第26話 異種の問いかけ

 王都を発った時はまだ朝陽が昇るよりも前だったのに、気がつけば夜が更けて長い。翼を止めることなく私たちは山を登りながら、少しずつ位階の高い竜たちに書状スクロールを差し出していく。


「……今の竜が宝護竜カーバンドラクル。第5階位にあたる。あの位階の竜がこちらに耳を傾けるのならば、最悪は免れるはずだ」

「はい……。もうディノクスさんから頂いた書状も少ないですから」

「ああ。リュミエルもこちらに向かっている可能性が高い。追いつかれる前に檎母龍ロゼリアドラゴンに接触を果たすぞ」


 ヒースさんへと乗りなおせば、グリフォンの灰色の翼を広げて一度大きな揺れ。それから吹きすさぶような風を全身に受ける。火のエーテルが濃いという話は本当で、息を一つ吸うたびに喉と肺が熱くなる。ローブを羽織っていなければそのまま倒れてしまっていたかもしれない。カバンの中から水の入った筒を取り出して口に含む。


 夜明けまでは後どれほどだろうか。星座も月の満ち欠けのサイクルすらも分からない私は、夜になってからどれほど経ったのかも予想できない。気ばかりが急いて、急いて。もうすぐ夜明けが来るのではないかと三度は考えたころに、ヒースさんの声が聞こえた。


「……たどり着いた」


 熱風が体全体に降りかかる。ふつふつと奥で沸き立っているのは、もしかしてマグマだろうか。けれどもそれよりも圧倒的に瞳を引き付けるのは先ほど出会った宝護竜カーバンドラクルよりもなお深く美しい紅色。鱗の一つ一つが光り輝き、黒い瞳は黒い泉を思わせる。

 喉側の鱗が逆立ち震えた。大気がそれに合わせて振動するが、不思議とそれが彼女の言葉であり、何を告げているのか理解できる気がした。


『────人の子。いえ、魔力どころか、魔の素すら持たぬ人の形をした者よ。そなたは何だ。何故我が愛子まなこと共にこの領域へと足を踏み入れた』


 一人だったら間違いなくこの場に跪いていた。それほどの圧を受けてなお倒れずに入れたのは、隣に感じている焔とはまた別の熱のおかげ。嘴の感触はまもなく手のひらとなり、私を支える。


「突然の訪問、謝罪しよう。だが……今回の件は彼女の独断ではなく俺の意志でもある。マザー」

『そのようだな。よもや汝が矮小な人と同じ形を取るなどと』

「……確かに人は我らに比べれば矮小かもしれない。だが、決してそれだけのものではない。そのことを今の場所で……そして、彼女に教えてもらった」


 こちらを見つめる漆黒の瞳は涼やかで、何も知らない私から見れば決して──決して、こちらの言葉に敵意を抱いているように感じなかった。


 とはいえ、だ。私が緊張しないかと言えばまた別の話だ。すでに思考はぐるぐると言葉が浮かんでは消えていて、ヒースさんがこちらをちらりと見るのを合図に動揺はピークに達した。


「は、はじめまして! 倉越くらこし真奈美まなみと申しまひゅっ!」


 ……思いきり舌を噛んで悶絶する。うぅ、いひゃい上に恥ずかしい……。


 しばしの沈黙のあと、最初に尾を揺らしたのは相対する檎母龍ロゼリアドラゴンだった。


『ふ、ふふ。……そう緊張をせずとも、突然飲み込むようなことはせんよ。魔の素すら持たぬ人の子よ』

「……え?」


 先ほどのやり取りよりもずっと柔らかな響きに顔をあげれば、黒い瞳は細められている。


『人の形をしているが、お主はこの国の人間ではないな? 精霊に膝を折らぬ少女よ。お主はなぜここに来た?』

「え……ええと」


 思わず助けを求めてヒースさんを見上げれば、小さくその首が縦に振られる。


「焦らないでいい。……精霊という存在を憎んではいるが、けれども聡いかただ。マナミの誠実さなら、耳を傾けてくれるはずだ」

『我が愛子まなこがそれだけ心を傾けているのだから、な』


 ──二人……いえ、二人と一頭はとても親密なように私には見えて。胸が暖かいのに針を刺したような痛みが走る。誤魔化すように深呼吸をしてからもう一度顔をあげた。


「今王都に向かっているドラゴンたちを、止めてほしいんです。彼らに指示を出しているのはあなただと聞きました」

『左様。我が目覚め、我の想いを汲んだ子らが動いておるのは事実だ。……だが、何故それを止めろと?』


 穏やかながらも静かな問いに、続けようとした言葉が止まる。つばが口の中に溜まるのすら、飲み込めない。


『我はな。人という種そのものに憎しみはない。だが精霊は別だ。あれは無邪気でありながら残酷な存在。それを信奉する存在など、少ない方が良かろう?』

「え……っ!!」

「……」


 私が思わず息をのむ傍ら、ヒースさんが視線を下に向ける。

 ──分かって来ていたつもりでした。魔獣は人と異なる種族で、彼らには彼らの世界がある。


 けれども現実はその言葉一つになにを言い返すこともできないまま、頭の中が白く染まってしまいました。


 この世界の動物とは分かり合えていると思えていたからこそ、私自身が一番苦手な必要があるなんて、思ってもみなかったのです。

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