第27話 言葉を手繰り

 ──私の言葉次第で、目の前にいるドラゴンを統べる母は考えを変えてくれるかもしれない。

 けれどもそれは逆に、私の言葉次第で多くの命が失われるおそれがあると言うことでした。


「ええと……ええと」

「……マナミ」

「っ、」


 呼吸すらおぼつかなくなりそうな私の背中を支えるように、ヒースさんの伸ばした手のぬくもりを感じる。ゆっくりと彼の方へと視線を移せば、彼の赤い瞳がこちらをじっと覗き込んでいた。


「ゆっくりで大丈夫だ。……お前がここに来たいと、そう思った理由は何だったか。それを伝えればいい」


 低い声は安心感を私に与えてくれた。だから、深呼吸をもう一度して、ゆっくりと瞳をしばたかせた。


「……死んでほしくないからです。人も、ドラゴンも」

『我らの死を、いとうというのか?』

「当たり前です」


 大きく首を縦に振る。説明が下手な自覚はあるけれど、今だけは言葉がつっかえても伝えなければいけなかった。


「私の世界では、ドラゴンはいませんでした。だからこの世界で、見れて嬉しかった。でも、ドラゴンが人を傷つけようとしていて、そして人もそれを迎え撃つために、あなたや他の子たちを傷つけようとしていて……そんなの、いやです」


 この国ではそれが当たり前なのでしょう。彼らの事情も知らないまま首を突っ込むことが、良いことだなんて思っていません。

 でも、来たいと思った理由はただ、それだけでした。


檎母龍ロゼリアドラゴンさん。あなたももしかしたら、危ない目に遭うかもしれないんです」

『……さん、か。人間が他者につける敬称だったか。そのようなものを付けられたのははじめてだ』


 深く美しい紅色の鱗が揺れる。……もしかして、笑っているのでしょうか。


『だが、それは早計ではないか? 我を害せるようなものが人の子らの間にいるとは思えぬ』

「……そうとは限らないとは、マザーも知っているだろう。四大魔族と呼ばれる我らの内、一柱はすでに折れ、俺もかつて深い傷を負った」

『……そうだな。そしてお前は傷を負わせた人間と共におる。何故だ?』


 黒い瞳が今度はヒースさんを見る。背筋はまっすぐ伸ばしたままのヒースさんだけれど、肩で息をして何度か唇を開いては閉じている。私だけでなく、ヒースさんも緊張をしている。……同じ立場に立ってくれていた。


「人がただ、我らを害し傷つけるだけのものではないと理解したからだ。ここにいる彼女……マナミは鎧鷲獅子アウラグリフォンであった俺にためらいなく駆け寄り、怪我を治そうとしてくれた。俺と刃を交えた男すら……、戦いという場から降りた時には周囲を慮る陽気な一面を見せた」


 だから、とひときわ声をヒースさんは大きくした。


「彼らの傍に寄って立つことで、まったく別の視点から人というものを見られると……思わなかったと言えば嘘になる。……それが一番の目的では、ないが」

『ほう。……それで、お主の結論はどうだ。愛子よ。ヒトという存在は、信頼に足るものか?』


 マザーと呼ばれているドラゴンの問いかけに、ヒースさんは一瞬言葉を迷わせる。きっとまだ、彼の中でも結論がついていないのでしょう。それを感じたからこそ、私は震える足に力を込めて一歩前に出た。


「それをヒースさんから聞くためにも、……矛を収めてはくれませんか? マザー」

『すでに我らは進軍をはじめた。今収めたところで蹂躙されるのは間違いなかろうに』

「っ、そんなことは……ありません! だって、私たちを送り出してくれる人がいたから、ここにいるんですから」


 ディノクスさんは王の方針に納得していないと言っていた。

 リュミエルさんは条件を満たせるなら、王を説得すると言ってくれた。


「……その通りだ。少なくともお前が歩みよろうとしたときに彼らが害するというのなら、俺は奴らとたもとを別つ」

『────ふむ』


 ヒースさんの言葉の後押しもあってか、鱗でおおわれた長い首が横にゆれた。


「無論魔族であるお前が、人への嫌悪を完全に取り除くことは難しいだろう。今のままなら。……マナミ」


 ヒースさんの言葉にうなずいて、残り数枚となっていた書状スクロールを取り出す。目の前のドラゴンの瞳は鋭く細められるが、その牙がこちらに向くことはない。


「これは、黎属れいぞくと呼ばれる術式が記されたものです。……魔獣や魔族の魔力と人間の魔力は系統が異なるから、本能的な嫌悪感を止められないと聞きました。けれどもこれを使えば、それを抑えられると」


 ──説明をしながら、私の胸によぎるのは……不安だった。


 誇り高き魔族である檎母龍ロゼリアドラゴンが、魔力を変質させるというこの書状スクロールを受け入れてくれるのか。

 受け入れるのに難色を示されるかもしれない。それどころか怒られるかもしれない。心臓の音が耳元でなっているような気がしてくる。


「…………」


 こちらを支えるヒースさんの背中の手のぬくもりが、私がそこから逃げずに済む唯一の支えだった。

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