第7話 西坂の診療所
翌日。
中央に神殿が聳える島は、今は活動を辞めた複数の火山によって形成されている。ベレクトの働いている小さな診療所は、西側の山に建っており、坂が多い事から〈西坂〉と呼ばれている。
「やぁ、ベレクト。おはよう」
「エンリ先生おはようございます」
診療所の玄関先に置かれている鉢植えに水やりをしていた男性は、穏やかな声音でベレクトに挨拶をする。
過去に事故で全身に大火傷を負ってしまった主治医エンリは、指先から顔の天辺まで全てを隠す白衣の医療団の制服兼防護服を日頃から着ている。
「その服……いつも思っていましたが、防護服以外に目的があるのですか?」
「もちろんあるよ」
エンリはベレクトに説明をする。
白衣の医療団に、銀髪に青い瞳の聖徒は数える程しか所属していないのは、人身売買などの標的にならないよう対策を兼ねているからだ。けれどそれでは、他国からの患者の受け入れや、島の社会の基盤である外殻の住民の健康を守るには人手不足に陥ってしまう。そこで神殿は、白衣の医療団に限り厳正な審査と試験の元で、外殻の優秀な人材を受け入れるようになった。
全身を覆い隠す防護服は感染予防だけでなく、容姿の差別と犯罪防止を目的としているものだ。
「へぇ……そんな理由があったんですね」
しかし制服はあるが、普段は強制ではない。数えるほどの聖徒が医療現場に出る時は、島中で感染症や伝染病の大規模な流行などの、奇跡が必要となる非常事態だ。普段の団員は、他の医療従事者と同じく白衣やナース服を着て、神殿の設立した病院に勤務している。
団員の制服を普段から着ているのはエンリだけなので、今では彼のトレードマークとなっている。着る理由を公表する事で、正規の団員である信用度が増し、偽装や詐欺を計ろうとする馬鹿を出さない抑止力にもなっている。
「暑くはないんですか?」
「それなら、大丈夫だよ。新作を試着させてもらっているが、奇蹟の力を織り交ぜた特殊な布だから、従来に比べて動き易くて蒸れないから快適なんだ」
同僚や神殿側から奇異な目で見られるかと思いきや、エンリは新作について意見を求められる立場になっている。
「あぁ、そうそう。今朝ポストを見たら、神殿からベレクト宛に手紙が届いていたんだ」
診療所の中へと2人で入った時、エンリは思い出したように言った。
「薬に関する内容ですか?」
昨日の今日でフェンが書類を完成させたとは思えない。別件であると直ぐに理解し、ベレクトは訊いた。
「そうだよ。αの新しい抑制剤が届く日程の報せだ。それに合わせて、調剤の際の手引きが同封されていた。机に置いてあるから、後で読むんだよ」
「はい。わかりました」
比較的小さい診療所でも置くのか。あえて、ここを選んで来るαもいるのだろう。
そんな事を思いながらベレクトは、自分の持ち場へと行こうとした。
「もう一通あってね」
「えっ。それも俺宛ですか?」
心臓が僅かに飛び跳ねた。
「いや、これは私宛だ」
なぜかガッカリしてしまった自分自身へ、ベレクトは内心怒りを覚えた。
「私の後輩にあたる青年なんだけど、医療の発展にとても意欲的でね。いずれ自分で病院を建てたいから、指南して欲しいそうだ」
「先生は一から診療所建てましたからね」
外堀を埋められるような若干の不快感はあったベレクトだが、エンリに教えを乞うのは適材適所だと思う。
「病院に比べたら、まだ建て易い方じゃないかな」
「十分凄いですよ」
白衣の医療団の団員は、神殿が設立した中でも外海の患者専用病院で働いている人が多い。優秀な医療技術を持つ彼らを看板にする事で、外海からやって来る患者を一ヶ所に集め、感染症を島に蔓延させない一種の対策でもある。それだけでなく、外海の医療技術や情報交換をする場になっており、医療団の技術向上に一役買っている。
そんな中でエンリは、療所を建てる事を決めた。
軽い怪我の治療が、重い感染症の予防に繋がる。軽い症状から、難病の早期発見に繋がる。
島の住民用の総合病院も勿論存在するが、些細な体の違和感でも足を運べられる身近な施設が必要だ。
また、感染症が大流行しても住民達が自らも対策できる様に、衛生と健康の知識を普及させるのも重要だ。
その二つを満たす医療施設が必要だとエンリは考えた。
それから18年が経ち、島には小さな診療所が増え始めている。
「まだ漠然としている状態らしくてね。これから一つ一つ決めていくそうだ」
「道のりは険しそうですね」
昨日の内容は書いていないと分かり、ベレクトは安堵する。
「先生から見て、その男性はどんな方ですか?」
「とても優秀だよ。勤勉で柔軟だし、何事にも真っ直ぐだ。経験をきちんと積めば立派な医者になると思う」
エンリは相手を中傷するような性格ではないが、手放しの賞賛にフェンは優秀であるとベレクトは改めて思う。
医師になるには、外殻の場合は大学の医学部を進み、そこで6年間の教育課程を経て、神殿の試験に合格し、さらに2年間の臨床研修医として経験を積まなければならない。白衣の医療団に入るには、そこからさらに試験が必要となる。聖徒の場合は医学だけでなく奇蹟の力量も加味されるので、より狭き門となっているだろう。
20代前半で医師を名乗れるのは、島の学校には飛び級制度が設けられているからだ。早く家から逃げたかったベレクトもまた、その制度を活用した。15歳の時に吐くほど勉強をした末に、大学の薬学部に合格した。そして教育課程6年間を経て試験に合格し、薬剤師となった。フェンの場合は13歳前後で大学に合格した事になり、聖徒やαの特性をふまえてもその優秀さは目を惹く者がある。
「そろそろ診療所を開ける準備を始めようか」
「はい。そうですね」
エンリの言葉にベレクトは頷いた。
盲目で生まれたフェンは、〈生存競争〉や〈空気扱い〉と神殿での扱いを示唆される言葉を並べていた。
目の代用とする奇蹟を編み出し、医者を目指す苦難の道を選んだのは、どうしてなのだろう。
優秀な成績を修めれば皆が認めてくれると思ったのか。それとも、外に逃げ出せる数少ない手段である医療の道を選んだのか。どちらにしても、フェンは途方も無い努力を積み、そして挑もうとしているのだとベレクトは再認識する。
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