白銀の都の薬剤師と盲目皇子
片海 鏡
第1話 出会い
絶海の孤島。島は、医神エンディリアムを祀る建造物の集合体〈神殿〉を中心に街が形成されている。長い年月が経とうとも、その白さは健在であり、太陽の光を受けて宝石のように、それでいて柔らかな輝きを放っている。高度かつ不可思議な医療技術による治療を願う者達は、この〈白〉を目指し、海を渡ってやって来る。
あぁ、何度見ても綺麗で、とても醜い。
白い建物同士が入り組み、迷宮のような町中でベレクトは、上を見上げれば嫌でも目に入る神殿に向かって舌を打つ。
真っすぐに伸びた黒い髪を切り揃え、緑の瞳は嫌悪の表情によって更につり上がっている。首には木製のチョーカーを着け、着古したシャツにズボン、使い込んだブーツを履いている。
年は21歳。鍛えているからか身のこなしが軽いが、落ち着きのある立ち振る舞いをしている。
彼にとって、神殿は憧れの地であり、最も嫌う場所である。
「…………?」
図書館へ本を返却する為に、大通りへ降りようとしたところ、ベレクトは自分の体調の変化に気づいた。腹部から下あたりにある若干の違和。そして体が少し火照り始めている。
予定よりも、二週間早い。
ベレクトはアパートへ急いで戻ろうとするが、まるで逃げ道を塞ぐように体の変化は加速する。
このままでは。このままでは。
頭の中で同じ言葉グルグルと周り、足元がおぼつかなくなる。絶望的な状況に、このまま死んだ方がマシだと思い始める。
「媚香がするかと思えば、やっぱりΩか」
背後から若い男の声がする。
心臓が締め付けられる程に痛み、座り込んでいたベレクトは恐る恐る後ろを振り向く。
「お、おまえ」
そこに立っていたのは、神殿の聖徒の男性だ。
年齢はベレクトと同じくらいだろう。羽の形をした金の耳飾りを右耳付け、筋肉質だが細さのある体には、上下白いスーツの様な白い服を着ている。腰には革製の鞄が備え付けられ、背中の中ほどまで伸ばした銀色の髪を一まとめに束ねている。額の紺色の宝玉は海の様に深く、星が瞬く様に光を反射している。絹のように白い肌、顔立ちは中性的で彫像のように美しく整っている。
一番目を惹くのは、長いまつ毛に彩られた瞼は頑なに閉ざされ、彼が全盲であるのを無言で伝えている。
「黙ってこれ飲んで」
問答無用で近づき右肩を掴まれたかと思えば、ベレクトの唇へと何かを押し当てる。
「っ…………!」
「市販で売られてる抑制剤だから、心配するなよ。水なしでもいける錠剤だから、早く飲んでくれ」
拒もうとしたベレクトだが、聖徒は無理やり彼の口に押し込んだ。
ベレクトの口の中では、苦みと甘みを混ぜ合わせた薬独特の味と香りが広がる。何度か服用した事がある錠剤だと気づき、聖徒の指示に従い、ベレクトは抑制剤を飲み込んだ。
「信じてくれて良かった。とりあえず……近くにある旧広場に行こう。そこなら、座れる場所あるから」
他の薬剤同様に、抑制剤は服用後約20分経たなければ効果は出ない。ベレクトは聖徒に支えられながら、旧広場へと歩いて行く。
旧広場は、かつて島に町が建設され始めた時に作られた憩いの場だ。時代が変わるにつれて中心地は移動し、人口の増加から広場の面積は徐々に減っていった。今では、時代を物語る石碑と古びたベンチ、そして一本の木が植わっているだけの休憩所となっていた。
「体調は?」
「随分と良くなった」
徐々に呼吸が楽になり、身体の火照りが解消された。腹から下あたりの違和はわずかに残るものの、ベレクトの体は正常に近い状態へ戻った。
ベンチで彼が休んでいる最中、聖徒は木にもたれ掛かりながら、距離を置いていた。
「俺はベレクト。恩人の名前を教えて欲しい」
聖徒や神殿は好かないが、ベレクトは礼儀を通す為に、彼の名前を訊いた。
「俺は……あー、フェン。うん。フェンって呼んで」
「先程はありがとう。フェンがいなければ、誰かに襲われている所だった」
「どういたしまして」
聖徒だから本名は出せないのだろうと追及はしなかったが、いくつか疑問がベレクトには残っている。
「フェンは何故外殻に来ているんだ? 聖徒は内殻からあまり出られないと聞いている」
「俺は白衣の医療団所属だから、外殻へ出られるんだよ」
大きなこの島では、政治の中枢を担う聖皇と聖徒の住まう神殿内部を〈内殻〉、その外に広がる町一帯を〈外殻〉と呼び、分けられている。
白衣の医療団は、神殿が外殻の住民の健康を守り、病気を治す為に設立した団体だ。ベレクトが働いている診療所の主治医もそこに所属している。そうでなくとも幼い時から、健康診断で世話になっているので、島の住民であれば誰もが知っている。ごく少数ではあるが聖徒も医師として所属しているが、重役であって、表立って患者の治療にあたらないと話に聞いていた。
「今日は休みで、町を見て回っている最中だったんだ」
聖徒は、人生のほとんどを内殻で過ごすとされる。外殻は外界との貿易や文化交流もあり、多種多様の人や物が集まっている。
目が見えないフェンであっても、その活気に触れては、じっとしてはいられないのだろう。
「おまえは媚香を嗅いでも平気なんだ? αだろう?」
この島の原住民の血が流れる人々は、女性と男性の第一の性と、三つに分けられる第二の性を持って生まれてくる。14歳前後で第二の性が判明し、αとΩ、そしてβに分かれる。彼らの見分け方は、額や眉間の間にある宝玉だ。第二の性が判明した後、αとβには宝玉が生成され始める。対して、Ωには何もない。αの宝玉はβよりも一回りから二回り大きく、一目で何者か見分けることが出来る。
割合としてβが8割を占め、残り2割がαとΩだとされるが、それ未満とも言われている。
Ωは約三か月に一度の周期で〈発情期〉になる。〈媚香〉と呼ばれるフェロモンを約一週間まき散らし、見境なくαとβを欲情させてしまう。その間、Ωは繁殖以外の行動に制限が掛る程の脱力感と性欲に苦悩させられる。大衆の前で発情期になれば性犯罪に巻き込まれる確率が跳ね上がり、媚香による為に被害者だとしても分が悪い。Ωは自分の体調管理を心掛けている。
「外殻で販売予定のα専用の抑制剤の薬を、たまたま飲んでいたんだよ。副作用を自分でも体験した方が、処方する時に説得力があるかと思って。経過を見ている最中に、媚香が香って来るものだから、急いで来たってわけ」
対してαは、Ωの媚香を嗅ぐとどんなに理性的な人であろうとも、抗いきれない強烈な発情状態になってしまう。完全に制御が効かず、暴力的な性交に及びかねない人もいる。αと判明した人の中には其れに苦悩し、自身の体質を嫌悪するだけでなくΩを遠ざけるようとする。その結果、Ωの就職率がより悪くなる弊害を生んでしまっている。
「あぁ、確か神殿から新しく出される……」
ベレクトは聞き覚えがあった。
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