第23話 浴槽の中で思い耽る

 神殿は、内殻と心殻と呼ばれる区画に分かれている。内殻は大まかに3段構造に分かれ、外殻出身の聖徒達の居住区と教育や労働施設、医療機関と研究施設、そして心殻に近い場所に貴族の聖徒の居住区が存在する。神殿の最奥であり、中心地でもある心殻は皇族と彼らの番や誓約者のみが暮らす事を許されている。

 迷宮のように入り組んだ廊下を進み、ベレクトは心殻の建物の中に在る浴室へと案内された。青い花が描かれたタイル張りの広い部屋だ。床のタイルは滑らないように加工が施され、白い竜の口から吐き出されるお湯は、床を彫る様に造られた浴槽を満たしている。

 桃や林檎に似た香りが湯気と共に立ちこめ、同じ島の中でありながら異国情緒をベレクトは感じた。


「こちらの籠に服を入れてください。洗濯した後、お返しします」

「わかりました」


 トゥルーザは扉の前で警備の為に待機し、従者として一緒に来た聖徒のβが説明をする。


「お手伝いは必要でしょうか?」

「い、いえ、俺一人で大丈夫です」


 さらりと別文化に触れ、ベレクトは断りを入れる。

 貴族や皇族は自分の服すら1人で着られない程に、身の回りの世話を使用人にさせている。そんな話を聞いた事があったが、本当だったのかと心の中で驚いた。


「わかりました。最後に、着替えを用意しますので、寸法を測らせてください」

「お願いします」


 従者は腰から下げていた白の布袋から巻き尺を取り出し、ベレクトの寸法を測った。手帳に記載した後に従者は退室し、ベレクトは入浴の準備をする。服を脱ぎ、風呂場の出入り口横の木の台に置かれた籠へと入れ、湯気の立ちこめる浴槽へと歩み寄る。


「朝から贅沢だな……」

 ベレクトは感心しながらも苦笑する。


 お湯の満たされた浴槽には、赤、黄、ピンク、白、橙とバラの花びらが浮かべられている。美容とリラックス効果のある代表的な花であるが、6人は入れそうな大きな浴槽を満たすには200本以上必要だろう。

 歓迎されていると良い方向へ考えられるが、一枚一枚花びらを千切る聖徒達を想像し、申し訳ない気持ちになった。同時に、彼らもまた外殻と変わらない〈労働者〉なのだと実感をする。心の中で感謝の言葉を述べつつ、手で湯加減を確かめた後、ベレクトはゆっくりと身体を浴槽の中へと沈めていく。

 肌がピリピリと感じるほどお湯は熱すぎず、身体が温まる丁度良い温度だ。


「ふぅ……」

 気持ちが良い。1人でゆっくりと浸かれるなんて、ベレクトは夢にも思わなかった。


 この大きな島には、神殿の湯場以外にも民間で経営している銭湯が幾つか存在する。豊かであるが限りある水を個人宅で無駄に使わせない対策でもあるが、マッサージやサウナなどもあり、値段も手ごろな事から入浴だけでなく交流の場として様々な人が利用している。ベレクトも利用しているが、Ω専用の銭湯がない為、人の少ない閉店間近にさっと入って体を洗う程度だった。


 ここが神殿の、しかも心殻の浴室でなければ、心身ともに寛げただろう。

 今は緩んでいる緊張の糸も、風呂から出れば直ぐに張り詰める。


 何か別のことを考えて、気を落ち着かせるべきか。

 そうだ。フェン……フェルエンデが10歳の頃に発表した論文を思い出してみるか。

 ベレクトはそう思い、昨日読んだ本の内容を頭の中で手繰り寄せる。


『発情期とは、Ωがフェロモンを発生させ繁殖が可能と示す状態を指す。四週間に一度の周期で発現し、首筋から媚香を放ち、思考と身体は興奮し繁殖行動のみを求める状態となる。Ωは繁殖に特化した個体であり、それ以外の能力は低く弱いとされる。

 これは島の一般常識であるが、私はΩのみに発情期が存在するのか疑問に思った。

 このメカニズムを紐解くために、まず体内で生成される神力について着目をした。

 第二成長期によって、我々は第二の性が決定する。その際、αとβの額には宝玉が生成される。宝玉とは、奇蹟を発動される器官であり、体内から生成される神力を排泄する機能を有している。

 しかし、Ωには宝玉は生成されない。この違いが身体に何をもたらすだろうか。

 聖徒義務教育棟にて、第二の性が発現した外殻出身の聖徒51名に対し血液検査を行った結果、Ω1名の体内に保有する神力の数値がαに比べて高い事が判明した。第一回目から一か月後に再調査を行ったところ、その数値はさらに上がり、排泄できない結果神力が溜め込まれていると判明した。

 αとβは、神力の排泄が正常に行われなかった場合、頭痛や吐き気などの症状を引き起こす。しかし、Ωにはその事例は今も尚存在しない。第2回目の調査では、Ω1名はαとβが体調不良を起こす数値に達していた。しかし、症状は一切無く、健康体であった。

 Ω1名はその1週間後に発情期を迎え、治まった折に第3回目となる血液調査に協力してもらった。すると、神力の数値は極めて低くなった。

 この事から、Ωの体はαとβに比べて神力の保有量が高く、限界に達した時、排泄を促す為に発情期が存在するのではないだろうか』


 10歳の少年が書き上げた40枚の論文。9歳の頃から始めた1年の調査記録の裏付けによって、聖皇の七光りでは無い事を幼くして証明した。


 Ωはその地位の低さから、その身体の特徴について女性以上に研究があまり進んでいない。フェルエンデが調査し判明したΩの体の特徴は、発情期に留まらず、抑制剤の開発や第二の性の分岐、αの出生率など多くの謎に近づく成果となった。


 しかしまだまだ認知が進んでおらず、当事者であるベレクトも以前フェンが語った話に加え、昨晩読んでいた本に記載があってようやく具体的な内容を知ったほどだ。それだけΩに関する研究は、古い常識と先入観、αとβに圧を掛けられ、長年隅に追いやられ続けている。


 フェンが逆境の中でもΩについて心血を注ぐ姿に、改めて感心するベレクトであったが心配にもなった。


 玉座に座らずとも、高い地位が保障されている彼は、今後もΩへの意識改革に強い影響を与え続ける。仕事と銘打って神殿の外に率先して出向き、少数派に肩入れしている彼を良く思わない者が神殿内に増えていきそうだ。


「薬剤師の職だけで、あいつの助けになるのか……?」


 フェンが聖皇という絶対的な権力に守られているが故に、危害を加えられない代わりに〈無いもの〉として遠ざけられて来たのが目に浮かぶ。彼の理想や信念に賛同し、共にその道を進もうとする人はどれだけいるのだろうか。


 Ω専門の医院の薬剤師になったとしても、それはただの引き抜きだ。雇い主と従業員の関係でしかない。誓約もまた善意でしかなく、こちらが差し出しているのは料理のみだ。

 今のベレクトには、フェンが崇高な志と引き換えに大きな孤独を背負っている様に見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る