第6話 風哭きの林
通年をとおして鋭い風が吹く林がある。
青々とした草は風の勢いに適応して短く丈夫なものが多く、少ない量で栄養価が取れるのだろう。多くの草食の魔獣や彼らを狩るべく肉食の魔獣が現れるという。
「よほど油断をしていなければ奇襲を受けることはないだろう。……とはいえ、見通しも悪い。なるべく離れないように」
「は、はい……気をつけます!」
「悪ぃな、マナ嬢。さすがに俺らも中隊長の命令とあっちゃ逆らえなくてな」
申し訳なさそうに頭を掻くガウスさんに首を横に振る。どうしてリュミエルさんが私も一緒に行くように言ったのかは分からないけれど、行くことになったのなら出来るだけ足手まといにはなりたくなかった。
低木が多い中を風が吹きすさぶ。ひゅうひゅうとないているような音が聞こえてくる。顔のあたりにかかった木の枝を、ガウスさんがうっとおしそうに払いのけるのが見えた。
「いやー。こんな見通しの悪い林で
「そうですね……この辺りは兎や鹿くらいしかいなさそうですし、別の辺りを探しても良いかもしれません」
「だよなぁ、じゃあ移動を……ん?」
ガウスさんの足が止まりこちらを見てくる。気が付けば他の面々の注目も集めているような……顔に熱がたまった気がして、そっと視線をそらした。
「なんでマナ嬢、
「……サリアから生息している魔獣について聞いたのか?」
「い、いえ。あそこの木の根元にかじったような跡があるでしょう? それに向こうに木の皮を剥いだ跡も」
注目をそらすように何本かの樹々を指させば、一緒に歩いていた騎士たちもどこだどこだと近寄ってまじまじと見つめる。ウサギのかじり跡は図鑑で、木の皮を剥いだ跡はネットで鹿の被害として何度か見る機会があった。
「あっ、これか」「そういわれれば確かに……」
「いやでも、知ってても意識しなけりゃ気づかないってこれ」
「だよなぁ、俺にゃ絶対見つけられないわ」
まだ名前を覚えきれていない騎士たちに混ざってガウスさんがまじまじとつぶやき、それから破顔してこちらに手を振った。
「いやでも凄いなマナ嬢! 俺らだけだったら延々とこの辺をさ迷い歩くところだった。魔法とか剣については慣れてるがそういう知識は少ないもんでな」
「い、いえ。……たまたまそういうのが好きで、見てただけで」
予備動作なしに伸ばされたガウスさんの腕が私の頭をかき混ぜる。驚きはするが、不快感はない。お父さんに頭を撫でられた小さい頃を思い出す。
「中隊長が嬢ちゃんを連れて行くようにって言ってたのは、もしかして嬢ちゃんのこの辺の才覚を見抜いてたからじゃないか?」
「……どうだろうな」
リュミエルならあり得るが、と言い添えたヒースさんは数歩先に進んで油断なく周囲を見渡した。
──私を連れて行くようにリュミエルさんに言われたときからヒースさんの表情が硬い。かといって怒っているわけでもなさそうだった。木のこぶが突き出して足元が怪しい場所ではこちらに手を差し出してくれることもある。そう、どちらかというと。
「……気を張ってる?」
「ん、何がだ?」
──気がついたら声に出していたようだ。
ガウスさんの問いかけに肩が大袈裟に跳ねる。変わらず風が哭き続ける林の中で聞こえるとは思っていなかった。
「え、ええと。ヒースさんなんですが、ちょっと気を張ってそうだなって……」
「んん、そうか? まあ魔獣相手ってなるとみんな大なり小なり気を張るさ。あいつらは人間を敵視してるからな」
ガウスさんの言葉に、周囲の騎士たちも口々に同意する。
「そうそう。魔獣は色々いるけど、みんな人間に敵対的だもんな」
「特に四大魔族が復活した時は大変だったな。あちこちで魔獣が自分から暴れて……」
「今は比較的落ち着いたけど、それでも復活前よりは増えてないか?」
「それも魔族の影響なのかね」
──彼らの話振りからすると、私たちの世界の野生動物よりもさらに凶暴そうだ。
騎士の一人、丸い眼鏡をかけている男性が「これは中隊長から聞いた話なのですが……」と咳払い交じりに口を開いた。
「魔獣たちと我々人間が使う魔力は系統が異なるそうです。精霊の加護により扱える魔法は、魔獣たちにとって嫌悪を引き起こす。だからこそ相いれないのだと」
「魔力の系統が違う……??」
魔法の話だけでも十分にファンタジーだというのに、想像だにしないことを言われて目がチカチカとした。心なしか風の哭く音もひときわ大きくなった気がする。
「はい。だから野生の魔獣と人間が心を通わせるのはほぼ不可能だと……今家畜化している天馬も精霊の加護を与える、
「いやぁ……ぜんっぜん分かんねえな!」
「お客人であるマナさんはさておき、ガウスさんは知らないとまずいんじゃないですか?」
右も左も分からない私に説明をしてくれている声は風に消えることがない大きさだ。こんなに賑やかに歩いていたら、野生の魔獣たちは驚いて逃げてしまわないのだろうか。いや、逆に人に対して敵愾心を持っているのなら逆に近づいてくるのだろうか。先を進んでいたヒースさんが立ち止まり、そのままこちらに戻ってきた。
「もう少し声を落とせ」
「まあまあ、この辺に探してる天馬はいないらしいし。マナ嬢にこっちの知識についても教えてやるのは大事だろ?」
ガウスさんの言葉に、数秒ほどまぶたを伏せたヒースさんは肩の力をわずかに抜いた。それから私の方をちらりと赤い瞳で見てから、周囲の人々に声をかける。
「なら、一旦ここで休憩だ。スクラウド、水筒を」
「了解っす」
「ええと……その黎属というのをしてあげれば、人を襲うことはしなくなるんですか? それなら今回探している子たちが見つかったらそれをかけてあげれば……」
スクラウドと呼ばれた騎士の青年から竹で作られた筒のようなものを受け取りながら口を開く。ふれた感触は冷たく、中に入っている水もきっと飲み心地が良いのだろう。
人に害を成すのなら、討伐することは……悲しくはあるが、受け入れなければならないのだろう。自然というのは時に厳しいものだと頭では理解している。それでも真奈美としては、必要がない血を流してほしくなかった。
幾人かの騎士が怪訝な顔をした──その中でもガウスさんが眉をひそめたのを見て、真奈美の心臓は小さく縮こまった。自分がとてつもなく甘いことを言っているのかもしれないと頭で言葉がグルグルする。
「あー、確かに嬢ちゃんからしたらそういう気持ちにもなるんだろうが……」
「……黎属の術式は、魔獣側が警戒しているときに掛けても作用しない」
静かな、とても静かな声で割りいった声の主はヒースさんだった。
静かだけれどもこちらを責める響きはなく、むしろ先ほどまでの張りつめた感覚がほんの僅か緩んでいるのに顔をあげる。出発以来初めて見つめた彼の顔は、変わらず唇は引き締められていたけれどもまなじりがほんの僅か緩んでいた。
ヒースさんの言葉を受けて、先ほど魔力の系統について教えてくれた丸眼鏡の騎士が頷く。
「ただでさえ人間に敵対意識を持ってる魔獣の警戒を解くって大分無茶だもんな」
「ええ。条件が条件なのでここ数十年野生の魔獣を黎属させたという記録は残っていませんが、術式は残っています」
「つーか、前にリュミエル中隊長が改良したとか何とか言って共有してきてませんでした? 最新版の呪文とやら」
「あったあった。中隊長がいざ実践しようとしたら魔獣が中隊長にビビりまくって逃げられて終わったやつ!」
……謎のエピソードが挟まった気がするけれど、不可能ではないようだ。それならばと真奈美は勇気を出して喉を震わせた。少しでも、彼らが生きられる可能性があるのなら。
「……あの、これはもし出来そうなら、でいいんですけれども……」
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