第31話 気づき

 別に、フェンが悪いわけじゃない。発情期のΩにαが相対するのは危険であり、彼は必死に耐えたうえでトゥルーザを呼んだ。

 分かっているのに、傍に居てくれた昨晩を思い出し、妙な寂しさを感じる。


「はぁ……」


 トゥルーザの迅速な対応によってベッドに寝かされたベレクトは、白い天井を見上げながら大きくため息をついた。

 抑制剤の効果によって発情は治まり、数十分の仮眠を経たお陰で頭も視界も鮮明になった。下半身に違和と重さを感じるが、両手足は思うように使える。

 ベレクトは一度深呼吸をすると、ゆっくりと起き上がった。

 寝室はベッドとチェスト、テーブルと椅子、本棚と私室と同じく皇族のわりに簡素だ。

 ベッドから立ち上がり、ベレクトは本棚へと近付いた。

本棚には医学、薬学、動物から微生物までの多様な図鑑に法律と、様々な分野の本が並んでいる。ベレクトも知っている著書が幾つかあり、手に取った。


「懐かしいな……」


 その本は、薬学を学ぶ人が最初に手に取ると言っても過言ではない。表紙を開き、ページを捲ってみると、文章は全て手垢で汚れていた。

 文章を指で文章をなぞる。

 目の見えないフェンが見つけた奇蹟を使用した読書法なのだろう。

 その汚れの濃さから、何度も読んでいた事が伺える。

 他の本も同様に何度も読まれた痕跡があり、優秀さの裏に積み重ねた努力の量を垣間見る。

 第二の性が判明するずっと前から、彼は逆境と戦い続けてきた。

 そして、今もずっと。


「綺麗な跡だ」


 痕跡を指でなぞり、ベレクトは微笑む。


 静寂が包む部屋の中で、柔らかい薬草の香りとアーモンドやバニラのような本の匂いが混じる。


 フェンに出会った時に嗅いだ香りだ。久しぶりの香りに親近感と安心感が胸を満たし、どうにも心地よい。

 私室の棚にあった鉢植えのどれかだろう。リラクゼーション効果があり、香油として利用しているのかもしれない。


 このままこの香りに包まれていたいと思える程に、本を戻すのが忍びなくなる。


「あっ……」


 その時、ベレクトはある事を思い出す。


 Ωは発情期を迎えると、番となるαの匂いが付いた服や小物を集め、巣作りを行う。作る、作らないは個人差があるものの、αの私物に執着を見せる症例が多い。


 凪の水面に滴が落ち、小さな波が大きなうねりとなる様に、ベレクトは心に生じた感情に気付く。


 いや、最初から存在し、静かに育ち、硬い地面を割って芽吹いたものだ。


「最悪だ……」


 本棚へと戻しながら、ほんのりと頬を染めたベレクトは呟いた。

 この状態で、フェンに顔合わせできない。

 しかし、そろそろ様子を伺おうと扉越しに訊ねてくるはずだ。


 いっそのこと、もう少し眠りたいとでも言うか。いや、余計に心配をかけるかもしれない。そもそも彼の奇蹟でバレているのでは。なぜ彼は来ないんだ。


 考えが行ったり来たりするベレクトは、隣の部屋の様子を確認しようと静かに扉を小さく開けて、聞き耳を立てる。

 すると、出入り口の扉が開き、鎧同士が擦れ合う金属音が聞こえて来た。


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