第33話 好きとはまだ言えず
「盗み聞きして、すいません……」
ベレクトは扉を開け、謝罪をした。
「え!? あ、えぇ!?」
目の代わりである奇蹟を発動していなかったフェンは驚き、耳まで顔を赤くした。
「うっ、あ…………トゥルーザさん、し、知ってたのか!?」
もごもごと何か言いかけるがベレクトへの声掛けが上手く出来ず、彼は逃げるようにトゥルーザに向かって問いかけた。
「扉の近くに気配があったからな」
「この人はぁあ!!」
火照る顔を両手で覆い、恥ずかしさのあまりフェンはしゃがみ込んだ。
「格好つけている暇があったら、さっさと言ってしまえ」
「俺とあんたは違うんだよ! 簡単に言うな!!」
情けない声をあげるフェンをよそに、トゥルーザはベレクトへと歩み寄った。
甲冑を被り素顔が隠されているので表情は読み取れず、ベレクトは戸惑いながらもトゥルーザを見上げた。
「悪いな。彼は兄に似て、自分の感情を押し殺すのに慣れ過ぎているんだ。あれ位やらないと、一生隠す気でいたんだ」
「あの」
「君は逆に分かりやすい。利点であるが、気を付けた方が良い」
「え!?」
盲目であるフェンは、奇蹟を使っても相手の表情を読み取ることは出来ない。フェンとの交流が続く中で気にした事の無かったベレクトは、一体彼に何が見えていたのか気になった。しかし、自分の気持ちにも気づかれていた事が驚きに拍車を掛け、次の言葉が出ては来なかった。
「ベレクトに変な事吹き込まないでくれる?」
「人聞きが悪いな。ただ激励しただけだ」
トゥルーザはベレクトの右肩を軽く叩くと、出入り口の扉へと歩いて行った。
「俺は警備に戻るから、あとは2人で頑張れ」
「あんたが勝手に横槍入れて、拗れたんだろ……」
不満気に言うフェンを気にも留めず、トゥルーザはさっさと部屋を出て行った。
嵐が過ぎ去った様な感覚に苛まれていたベレクトは、フェンへと近寄る。
「……あの人、兄さんの遊び相手兼護衛で、昔から世話になっているから容赦ないんだ」
はぁ、と大きくため息をついたフェンは立ち上がり、椅子に手を掛ける。
自然なその動きから、奇蹟を発動し始めたのだと見て取れる。
「椅子に座らないか?」
「そうだな……」
ベレクトはフェンに促され、再び椅子へと座った。
テーブルを挟んで再び席に着いた2人だが、数時間前に一緒にお茶をした時とは違い、妙に緊張し、むず痒い。
沈黙が流れ、どう話を切り出そうかお互いに迷っている。
居心地は悪くなく、むしろ良い位だが、どうにも逃げ出したい気持ちが湧いて来る。
「えー……その、俺とトゥルーザさんの話は、何処まで聞いた?」
このままではいけないと思ったのか、フェンが沈黙を破った。
「それは……」
ベレクトは迷い、言葉を詰まらせた。
どこを切り取ってもフェンにとっては聞かれたくなかった内容だろう。
〈トゥルーザが扉に向けて言った時に、たまたま近付いた時だった〉とでも言えば、この場は丸く収まる。
しかし彼の体調や食生活が心配であり、向けられた感情が気になる。
自分だけが知って、嘘で誤魔化すなんてできない。彼の思いやりに泥を塗り、影でこそこそ笑う様で不誠実であり、失礼極まりない。
彼が真摯に向き合ってくれるように、自分もそうでありたい。
「最初から全部聞いた」
「全部!?」
はっきりとした正直な答えに、フェンは悲鳴にも似た驚きの声を上げる。
「仕方ないだろ。寝室を出ても大丈夫か様子を伺おうとしたら、2人が話し始めて機会を逃したんだ」
「さっさと出て来ても良かったのに」
「冒頭から床入りや番の話題だったんだ。出て行くなんて、誰だって気まずいだろ」
「うわぁ……確かに」
苦笑するフェンは、心持に余裕が生まれたのか柔らかな表情を浮かべている。
優しい眼差しを向けられている様な心地よさをベレクトは感じた。
「あんな形で俺の想い聞いちゃって、気持ち悪くない?」
想いに気付いたその日から、実力行使で何とでも出来るだろう。金を積み、無理やり外堀を埋め、逃げ道を断つなんて容易いはずだ。
αの媚香を強め、発情期を誘発する事ができた。
発情期になったあの時、一緒に寝室へ向かい、交わる事も出来た。
フェンは其れをしなかった。
これまでの彼の行動を思い返せば、Ωに対するα特有の独占欲や支配欲、庇護欲は含まれている点は見受けられた。けれど引き際を弁え、強制してこなかった。
昔も今もずっと優先し、気遣ってくれている。
それを気持ち悪いとは一切思わない。
「べつに……俺は、嬉しかった」
彼を直視できず、そっぽを向きながらベレクトは答えた。
「えっ、それは期待しても良いってこと?」
フェンの表情がぱっと明るくなり、白い頬は照れや羞恥とは違う赤みを帯びる。
「まぁ……そうなる」
顔に熱が籠るのをベレクトは感じた。
「むしろ、フェンは俺で良いのか? 面白味が無いだろ?」
「真っすぐで、綺麗だと思う」
「え?」
きっぱりと答えられ、思わずベレクトはフェンを見た。
「目が見えない俺を同情も哀れみもせず、奇蹟があると知っても気遣い、常に対等でいようって姿勢が凄いなって。俺が皇子だって分かっても、変わりなく接してくれる。
清いとでも言うのかな? そんな所に惹かれてる」
恋愛感情に気付き、惚れたせいだろうか。受け入れられたとなったら躊躇いなく素直に話し始めるフェンの姿が、ベレクトにはどうも可愛らしく見えてしまう。
前だったら、調子に乗るなと軽く怒っていた所だろう。
「……その、初めて会った時の媚香嗅いだ時に良い匂いだったから、気になったのは確かにあるけど……」
「Ωとαなんだ。そこは仕方ないだろ」
「なんか、ごめん……」
第二の性に関する研究の中で〈運命の番とは何か〉と話題に良く上がる。その中には〈近親相姦を避けるために、最も遺伝子の繋がりが遠いもの同士が惹かれ合う〉と生物の視点を用いた論文が発表されている。その説では媚香にもその役割があると考えられているが、発情期の性質が相まってまだ実証できずにいるので、今後の研究課題とされている。
母方の祖母が外国出身であるベレクトは、皇族の血統からすれば繋がりが遠いのは確かだ。ただ外殻ではそのような人は珍しくないので、その論文は合っているかもしれないとベレクトは思った。
「……あのさ」
「どうした?」
フェンはおもむろに立ち上がり、ベレクトの前で膝をついた。
「ベレクトの顔を見てみたいんだ。いいかな?」
「あぁ、そうか。フェンは手で見るのか。いいぞ」
差し出された左手を取り、前かがみになったベレクトは自身の頬へと誘導した。
「ありがとう」
奇蹟によって大まかな形は分っても、目の見えないフェンが本当に物を判別するには手を使う必要がある。
頬、鼻筋、瞼、唇となぞり、触れ、まるで繊細なガラス細工に触れるように、丁寧で優しい手つきでフェンはベレクトを見ていく。
仄かに薬草に似た香りが鼻をくすぐり、テーブルを挟んだ時よりもお互いが近い。
もし下心があったとしても、事が進んでも、許してしまうかもしれない。
ベレクトはそう思ってしまい、自分自身の軽さにため息が出た。
「あっ、ごめん。見過ぎた?」
「違う……」
もう一度ため息をついたベレクトを見て、フェンは小さく首を傾げた。
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