第7話 共存:天馬

 休憩をとってさらに一時間近い捜索を続けた結果、天馬が残したものらしい足跡を見つけることになった。林のけもの道を外れた奥まった先、蹄鉄もついていない馬のひづめに気が付いたのは騎士団の面々の方が先だった。

 足跡をたどって数十メートルも歩いた先、木陰から身を隠しながら開けた空間を見れば、そこには何頭もの天馬がいた。


「発見しました。被害に遭った場所に残っていた魔力残滓とも一致します」

「把握した。……最終的な目的は街圏内からの排除だが、まずは穏便な手段を試すことにしよう。配置の準備は大丈夫か?」


 ヒースさんがそう言ってそばにいる騎士団の面々を見回すと、真面目な顔をした者も苦笑交じりのものも一様にうなずいた。ここから藪の向こう側を見れば、群れの塊から少しだけ離れている馬が、翼を広げて八の字を描いている。


「ええ。とは言え属性魔法とは異なる消音なんざ、うちでは学院出身の方々の他はヒースしか使えねぇからな。頼んだぜ」

「分かっている」


 短く頷いたヒースさんは、空を飛ぶ馬へと手のひらを上に向けたまま腕を伸ばす。彼の立ち位置からはちょうど、天馬が手中に乗るような立ち位置だ。


「……暗がりでヴァラム目を光らせるもの・オルエク・アイ、牙持つもの・オルエク・タスク、飢えたもの・オルエク・ハグ、汝の耳は洞とならん・オルイア・ヴォイド


 日本語とは全く異なる言葉を完全に理解は出来ない。けれども彼が唱えた言葉があの天馬の聴力を最小限まで落とすものだというのは聞いていた。

 魔獣の特性は分からないけれど、馬という生き物は非常に音に敏感だ。馬に乗る人は耳を覆う馬具をつけることで、彼らが意識を途切れさせないようにするという話を聞いたことがあった。人間の声を聴いてしまえば否が応でも興奮してしまうだろうから、それを避けるのは重要だろう。


 事実周囲の音が遠くなったからだろうか、空を飛んでいた天馬は僅かに翼を傾ける。それに合わせて風魔法を使える面々が呪文を唱えれば、風に合わせてこちらへと飛んできた。


「……!?」

「さすがにここまで来たら気づかれるか……っ」


 残り数メートルでちょうど降り立つと思ったところでばさり、と天馬はその大きな翼を広げた。本来ならば付近まで降りてきたところで後ろ側に控えていたフィンカさんが後ろから黎属の術式をかける予定だったのだが、そう簡単には行かないようだ。

 鼻息を鳴らす天馬に相対するように、ガウスさんをはじめとした騎士たちが剣を抜く。


「マナ嬢、危ないから下がってなぁ!」

「……っ」


 仕方がないことだと頭では分かっている。けれどもそれで足が止まるのなら、きっとこんな世界に来ることはなかった。真奈美は気が付いたら駆け出して、天馬と騎士たちの間に割り込むような位置へと飛び出していた。


「マナミ!!」


 後ろからヒースの焦った声が聞こえたけれども、その時真奈美の視界に入っていたのは、翼を大きく広げて体躯以上の迫力を見せている天馬だけだった。蹄で草を裏返すように地面を蹴りながら鼻息を鳴らす。興奮している状態は通常の馬相手だとしても一歩間違えれば蹴り飛ばされて大けがは免れない。なるべく刺激をさせないように知識を総動員させる。


 正面から向かえば警戒は増すだろう。以前馬の世話をしているという人の話を本で読んだ時のことを思い出しながら、足を横にずらして斜めから近づいていく。

 変わらずに鼻を鳴らしてはいるが……翼をはためかせる勢いはわずかに弱まった気がした。周囲を囲む騎士たちもかたずを飲んで私たちの動作を見守る。


 ある程度の距離が近づいたところで立ち止まり、ゆっくりと下の方から手を天馬の鼻先に向けて差し出した。


 ──少しだけ冷静さを取り戻した今となっては、私が来ることこそが一番最良の選択肢だったようにすら思いはじめていた。


 先ほど騎士のフィンカさんが説明をしてたじゃないか。天馬が人を拒むのは魔力の波長が人間と魔獣で違うからだと。

 私はもちろん、魔法なんてものは使えない。魔法騎士団に所属している皆よりも天馬が警戒を解く可能性は高かった。



 果たしてその予感は、的中することとなる。


 鼻先を近づけて指先の匂いを嗅いでいた天馬はやがてそのまま甘えるようにすり寄ってきた。毛並みを驚かせないように撫でさすれば、まぶたを緩やかに下げながら翼を畳んでいく。


 その様子を見た隊員たちは頷きあい、目配せをする。天馬の後方からそっと気配を殺して近づいてきたフィンカさんが、手を掲げて呪文を唱える。


共存たらんコウィゼクス共栄たらんミューチャルいにしえのアンジェ因果を断ち切りアンカーズ新しきものとなれニュウァンシェン


 魔法陣が輝いた。魔力のない私が分かったのはそれだけだったけれど、周りの皆さんはそれ以上の変化を感じ取ったようだ。口々に小さな声をあげて、手を差し出す。

 警戒は未だ残っているようだが先ほど見せた昂りはなく、天馬の方も恐る恐る皆さんの手の匂いを嗅いだ。



「すっ……げぇ!」

「もうちょっと声をひそめてください。いえ、でも確かに野生種の天馬がこんなに近くに……」

「なぁなぁ、今なら乗れると思うか?」


 木々の向こう側には少し距離が開いたがまだ天馬の一団がいる。それでも興奮が抑えきれない様子の面々を見て、胸を撫で下ろした。


「乗る……のは鞍もないし今はやめておいた方がいいと思います」

「…………先に群れを落ち着かせるのが先だ。今懐柔した天馬に、一頭づつこちらへ誘導してもらおう」


 ヒースさんがそう呟き、天馬へと向き直る。喉を震わせると普段の彼よりもさらに低い、舌を鳴らすような音が出てきた。

 何をしているのか周囲が困惑している間にも音が止み、それを聞いていた天馬は何かを理解したように天馬の群れへと戻っていく。


「えっ、すご。ヒースって天馬の言葉とか喋れるのか?」

「最初からやってくれよ!」

「…………人間に敵意を向けている状態でこちらの話を聞くのは難しい」


 戻って行った天馬は他の天馬へと近づいてすりよる。軽い接触をした後にこちらに誘導するように耳を揺らしながら体を反転させた。

 まだ群れの天馬の数は多い。長い時間はかかるかもしれない。……だが、天馬を黎属させることは、殺さないで済む方法は、ある。そのことにふつふつと、胸の奥が湧きたった。


「次だ。マナミ、すまないが補助を頼む。お前はどうやら魔獣たちが警戒を解くようだ。……とはいえ、大型の獣に変わりはない。気をつけてくれ」

「は、はい!」


 こちらをまっすぐと見据えた申し出に、両手を胸の前で強く握りしめた。

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