第2話 薬のお代

 αの抑制剤。完全とまではいかずとも、βの発情の様に自制が効くまでに発情を抑えられるように、長年研究がされてきた。そして数多くの試薬を経て、ようやく販売まで辿り着いた。

 外殻にも告知がなされているが、プライドの高いα達の間ではあまり話題に上がってはいない。


「そうそう」


 フェンは大きく欠伸をする。


「やっぱり薬剤師だと、その辺りの情報早いね」

「どうしてそれを」


 何気なく聖徒は言っているが、自分の職業を当てられベレクトは驚いた。


「見ての通り、俺は目が全く見えない。その分、奇蹟と聴覚や嗅覚で補っているんだよね。それで、君の服から媚香の他に、薬と薬草の匂いがした。確かに薬を調合する医師もいるが、この島では担当が分けられているのが一般的だ。そっちの方が効率良いし。そう考えると、ね?」


 奇蹟とは、〈神力〉と呼ばれる空気中や体内から生産されるエネルギーを集約し、αとβの宝玉を介して発動させる術だ。外の世界の者で例えれば魔術や魔法に近しい分類され、才能がある者なら雨を降らせる事も、海を割る事も出来るとさえ言われている。神殿では、この奇蹟を医療に活用した術を編み出した。


「頭の回転が速いな」


 こうして盲目のフェンが健常者に近い環境で動けるなんて奇蹟も使いようである、とベレクトは感心をした。しかし、常時発動は彼に負担が掛っていそうだ。


「そうしないと、俺はあっちでは生き残れないから」

「αでも?」

「当然。生存競争の大変さは、場所によって違うし」


 神殿の内殻には、一般人は入れない。唯一湯治場として一般人に開放されている建物はあるが、そこ以外は入れない様に厳重な警備が成されている。ベレクトは絶対に行かないと誓ってはいるが、快適で食べ物が美味いと利用者は口々に言っていたのを耳にしていた。

 高度な教養と勉強が学べ、衣食住の保証がされている内殻で、生存競争が激しいなんて想像が出来なかった。


「大変なのに、見ず知らずのΩを助けるなんて物好きだな」

「物好きで結構。俺は、助けらそうなら助ける主義なんでね」


 どこか達観しながらも、人に差し伸べる手に躊躇いが無い。不思議な人だ。

 ベレクトが今まで見て来たαは、高慢で常にΩを見下していた。それはどんな職業でも変わらず、おまえの為だと言いながら、力尽くで迫って来る。拒絶をすれば、即座に怒りを露にする。時には、暴力を振るわれる事もあった。そいつらから逃げる為に体を鍛えて距離を置くようになり、厳つく愛想が無いと同胞であるΩから陰口を言われるようになった。

 木により掛かるフェンは、今までのようなαの振る舞いをしていない。Ωであると理解しても、ただの隣人のように扱ってくれている。


「それで……薬のお代として、どこか宿を奢ってくれない? 飲んだαの抑制剤は俺には効き目が良いようで、副作用の眠気が凄いんだよ」


 このまま路上で寝てしまいそうな力のない声に、ベレクトは思わず笑ってしまう。


「聖徒が外殻の宿に泊まるなんて、ちょっとした騒ぎになるぞ」

「あぁ、そうか……」


 周辺の住宅地の住人は、昼間は港や大通り周辺の職場に出る。今は閑散としているお陰で、フェンが居ても騒ぎにはならない。だが、宿はその人通りの多い中心地に集中している。

 本来聖徒は、外殻に来る際は護衛が付いて回るのが基本だ。滅多に見られない聖徒が外殻に来ていると、観光客は彼等を見る為に大勢が移動する。巷では一種の名物と化しているほどだ。そんな中に聖徒のαと一般人のΩ2人が連れ添って宿に行くとなれば、大騒ぎになる。隠れる様に裏通りにも宿は幾つか点在するが、密会や営みの場所なので、不相応だ。


「……この近くに、俺の借りているアパートがある」


 選択できるのはこれしかない、とベレクトは決断する。


「えっ、流石に人の部屋に上がり込むのは、マズいって」

「俺は、図書館に行く予定だったんだ。帰ってくるまでの留守番と思って、休んで行って欲しい」


 ベレクトは薬剤師として診療所に勤務し、今日は休みだ。返却だけなら明日でも良いが、新しい薬草の専門書籍が入荷する日なので、是非とも借りたいと外出をした最中であった。


「うーん……それなら、お言葉に甘えようかな」


 宿と自分で言ったものの、ベレクトの考えを察したのだろう。まだ遠慮がちではあるがフェンはそれを了承し、ベレクトと共にアパートへと向かう。

 5分程歩くと、すぐに白い2階建てのアパートに到着した。少し前に外壁の塗り替えが行われた新築の様に小奇麗な白いアパートだ。周囲にゴミや雑草は無く、管理人や住人が適度に清掃しているのが伺える。


「ここの2階だから、階段上がるぞ。転ぶなよ」

「はーい………」

「……本当に、気を付けてくれ」


 なんとか2階まで階段を登り、ベレクトは自分の借りている部屋の扉を鍵で開ける。

観葉植物の様に薬草の鉢が置かれている簡素な部屋に着くと、フェンは眠気の限界に達したのか、床に座り込み、そのまま横になった。


「お、おい! 起きろって!」


 軽く頬を抓ってみたが、規則正しい寝息をたてるフェンは起きる気配が全くない。


「こん、のぉ……!」


 フェンの上半身を持ちあげ、ベッドまで引き摺り、なんとか横にさせる事に成功する。

 ベレクトはため息を着くと、勉強机の隣に置かれた椅子へ腰を掛ける。

 Ωの抑制剤の副作用の中に眠気が記載されている。また種類によっては発情の長時間の興奮によって発生する不眠状態を改善させる為に、睡眠導入剤が合剤されているモノも存在する。その薬は医師の診察の元で処方されるのが、フェンはまるでそれを服用したかのように寝つきが良い。薬が効きやすい体質の可能性もあるが、強い眠気の要因は発情期の媚香を嗅いだ事が大きいだろう。抑制された事で行き場を失った性欲が、睡眠欲に変換されたと考えられる。


「世話が焼けるな……」


 椅子から立ち上がり、フェンにブランケットを掛けた後、ベレクトは念の為に彼の容態をメモ帳に書き残した。

 そして着替えを済ませ、部屋の扉に鍵をすると、彼は再び図書館へと向かう。


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