第40話 前進
「そこで、このブローチ」
「ブローチ?」
フェンは上着の内ポケットから、小さな化粧箱を取り出し、テーブルの上に置いた。
ベレクトは化粧箱を手に取り、蓋を開けた。テーブルカットが施された青の宝石が、銀色の台座に埋め込まれた2センチほどのシンプルなブローチだ。普段着に付けても、お洒落の一つとして成り立つだだろう。
「この色……神鉱石だな」
「そう。俺の胸に付けているブローチと遠隔で会話できるように、奇蹟が組み込まれているんだ」
「会話?」
白地に金の糸で刺繍された品のあるシャツの胸元には、星の輝きを模した豪奢な金のブローチが付けられている。そのブローチの中央にはベレクトの物と同じく、オーバルカットの神鉱石が埋め込まれている。
神鉱石はフェンが活用する前は、主に装飾品に使われていた。皇子の服には装飾が付き物だと思い、深く考えずに流していたベレクトは、手元のブローチと交互に見た。
「俺が部屋の角に行って、このブローチに向かって声を掛けるから、ベレクトはそれを軽く耳に近づけてくれ」
「? わかった」
早速フェンは窓側の部屋の角まで行き、ベレクトが渡したブローチを耳に近付ける動きを確認すると、胸元の星に向かって小さく声を掛ける。
『おーい。聞こえてる?』
「!」
僅かに光を帯びた神鉱石から、やや籠ったフェンの声が聞こえ、ベレクトは彼を見る。
「聞こえた?」
目線に気付いた様子のフェンは、驚いて返事が出来なかったベレクトに問いかけた。
「聞こえた。すごいな。俺にも出来るのか?」
「俺とベレクトの誓約を利用して繋がっているから、こっちに伝えたいって思いながら話しかければ絶対できる。やってみて」
誓約は、Ωの持つ神力を利用して発動する。それを応用しているのだ。
一体どんな仕組みなのか。設計図でもあるのか。興味を持ちつつ、ベレクトはブローチに向かって小さく声を掛ける。
『もしもし?』
『はいはーい。聞こえまーす』
手の中のブローチから、再び声が聞こえる。こちらからの声も正確に伝わっていると分かり、ベレクトは安心をする。
「どれ位の距離まで届くんだ?」
「島の半分くらい、かな。単なる奇蹟だけでは防御系に遮断されるけど、誓約経由だから心配はないはず」
フェンはそう言いながら、ベレクトの隣へ座った。
「今後の事を考えても、必要だと思うんだ。受け取って貰える?」
3度目の正直、と言うようにフェンは、強く願った。
「……そうだな。何が起きるか分からないんだ。連絡手段は必要だ」
フェンの庇護欲を緩和させるためだけでなく、神殿の管理する湯場は誰でも入れる以上、注意を払わなければならない。派手な動きをするイースに周囲の目を向けさせ、一般客のふりをする新王教団の信者がΩを探すなんて事もありえるのだ。
なにより、フェンからの贈り物だ。今度こそ、ちゃんと向き合い、受け取りたい。
「大事にする。ありがとう」
「どういたしまして!」
贈り物を始めて受け取ってもらったフェンは、嬉しさから頬が僅かに色付いた。
品がある立ち居振る舞いの中に無邪気さがあり、その姿がベレクトは可愛らしく思えた。
「フェンの庇護欲の緩和のためにも、連絡を取り合うのは良いんだが、話す時間帯を決めないか? 盗み聞きされたくないし、フェンだって仕事があるんだ。時無しは良くない」
「なら、分かりやすい朝昼晩の食事時は、どう?」
必ず休憩を取り、暴食を抑えられる時間。単純ではあるが、最適な提案だ。
「そうしよう。ゆっくり落ち着いて話せそうだ」
ベレクトは同意し、箱の中からブローチを取り出すと、胸元へと着けた。
きらりと青い光を神鉱石は放つ。
今後も、いや今まで以上の大きな事件が発生する予感がある。庇護欲が強くなくとも、フェンはブローチを贈ってくれただろう。
好意に甘んじているばかりでは、彼を苦しめてしまう。
自分も前に進まなければならない。
「なぁ、フェン」
「ん? 改まってどうした?」
「……いや、その」
「うん?」
口ごもるベレクトに対して、フェンは気長に待つ姿勢を取る。
高貴なαに見初められ、有頂天になったΩが勢いのままに付いて行き、悲劇を迎える。そんな話はいつの時代も存在している。
甘い言葉を語られても勢いに乗らずに立場を考え、冷静に物事を見て語ろうとするのがベレクトだ。
そんな地に足の着いた彼が好ましく、奇蹟によって感じられる細部の動きが可愛らしい。
今も、感情がむず痒いのか、恥ずかしいのか、両手の指を何度も交差させては放している。首や腕を撫でるような、掻くような仕草をして落ち着かず、考えを纏めようとしている。
癖であるために本人もあずかり知らぬ所だろうが、ベレクトの想いは僅かにでも動きに零れている。
「今回の、騒動が落ち着いたら、ちゃんと答えを伝えたい……」
勇気を絞り出したベレクトの声に、フェンは頭が真っ白になった。
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