第22話 濃霧を抜け

 アパートを出ると、濃霧で周囲の視界は悪くなっていた。島では山から降りてくる冷たい空気と温かい海から登る水蒸気によって、朝になると定期的に霧が発生している。しかし、いつもに比べてかなり濃い。奇蹟の力も加わっているようだ。

 他国の要人のために造られた馬車に、そのままの服装で2人は乗り込んだ。

 外殻の一般市民のアパートに、神殿の聖騎士と馬車が来るなんて前代未聞だ。注目の的となり、新聞の飛ばし記事になるだろう。

 これからは、より一層静かに暮らせなくなる。

 周囲の目が気になり、ベレクトは馬車に取り付けられているカーテンを閉めた。


「なぁ、フェン。聖皇陛下はどんな方なんだ?」

「性格は豪快で、配慮できるわりに相手の領域にずかずか入ってくる。掴み所が無い様で、なんか単純だな」


 相手をよく見て遠慮なしに言える様子から、親子関係は良好なのが伺える。

 以前言っていた〈兄〉は、αの第一皇子センテルシュアーデだろう。聖皇バルガディンには、後継者となるαの皇子と姫が計4人いる。姫は海洋学者になる為に王位継承権を辞退し、今は3人の皇子による勢力争いとなっている。しかし、これまでのフェンの会話の様子から、第一皇子との関係も悪くはなさそうだ。

 やがて馬車は大通り沿いに出ると真っ直ぐに神殿へと向かい、ほどなくして到着した。

 扉が開けられ、立ち上がろうとしたベレクトだが、ファンに制止される。


「ご客人。神殿に入りますので、こちらの着用をお願いいたします」


 トゥルーザとフェンが呼んでいた騎士が、真新しいフードの付いた白いローブと顔を隠すための面布、そして革製のサンダルを持って来た。


「わかりました」


 ベレクトは素直に応じ、全身を白色で隠し、靴からサンダルへ履き替えた。

 大衆に開かれている湯治場を除き、神殿は聖徒しか入れない。ベレクトは傍から見れば〈αの第二皇子の寵愛を受ける者〉に該当するが、外殻の人間である事に変わりはない。聖皇直々の命令による特例であっても、どこに誰の目があるか分からない以上顔が知られないように隠すのだ。


「足元に気を付けて」

「あ、ありがとう……」


 先に馬車から降りたフェンにエスコートしてもらい、ベレクトもゆっくりと降りた。

 まるで絵本の中で見た王子様とお姫様の様で、何とも言い難いむず痒さを彼は感じた。


「ここが、神殿……」


 面布とフードの隙間から、その外観を目の前にベレクトは息を呑む。

 濃霧の中に浮かび上がる荘厳なる神殿。大理石とは違う特殊な白い石材を使い、何百年と聖徒達が自らの手で作り上げた歴史と島の象徴。標高の高さも相まって肌に感じるその冷たさは、近寄り難くも惹きつけられてしまう。


「フェルエンデは、彼とは別行動だ」


 見惚れるベレクトをよそに、フェンに向かってトゥルーザは言った。


「えっ、なんで?」

「2人とも寝間着姿だ。風呂に入って、着替える必要がある。一緒には無理だろ」


 サンダルの理由はそれだったか。失礼が無いように礼服に着替えるのは当然だな。そうベレクトは納得する傍らで、フェンは顔をしかめる。


「彼には俺がついて行く。安心してくれ」

「トゥルーザさんがいるなら安心だけどさ……親父が何か企んでいそうで」

「聖徒相手に比べれば、慎重に考えておられた。交友関係に、水を差さないように配慮されていたんだ」

「今回の一件が無ければ、動く気はなかったってことか」


 普段は陰に隠れている護衛が、聖皇ある父に毎日報告しているのをフェンは知っている。仮に、ベレクトとの誓約について護衛に内密にしろと命令したところで、聖皇の持つ奇蹟〈皇権〉が何かを察知し、密かに調べ上げていただろう。ここまで黙認してくれていたのは、事情が事情だったからだ。しかし、今回の一件で見過ごせないと判断された。


「おまえはおまえで謁見の為に準備に行け。母君も心配していらしたぞ」

「うっ……わかったよ」


 痛い所を突かれ、フェンは直ぐさま引き下がった。

 夜間は外に出ない。その約束を取り付けたのは、フェンの母親なのだとベレクトは察した。成人を迎えた息子相手に過保護にも思えるが、皇族の立場を加味しても理解できる。

 産まれつき目が見えないのに、身体は健康そのもので、頭の回転は速く、行動力は人一倍。しかもαで奇蹟も使える。厳格そうな神殿の印象に反して〈助けられるなら助ける〉と問題へ首を突っ込む性格も相まって、親としては心配が尽きないのだ。

〈その問題を作ったのは自分であるが……〉と思った直後、〈これは、彼のご両親への挨拶では?〉とベレクトは、ただ会うに留まらないと気づいた。

 恋人ではないが、特殊な交友関係であるのは事実だ。情報を持っていても、親であれば大事な息子と関係を築いた相手がどんな人物か実際に会い、見定めたいものだ。

 親子関係が歪になり、疎遠であるベレクトは、完全に失念していた。


「それじゃ、また後で」

「あ、あぁ、後でな……」


 フェンは近くで待機していた従者と共に、神殿の中へと入って行った。

 ベレクトの中で、緊張の糸がより一層張り詰め始める。


「それでは、行きましょうか」

「はい。お願いいたします……」


 トゥルーザと待機していた従者に連れられ、ベレクトは風呂場へと向かう。

 長く続く白い廊下を歩く中で、ベレクトはまるで処刑台へ向かう囚人のような気持になっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る