第8話 トラウマの再会

 島の住民相手の診療所は、人の流れは穏やかだ。

それは近隣の住民が健康な証だ。そう主治医のエンリは日々喜んでいる。

 ゆっくりと時間は過ぎる中でも、ベレクトは薬剤師として真剣に仕事に取り組む。処方箋とおくすり手帳を受け取り、患者の体質やアレルギー副作用歴、合併症や既住歴などを確認、薬の費用の明細書作成、そして薬の準備を行う。薬の調製は、神殿製の錠剤を取り扱うだけでなく、二種類以上の薬品の混ぜ合わせや一回ずつの包装の作業など、患者一人一人に合わせて行われる。

 ベレクトはミスの無いように、細心の注意を払いながら薬を取り扱う。

 やがて太陽は一番高い場所へと昇る。


「パン屋に行ってきます」

「うん。いってらっしゃい」


 午前の診療と薬剤の処方が一旦終わり、2人は昼休憩に入る。

 診療所はエンリの自宅を兼用しており、昼休憩の際にベレクトはそこで食事をさせてもらっている。弁当を持参する場合もあるが、近場のパン屋で総菜パンやサンドイッチを買う日の方が多い。以前は食堂を利用していたが、β達に目を付けられたので行く事は無くなった。


「焼きたてでーす」


 昼食に合わせて焼き上げたパンが、厨房から賑わう店内へと次々と運ばれてくる。

 焼きたてのパン目当てでやって来た客達が、並べられたパンを次々にトレーの上へと並べていく。賑わう店内でベレクトは、魚のフライのライ麦パンサンド、ハムとチーズのバケットサンド、そしてブリオッシュを買い、早々に店を後にする。

 パンの入った紙袋を手に来た道を戻ろうとしたが、ベレクトは足を止めた。

 食堂やパン屋、どこで昼食を食べようか話す人々の中に、見覚えがある顔があった。


 かつて被害を与えて来たαだ。


 キャラメルブロンドの短い髪に、緑の瞳。額の宝玉は青緑色をしている。シャツにズボンと普段着であるが、背が高く日焼けした恵まれた体格は、自然と道行く人々の目を惹いていた。


「ベレクト!」


 ようやく見つけたとばかりにαは嬉しそうな顔で、ベレクトへ駆け寄る。

 逃げたいとベレクトは思った。しかし、恐怖のあまり足がすくんでしまった。


「久しぶりだな。5年ぶりくらいか? 元気そうでよかった」


 人の良さそうな笑顔を浮かべるαに、自然とパンの紙袋を持つ手に力が籠る。


「イースも元気そうだな」


 下手に拒絶すれば、激情される可能性があり、ベレクトは当たり障りのない言葉を並べる。


「まぁな。俺は今、親父の跡継ぐために漁師やってんだけど、そっちは?」


 友人と話す様に、親しみを持って接されるなんて気色が悪い。こちらの被害を完全に忘れている様子に、ベレクトは吐き気がした。


「細々と仕事をしているよ」


 ベレクトの両親は彼が大学に飛び級した事、奨学金制度を利用した事を知っているが、18歳で家を出て以降の職については何も知らない。

見合いが出来ないなら、会って交流を深めさせようとでも両方の親は思ったのだろうか。イースとベレクトの実家は東の漁港付近にある。これまで、彼が西坂にあるパン屋まで来るなんて事は無かった。島は比較的広いがΩ存在は珍しく、目撃情報を集め、探そうと思えば容易だ。

 縁談を含め、今更近づいて来た理由が分からない。このままでは職場と住んでいるアパートが特定されてしまいそうで、ベレクトの中に不安が募る。


「あのさ、これから一緒に昼食でもどう? 久しぶりに話さないか?」

「悪い。もう買ったんだ」


 ベレクトは手に持っているパン屋の紙袋を見せる。


「それなら、俺も何か買って来るよ」

「休憩時間はあまりないんだ。ごめん」


 採る魚の種類にもよるが、漁師は夜明け前、早朝から昼にかけての仕事だ。昼以降には次の漁の準備や兼業を行ったりと、過ごし方は人それぞれだ。

 イースにこの後の予定が無くとも、ベレクトは重要な仕事がある。仮に薬剤師でなくとも、仲良くなりたいと思う相手に予定があるならば、配慮をし、ここは一旦引くべきだ。


「ちょっとくらい時間過ぎても大丈夫だって」


 しかし、イースは引かずに、それでもと距離を詰めようとする。


「俺には仕事が」

「なんか、俺のこと避けてない?」


 イースの声が僅かに低くなり、ベレクトの肩が小さく震えた。


「おまえがΩだから苦労をしてると思って、心配しているのに、なんでそんな態度とるんだよ」

「こっちにだって生活があるんだ」

「あのなぁ……長時間話すんじゃないんだぞ。おまえの職場って、時間過ぎれば罰則ある位に厳しいわけ? そうじゃないだろ?」


 独り善がりの善意を押し付け、威圧する。会話をする気が無く、自分の思い通りにならず、苛立っている。

 こちらを支配しようとしているのが感じ取れ、ベレクトは一歩下がろうとした。


「なぁ、ベレクト」


「道の真ん中でナンパするの辞めてくんない?」


 良く通る声が、イースの言葉を遮る。


「邪魔すんなよ」

「フェン……?」

「昨日ぶりー」


 彼は自然な動きで目元も笑顔を作っている。

 黒く染まった長い髪を団子状にまとめ、開かれた瞼の内に青い瞳が輝いている。服は依然と違い、建築や工事の現場で使われる丈夫な作業着と安全靴だ。背中にはつるはしやヘルメット、作業道具は入ったリュックを背負っている。

 変装にしても鉱山の作業員の格好は予想外だったこともあり、ベレクトの意識は完全にフェンへと向いた。

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