第8話 第一歩
天馬たちは仲間意識が強いのか、呼ばれてきた馬たちは最初よりも警戒心薄く黎属の術式をかけることができた。
とはいえ十頭以上いる群れ全てに処置を行うのはそれだけで時間がかかる。中には気性が荒い性質の天馬もおり、真奈美以外には近づこうとしない子もいたため、最後の一頭へと術式をかけ終える頃にはもう日も傾きはじめていた。
「いやぁ、本当今回はマナ嬢に来てもらって助かったな」
ガウスさんが声をあげて笑うのに、つられて私も口角がゆるむ。
「い、いえ。……この子達はどうなるんでしょうか?」
「そういやそうだな。黎属化で無差別に人を襲うことはなくなったからこのままでもいいかもしれねぇが……」
あごひげを撫でるガウスさんに、先ほどまで魔法を使い続けて疲労困憊になっていたフィンカさんが起き上がって声を荒げた。
「いやいや、放置は出来ないでしょう。黎属化は出来たとはいえ魔獣ですよ!? 万一があったらどうするんですか」
「でも中隊長が考案した術式なんだろ?」
「ぐぐ……それはそうですが。それで何かあった時にガウスさんが責任を取れるわけじゃないでしょう」
「……」
二人の会話を聞きながら、気がつけば私の目線は地面をさまよっていた。フィンカさんのいう通り今は落ち着いているとはいえ、今後万一が起きない保証はない。
外部の人間が何をいう権利はないけれど……唇を噛み締めたところで、背中に触れるか触れないかの温もりを感じる。見上げてみれば、後ろに立ったヒースさんが二人へと声をかけたところだった。
「ガウスのいう通りリュミエルが考案した術式だ。持続性の問題はないだろう。……とはいえここに残すことへの懸念も理解できる。今日は報告に戻り、明日改めて別働隊が回収、引き取り及び観察手を探すよう中隊長へは進言を行う」
「まあ、それが丸いですかね」
「了解だ!……よかったな、嬢ちゃん」
ガウスさんがこちらに歯を見せて笑う。その姿とヒースさんの頷きに、こちらを慮ってくれたのだと胸が締めつけられた。
「あ、ありがとうございます……!」
「……あまり、表立っていえる立場に今はいないが」
風が哭く林の中、微かに聞こえたヒースさんの声に振り向いて顔を見上げた。表情の変化は少ないけれど柔らかく細められた瞳がこちらを見ていた。
「俺も、できれば犠牲になる魔獣など見たくはない」
「……そうですよね。私も同じ気持ちです」
空を駆けていた天馬が翼をはためかせて降りてきた。こちらに近づいてきて甘えるようにすり寄るのが可愛くて、栗毛の背中と羽根のつけ根を撫でてやる。
「……本当に、お前にはよく懐くな」
「そうですか? 人懐っこい子ですし、魔法の力じゃないでしょうか」
「黎属の術式をかける前から懐いていただろう。……魔力のある人間には魔獣は懐かないが、魔力がなかろうとそこまで懐くことも滅多にない」
たしかにそう言われて辺りを見れば、黎属の術式をかけた子たちもあまり人には近寄らない。私の周囲にはたくさんの子が集まっていたから気づかなかった。
その事実に胸が高揚するような、不思議なような。複雑な気持ちで首を傾げていれば、ルビーの瞳の輝きが陰った。
「──可能性の話だ。その力はこの世界では稀有なものだろう。そして稀有な力というのは多かれ少なかれ、利用される可能性があるものだ」
硬質な声は私に向けられているものではないようだけれど、それでも温度が下がったような錯覚を覚えて身震いする。その動きに気が付いたのか、「すまない」という短い謝罪と共にようやく身動きが出来るようになった。
「い、いえ……よく分かりませんけれど、ヒースさんは私を心配してくれているんでしょう?」
魔獣が懐いてくるというのが稀有なことだとは思わないけれど、それだけは感じられた。だから笑うのが苦手な私でも、安心して微笑を浮かべられるのだ。
「ありがとうございます。でも私嬉しいんです。夢で見ていた物語だけの動物とこうして触れ合えるのが」
「っ、……そういえば、憧れと、言っていたか」
息をのんでつぶやいたヒースさんの言葉にうなずきを返す。
「はい。……今回のことも、例えば私の力でおびき寄せて倒す、とかだったらきっとすごいショックだったと思います。でも皆さん、私の無茶な要望をかなえようと、力を貸してくださいました」
彼らからしたら危険な野生動物。可能性だけで殺さない選択などないと切って捨てられても文句は言えなかった。けれども彼らは尊重して可能性を試してくれた。それだけで十分、信頼に足ると思っていた。
「もちろん元の世界に帰れたらとは思っていますけれど……それまでに色々な生き物に出逢えたら嬉しいって今は思っています」
「なら……それが叶うように協力しよう」
「……!ありがとうございます。」
「マナ嬢ー! ちょっとこれどうしたらいいんだ!?」
「あばばばば!」
と、そこで少し離れた声が風に乗って聞こえてくる。そちらを見れば若い騎士さん──たしかスクラウドさんだったか。彼が髪の毛を半分近く天馬にくわえられているのをガウスさんが必死に止めている姿が目に飛び込んできた。
「わ、わ! あんまりそこで無理やり引っぱっちゃダメですよ!」
動揺させないようになだめながら口を開かせてあげないと! 挨拶もそこそこに慌てて皆のいる場所へと駆け出した。
「…………無駄だとは思うが。奴にも一応釘は刺しておくか」
だから、ため息交じりに呟いたヒースさんのその声は、逆風に飛ばされて耳に入ることはなかった。
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