第13話 提案と心配

「……やっぱり返す」


 紺色の宝玉を差し出し、ベレクトはフェンに向かって言った。


「なんで?」

「おまえ、さっきまで神鉱石について厳重な決まりがあるって話していたのに、忘れたのか。安易に譲渡するな。両方が危なくなる」


 神鉱石は聖徒の持ち物と言っても過言ではない。それを外殻に住む一般人が持っていると発覚すれば大問題だ。それを譲渡したフェンも、聖徒だからと多少大目に見られても、彼の今後の活動に支障が出てしまうとベレクトは思った。


「大丈夫だって。これを作るって決めた時に神殿の上層部へ願書だして、正式な許可を貰ってる。そこに協力者として、ベレクトの名前を新たに提出すれば問題ない。白衣の医療団所属の医師が経営する診療所が関わるとなれば、注意事項を説明する位で神殿もとやかく言わないって」

「試作品なら、白衣の医療団の大きい病院に協力してもらった方が良いだろ」


 Ωとはいえ診療所の薬剤師にわざわざ頼む構図は、どうなのだろうか。年齢と性別、基礎疾患など様々な健康状態の患者から記録を取った方が、フェンの医療用具開発と研究に役立つはずだ。そうベレクトは思った。


「数は限られているし、情報漏洩しないって信頼出来て責任能力がある人に頼むのが筋でしょ」

「でもな……」


 契約書を書いた所で平然と破る愚者はいる。だが、ここまで一人に手厚過ぎては、フェンを周囲が怪しんでしまわないかベレクトは心配になる。誓約も宝玉も特別なものだ。どこかで聖徒と鉢合わせすれば、気づかれかねない。物好きの聖徒が平民に手を付けたと言い訳がしようのない待遇は、神殿でも稀であろう若き医師のフェンの立場を揺るがしかねない。


「そうだ!」


 渋るベレクトに、フェンはある事を思い付く。


「一週間に一度会うんだから、その時に体の神力調べるってのは? 本当は毎日が良いけど、貯まり具合は大まかに分かるだろうし」


 最初の出会いからイースとの遭遇まで、ベレクトにとって度重なる危機が降りかかっている。フェンからすれば、心配するなと言うのは無理な話であり、少しでもベレクトの心の安定になればと思った。


 フェンの目の役割をする奇蹟は、ベレクト本人ですら自覚出来ていない体内の神力の乱れを感知していた。


 神力の乱れは心や体だけでなく、Ωであれば発情期に大きな影響を及ぼす。ベレクトは、発散できないストレスを常に抱えた状態にある。ストレスはどんな事柄であっても付き物であるが、ベレクトはそれに加えて性被害者になりかねない危険な立ち位置にいる。

 Ωの性が足枷になる以上、島で生きるしかない。酷い家庭環境から距離を置けたはずが、トラウマを与えたαが追って来た。

 それが最悪な事態を招こうとしている。

 神力には〈色〉があり、一人一人違う。フェンは、あのαに纏わりつく複数の神力を感知していた。混ざり過ぎて濁り切ったその色は、泥やヘドロのように一度体に染みつけば簡単には流しきれない。イースは、神殿にもいるΩとβを食い散らかす支配欲と自己顕示欲に堕ちた者だ。

 十、二十と吐き気のするような濁った色の中に、ベレクトが混ざるのが嫌だと思った。

 身を立て、必死に生きようとする彼への最大の侮辱だ。

 再びイースと相まみえたならば、不安定な状態のベレクトは発情する恐れがある。欲求に塗れたイースが興奮状態となった時、命を脅かすほどの凶悪な性犯罪をする可能性が充分にある。

 ベレクトを被害に遭わないように、守らなくてはならない。


「それなら……良い」


 ベレクトは承諾し、フェンは彼の手の中に在る宝玉を取る。


「よかった! ついでに誓約の更新もあるから、心してくれ」

「指切りくらいで、何を言うんだ」


 朗らかな顔をするフェンを見て、ベレクトは苦笑をする。

 フェンは、ベレクトの体内の神力が僅かに安定したのを感知した。


「それで、場所はどこなんだ?」


 ようやく最後の一口を食べ終えたベレクトはフェンに訊く。彼はリュックのポケットから折り畳まれた地図を取り出した。受け取ったベレクトは地図を開き、赤丸が描かれた場所を確認する。

 フェンが神鉱石を採掘するのは、西坂の診療所よりも更に上、山岳地帯に差し掛かる。

 近くには大きな崖があり、遠目でも良く見えるので、ベレクトも知っている場所だ。

「フェンの目の代わりの奇蹟で、これは読めるのか?」

「当然読める。まぁ、練習の成果だよ」


 フェンの目の代わりをする奇蹟は、蝙蝠の出す超音波のように発し、反響から形状や位置関係、動く速さなどを把握する。人や生物の場合、それに加えて体内から生成される神力の波長を感知する。さらに匂い、風向き、日光の熱、鳥の鳴き声や人の声等の様々な要素を合算し、まるで見えているかのように移動が出来るようになる。

 それを応用し、指に奇蹟を集中させ、紙とインクの違いから文字を読み取るのだ。点字や凹凸によって形成された地図の方が読みやすいフェンであるが、まだ周囲の理解と道具の普及率が低いので、自ずと編み出した技術だ。医療現場等の繊細な作業の際には、さらに患者一点へと奇蹟を集中させ血管の細部まで読み解く。それを可能としているのが、奇蹟の抑止力である〈皇権〉の効力が病院内の医療従事者に限り無効となるからだ。

 工夫が凝らされた目の奇蹟に感心すると共に、ベレクトは疑問が出る。

 聖徒の行う医療は奇蹟を中心としているが、2種類を同時に発動する事は難しい。意識が散漫すれば、奇蹟の精度が落ちるからだとベレクトはエンリから聞いていた。

 医療の奇蹟を使えない聖徒のフェンを、周囲はどう見ているのだろうか。目の奇蹟が医療現場でどれ程の精度を誇るのかは分からないが、一般人からして見れば拍子抜けどころか疑惑の目を向けてしまいそうだ。


「仕事に採掘に頑張るのは素晴らしいが、無理するなよ。心と身体は資本だ」

「それはベレクトも同じでしょ」

「おまえに比べたら、俺は……」

「人によって得意不得意、出来る容量と範囲が違うんだから、比べたらダメだって」


 その言葉がベレクトの胸に突き刺さる。しかし痛みは一切ない。それどころか何かが溶けるような温かさすら感じた。


「俺からしたらベレクトは努力家で、それこそ逆境を乗り越えて凄いよ。手放しに尊敬できる」

「恥ずかしくなるくらいに、おまえは人を褒められるな……」

「本当のことだからさ」


 裏表なく、素直に真っ直ぐに、向けられる声が心地良い。

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