると思って、どうしたら良いかわからなくて、焦って」
話がしたい。大変なことになる。守りたい。3度に渡る遭遇の中に在ったあの言葉の裏に、エンリの話にあった新王教団の動きにあった。イースは3度の失敗の末に、教団から罰として暴力を受けた。
「……全てを信じることは出来ない」
イースの発言を信じたとして、何処に逃げろというのか。結局フェンに頼る必要があり、湯場にいた方が安全だ。
緊急であればいつでも、と言われているベレクトは、胸元のブローチに意識を向けようとした。
「白衣の医療団は、外殻の人間が殆どなんだぞ」
ベレクトは、背に嫌な風が吹いた気がした。
優秀な人材が集まっているからと言って、全ての人が善良と限らないのは当然だ。イースのように親の代から信者の人が医者となり、白衣の医療団に所属するのだって充分にあり得る。
「おまえんとこの先生は潔白だけど、他はそうとは限らないんだよ!」
必死に訴えるイースに、昔の姿が重なり、ベレクトは硬直しかける。
その時、
「おい! そこで何をしている」
声のする方へ目線を向けると、白衣の医療団の団員が3人いる。
助けが来た、と安心したかった。ベレクトだが、頭に警鐘が鳴り響いた。
今は早朝だ。2人のやりとりは、確かに騒がしかっただろう。
だが、ここへまず来るべきは、警備員だ。あの女性がいない。
「ベレクト、部屋へ」
一歩遅かった。
白衣の医療団の1人が持つ、神鉱石の宝玉が輝きを放つ。
2人は目が離せず、身体の言うことが効かなくなる。
あっと言う間だ。抵抗する暇もなく、全てが崩れ落ちる。
「Ωを捕えろ」
視界が暗く、歪む。意識が遠のく。
声が出せなくなったベレクトは、暗闇に落ちる中でフェルエンデを呼んだ。
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