第24話 聖皇と第二妃

 熟考する時間が欲しかったが、今はない。まずは目の前の事に集中するべきだ、と思い直し、ベレクトは頭のてっぺんから爪先まで入念に洗いあげた。終ろうとした時、扉を軽く数回叩く音が聞こえ、僅かに開けられる。


「服の用意が出来たそうです。もう少し待つように言いましょうか?」


 トゥルーザの声だ。ベレクトは浴槽から思わず立ち上がった。


「いえ、もう充分です」

「わかりました。浴室に従者を1人入れても宜しいですか?」

「お願いします」


 失礼します、と言う声が聞こえ、1人の聖徒の従者が入って来た。

 その手にはバスローブと下着、3枚タオルが抱えられている。ベレクトはそれらを貰うと身体を拭き、着替え、濡れた髪を覆った。


「隣の部屋に服が用意されています。こちらへどうぞ」


 2人がベレクトを隠すように動き、そそくさと隣の部屋へとベレクトは入った。

 空き部屋だったのか、急遽用意したらしき机と姿見、椅子が置かれている。こちらにも従者が待機しており、彼の横にある机の上には青色の服の他に櫛や髪用のはさみ、化粧箱等が幾つか置かれている。


「こちらの椅子に座ってください」


 ベレクトは素直に従い、椅子へと座る。

 まずは化粧水や乳液で顔や首回りの肌を整える。全身も可能であったが、ベレクトはそれ以上触れられたくないので断りを入れる。そして、奇蹟によって髪を素早く乾かし、はさみを使って適度に髪型を整えていく。

 それが終わるとようやく着替えに入る。

 青色のズボンにシャツと聖徒達の服とは違い、外殻のデザインで作られているが、合わせる形で金の大振りの耳飾りや首飾り、腰飾りをつけていく。最後に、青色のヴェールと面布、その上から小さな鎖で作られた頭飾りを付けた。


「疲れてはいませんか?」

「大丈夫です」

「お心遣い感謝いたします。着替えが終わりましたので、会場までご案内します」


 椅子から立ち上がったベレクトは従者に案内され、部屋を出た。扉の前で待機していたトゥルーザと共に、再び迷宮のような神殿を進んでいく。


 神殿には様々な風習があり、その中に色による重要度や階級が存在する。


 服に使用する色は、白は日常使い、青が祭事や式典、黒は神事と葬式と決まりがある。それだけでなく、重要な職に就いた平民には銅、貴族と皇族に仕える者は銀、皇族とその配偶者は金の装飾と区別がされている。

 それに倣う形で医療団もまた、外殻では白衣、内殻担当を青衣、皇族専属を黒衣と分けられている。


 ベレクトの場合、αの第二皇子フェルエンデの誓約者として聖皇に謁見する為、外殻の人間でありながら青と金を着用している。

 両親への挨拶に加えて、絵物語の皇子と平民の身分際の恋に似た状況に、ベレクトは頭が痛くなりそうだ。


「陛下。夫人。フェルエンデ皇子の誓約者様をお連れしました」


 トゥルーザの声に我に返ったベレクトは、面布の隙間から外を見る。

 迷宮のような神殿の内部には中庭が幾つか点在している。案内された場所は中庭であるが、これまで通り過ぎた花壇や剪定された低木の構成のものとは全く違っていた。


 樹齢100年は優に越していそうな大樹が根を下ろし、限られた日光を求める様に上へと枝を伸ばしている。それ以外は適度に雑草や苔が生えているのみと、華やかさは全くない。しかし、大樹を中心に神殿が建造されたと思う程に、一線を画す荘厳かつ神聖な空気を身に纏っていた。


 そして、大樹の根元にはテーブルと椅子が置かれ、聖皇と第二妃がベレクトを待っていた。


「うむ、トゥルーザよ。ご苦労であったな」


 椅子に座り、穏やかな笑みを浮かべる長い銀髪の男こそ聖皇バルガディン・メルエディナ・ルエンカーナだ。

 御年47歳。神殿の風習として長く延ばされた銀の髪を一纏めにし、葉と蔦を模した金の装飾で飾りつけされている。額の紺色の宝玉は木漏れ日によって輝き、皺のある精悍な顔立ちに浮かぶ表情に厳格さはなく、明るく人懐っこい性格を滲みだしている。

 座っているが見るからに背が高く、年齢を感じさせない鍛え抜かれた体つきだ。地面に付くほどの長いローブに似た祭事用の青い礼服を身に纏い、耳や首には豪奢な金の装飾品を身に付けている。


 生気に満ちた青の瞳の目元は、開眼したフェルエンデによく似ている。鼻立ちや口元もよく似ており、彼の将来を垣間見ている様な不思議な感覚をベレクトは覚えた。


「さぁ、陛下の元へ」


 トゥルーザに背中を押され、ベレクトは緊張しながらも聖皇の元へと歩き出す。

 どう挨拶をすれば良いのか。礼儀作法は外殻と同じで良いのか。分からない事だらけだ。そんなベレクトの不安を察したのか、第二妃が椅子から立ち上がる。


「大変な時に、無理を言ってごめんなさいね。この機会を逃せば、一生会えないってあの人が我儘を言うものだから……」


 聖皇の誓約者であり第二妃である女性は、ベレクトへ歩み寄ると静かに微笑んだ。

 Ωである彼女の額には宝玉は無い。ふくらみを持たせる為に緩く三つ編みに結われた長い銀髪に、丸みのある青い目。ドレスにも見える青の礼服に、耳や首元を彩る金の装飾はバルガディンと揃いのモノだ。華奢な体と丸みのある顔立ちから、どこか儚く柔和な印象を受けるが、真っ直ぐとした立ち姿や知性の宿る青い瞳は力強い。

 弱く、いつも陰に隠れるように過ごしてきた外殻のΩとは全く違う姿だ。


「はじめまして。フェルエンデの母のリュザミーネよ」

「ベレクトと申します。その、フェルエンデ皇子には沢山助けられました」

「あの子の護衛から報告を受けて、聞いているわ。Ωは外も内も苦労が絶えないわね」


 そう言ってリュザミーネは小さくため息をついた。

 ベレクトの立場は第三者からの報告があるとはいえ、同情を誘い皇族のαに近付いたΩと見なされかねない。しかし、リュザミーネは彼を嫌悪する様子は一切無く、適度な距離を保ちつつ友好的だ。


「これこれ、リュザミーネよ。独り占めをするな」

「あら、ごめんなさいね。彼の元へ行きましょうか」


 ベレクトはリュザミーネに連れられ、聖皇バルガディンの元へと向かう。

 仲睦まじい2人の様子は夫婦そのものだ。

 しかし、番ではない。その座には、別のΩが座っている。

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