第32話 相手を想う

「フェルエンデ。体の調子はどうだ?」

 トゥルーザの声だ。

 知っている人が部屋へと入って来たので、ベレクトは安堵する。


「薬効いて来たから、割と大丈夫……」

 欠伸交じりにフェンは応える。

 αの抑制剤を服用したものの、前回と同じく副作用によって強い眠気に苛まれた様だ。


「奇蹟の解除は?」

「んー……やってある。使った状態だと、休めないから」


 フェンはソファに寝そべっていたらしく、木が軋む音が僅かに聞こえた。


「ベレクトは、夜に飲んだ抑制剤の効果が切れる頃合いだったんだろうな……配慮が足らなかった」

「おまえも彼も悪くはない。むしろ、床入りの事実をより濃厚に出来る良い機会とでも思っておけ」

「そんな簡単に割り切れないんだけど……」


 トゥルーザ含め周囲の護衛と口裏合わせをするには、絶好の機会だったのだろう。ベレクトは納得しつつも、もどかしい様な、気恥ずかしい気持ちになった。


「俺の床入りは、そんなに注目されるの?」

「皇族だから、当然だ。なにより見合いから逃げ続けたおまえが、誓約者を決めたんだ。誰が誓約を結んだのかと貴族達が探りを入れ始めているぞ」


 フェンは盲目だからと期待されず、周囲の人間から無いもの扱いされて来た幼少期を経て、13歳の時にαであると判明した。若くして医師免許を取得し、手の平を返すように貴族達は近づき始め、言い寄る者が増えていった。

 見合いの数は一気に増え、事ある毎に貴族出身のΩを寄越されていたのが想像に容易い。

 手の平を返して近寄ってくる奴やその関係者と番になるなんて、嫌に決まっている。神鉱石の採掘や白衣の医療団での活動は、正当な理由はあるが〈逃げ〉でもあった。


「それで? いつ彼を番にするんだ?」


「!?」

「はあっ……!? っ!?」


 突拍子もないトゥルーザの発言に、驚いて大声を出しかけたフェンは慌てて口を塞いだ。同様にベレクトも口を手で覆って、なんとか声を出さずに留まった。


「どうして驚く?」

「驚くだろ!? 何を根拠に番の話題出たんだよ!」


 フェンの声が裏返り、かなり動揺しているのが聞き取れる。


「俺は鼻が利く。おまえ、彼の首筋あたりに唾液付けただろ」

「えっ、あ、その、指押し当てただけだから!?」


 さらりと放たれた言葉にフェンは激しく動揺し、ベレクトは思わず首筋に手を当てた。


「番になる程の効力はないにしても、強力なαの唾液に含まれる媚香はαとβを遠ざけるからな。あの匂いを陛下に嗅がれていたら、何かと言われていたぞ」


「ああ、あ、あれは、昨日の今日だったから、ね、念の為やっただけで……神殿に行くなんて思っていなかったから……」


 フェンは文字通り〈唾を付ける〉として、ベレクトに対してマーキングをしていたのだ。

 風呂で洗い流し、花の香りで消されなければ、今頃より大きな騒ぎになっていただろう。


「それにしては入念だな」


 もごもごと何か言い訳を連ねるフェルエンデに対して、トゥルーザはため息をつく。


「おまえは何かとΩに対して親切だ。だが、今回はこれまでとは格段に違う」

「格段に? えっ、そうなのか……?」

「おまえ自身にも変化が見て取れるからな。彼と会って以降、血色が良くなって健康的になっている」


 毒物事件によって、フェンの食生活はかなり杜撰になっていた。

 神殿ではろくに食事を摂らず、外殻では限界まで何も食べず、水分補給の時にナッツやドライフルーツを口にする程度なので苦労している。

 トゥルーザはフェルエンデの護衛から、情報共有する中で度々その話を聞いていた。心殻内でも密かな問題の一つであり、食事が減った時や食欲がない時に手軽に栄養を摂取できる〈栄養調整食品〉の開発が促進される程だ。

 そんな彼が、1人のΩから貰う食事は躊躇いなく口に入れ、剰え〈おいしい〉と言うのだ。護衛達は驚きながらも嬉しく思い、其れを見守った。

 一連の情報を共有しているトゥルーザであったが、今朝久方ぶりに会ったフェルエンデは見違えた姿に内心驚いたほどだった。

 その話にベレクトはフェンの役に立てていると嬉しく思い、感情がころころと色を変えていく。


「危険を顧みず無断で夜間外出した挙句、一晩共にしたのもそうだ。こちらとしては番を想定せざるを得ない。なぜ、想いを隠すんだ?」


「だ、だってさ……その」


 誤魔化しきれないと諦めながらもフェンは言い難そうに口籠り、聞き耳を立てるベレクトは息を呑んだ。


「なんだ。さっさと言え」


「……ベレクトを助けたのは、見返り求めての親切じゃない。俺の気持ちを言ってしまったら、結局体が目当てみたいだろ」


 女性が、Ωが、異性やαに対して、たとえ親切にされも警戒する理由だ。相手が〈あわよくば〉と彼女達に近付き、勝手に期待し、思い通りにならず拒絶されれば裏切られたと逆上をする。

 吐き捨てられる言葉と大小の暴力が積み重なった挙句、人として対等に接する事すら性交渉の位置づけにされてしまえば不信感が募るものだ。


「俺の気持ちよりも、ベレクトの方がまず大事だ。彼はこれまで我慢を強いられ、押し付けられて来た身なんだ。そこに俺まで加わったら、今以上に生き辛くなる。それは嫌なんだ」


 それはおまえだって一緒ではないのか。俺のせいで背負うものが増え、生き辛くはなっていないか。

 ベレクトはぐっと言葉を飲み込み、自分自身に落ち着くよう言い聞かせる。


「現状維持は無理だと分かっているのに、よく言うな」


 呆れながら言うトゥルーザに対して、フェンは返さない。


「番になる、ならないにしても、おまえ達には話し合いが必要だ。薬剤師と将来の医院長の関係は、神殿に来る前に超えているだろ」


 恋人同士だと偽装し、ここまで来てしまった。

 後戻りは出来るはずが無い。


「わかった……今度、話し合う」

「今すぐ話せ。そろそろ彼も起きているんじゃないか?」


 気付かれているとベレクトは驚く。ベッドに行って寝たふりをするべきか一瞬迷ったが、ここで逃げても意味はないと踏み止まった。

 自分の感情にも、フェンの想いにも向き合わなければならない。

 そして、彼は意を決して扉を開けた。

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