ふたりとひとり
「
落ち着いて話ができそうな喫茶店を探したがなかなか見付からず、結局、駅前のファミレスに落ち着いた。
テーブルを挟んで向かい合い、はじめうつむき加減だったふたりも、話しているうちにだんだんとお互いの顔を見ることができるようになってきた。
店内はざわついていたが、これくらい騒がしいほうが話もしやすかった。
「高校卒業してからずっと会わんかったし、ぜんぜん知らんかったんよ。実家も引っ越しちゃったんじゃね」
俺はアイスコーヒー、よしのはメロンソーダをおいしそうに飲んでいた。
俺は緑色の液体が白いストローをすうっと駆け上がり、彼女の口に吸い込まれていく様子を、見るともなしに見ていた。
「なに?」
彼女は俺の視線に気付くと、少し恥ずかしそうに言った。
「あ、いや…」
久しぶりに言葉を交わした時、きれいに化粧をした顔は、俺の記憶にある彼女とはまるで見違えるようだったが、話をしているうちに、そのはにかむような表情は
けれど少し切った髪は、けいを思わせた。
「髪切ったんだなと思って」
「髪? ああこれ? もうずっと前からよ。昔はもうちょっと長かったよね」
しゃべり方もけいに似ているような気がして、俺はふたりとしゃべっているような錯覚を覚えた。
けいがいなくなったことはまだ信じられない。今にでも、『遅れてごめん!』とでも言いながら、店に入ってくるんじゃないかと思う。
「皆実くん、今までずっと連絡もなかったのに、急にこっちに来るっていうからびっくりしたんよ」
「わるい。連絡しなくてごめん…」
彼女が氷をかき混ぜると、グラスがカランと小さな音を鳴らした。
「もう…何年経ったと思ってるんよ…。ずっと待っとったのに…」
「わるい…。何も知らなかったから」
「知ってたとか、知らなかったとか、そういうことじゃないのに…」
「………」
「別に責めてるわけじゃないんよ。ただ、けいちゃんとふたりで楽しみに待っとったけん、残念だったなって…。うちらのこと嫌われちゃったんかな、忘れられちゃったんかなって…」
「そんなことない。忘れるわけなんてないし、嫌うわけないじゃないか」
俺は思わず少し大きな声を出してしまった。
「あ、ごめん…」
「そんなのわからんよ。だって連絡もないし、好きとか、嫌いとか、1回も言ってくれたことなかったじゃない…」
「………」
「でも、そうよね。遠くに行っちゃったし、いろいろあったんよね…ずっと同じにはできんよね…」
「いや、俺がわるいんだ。連絡しようと思えばできたんだし…それに…」
「………」
「俺がはっきりしなかったからわるかったんだ…」
俺はずっと心にしまい込んで言えなかったことを、正直に話してしまおうと思った。
「え?」
「俺が選べなかったから…それに覚悟もなかったから…」
「何よ、急に…。選ぶって、何?」
「ふたりのうちどちらかを…」
「なんでいまさらそんなこと言うの…。なんで今なの? 今そんなこと言ったら、あのこがかわいそうじゃない」
よしのは語気を強めて言った。
「結局わたしたちのどっちも、皆実くんには必要とされてないんだと、そう思ってたのに…。ふたりとも嫌われちゃったんだと思ってたのに…。なんでいまさら…。ねえ、どうして…? 選ぶってなによ…わたしたちどうすればよかったんよ…」
「………」
「選ぶって、なによ…」
よしのはつぶやくように言った。
「俺はどっちかじゃなくて、どっちも選びたかったんだと思う。お前たちふたりを、どちらとも。けど、そんなことできるはずがないだろ。だから、ふたりのうちどちらかを選ぶことなんてできなかった」
「選べなかったって…」
「だってそうだろ。選んだ先に何がある? けいを選べば、お前はどうする? お前を選べば、けいはどうなる? 片方を選んだあとで俺は普通に接することなんてできないし、絶対後悔する。だからどちらも選べなかった。それに俺は高校を卒業したらこの街を出るって決めていたから、どちらかを選んだとしても結局離れ離れになって…そんな無責任なこともできなかったし…」
「じゃあ、わたしたちがわるかったわけ?」
「違う、わるいのは俺だ…」
「選ぶとか覚悟とか、わたしたちはそんなのを求めてたんじゃない。ただ……………。ごめん…変な話になっちゃったわね。なんでこんな話になったんだっけ。こんなことを話すためにここにいるわけじゃなかったわよね。もうやめましょ」
「うん…俺こそわるかった…」
「ひとつだけ聞くけど、わたしたちは嫌われたわけじゃなかったのね?」
「ああ。嫌われるとしたら俺の方だ…」
「わかった。ありがとう。あの頃、ちゃんとこんな話ができてれば、わたしか、けいちゃんか、皆実くんか、それとも他の人か、誰かが傷ついたかもしれんけど、もっと違う今があったかもしれんね…」
「そうだな…」
「でも、もうずいぶん昔の話よね…」
「ああ。どうやっても手の届かない昔の話だな…」
「そんなこと言って、なんだかお年寄りみたいね」
「もうじゅうぶんお年寄りだよ」
「はいはい。好きに言うとりんさい。わたしはまだまだお年寄りじゃないけんね」
「何だかそのしゃべり方、けいみたいだな」
俺がそう言うと、よしのは急に黙り込んで寂しそうな表情をした。
「あ、わるい…」
「ううん、いいの。そう言ってもらえるとうれしいわ。けいちゃんと一緒にいるみたいで…」
「ならよかったけど…」
「…ねえ、混んできたし、もう出ない?」
「そうだな」
俺とよしのは駅へ向かって並んで歩いていた。
「でも、来てくれてうれしかった。けいちゃんもきっとよろこんでるよ」
「そう言ってもらえて、来てよかったよ。それによしのも元気そうでよかった。安心したよ」
「もっと落ち込んでると思ってた? ずっとそんなだとけいちゃんに怒られるけんね」
「そうだな…」
こんな話をしているとけいの存在を強く感じ、やはりもういないということが信じられない。
「よしの、ずいぶん強くなったな…」
「そう?」
「ああ、昔とはずいぶん変わったと思ってな…。悪い意味じゃなくて」
「ま、わたしもいろいろあったけんね。そういうことにしときましょ。で、これからどうするん? 今日は泊まりでしょ?」
「ああ、ホテルに行ってゆっくりするよ」
「明日帰るん?」
「いいや。休みが取れたから、どれだけ街が変わったか見てみたいし、もう一泊くらいしようと思ってる」
「そう…」
そのあと会話は続かず、ふたりは黙って歩いた。
日はすっかり傾き道路を赤く染め、その上を路面電車が影を作りながら通り過ぎた。
俺は彼女といる時間が名残惜しく、歩みをわざとゆっくりにしていたが、すぐに駅前の交差点に差し掛かってしまった。
俺はこれでよしのに会うのも最後になるものだとばかり思っていたが、彼女の方からこう切り出してきた。
「ねえ、明日時間があったら行ってみない?」
「どこへ?」
「けいちゃんのお墓参り」
突然、現実を突き付けられた気がした。
けいがいないということは、どこか夢の話のようだったので昔のように軽口を叩くこともできたが、よしのの口からあらためてその現実を知らされると、頭が熱を持ったようにぼうっとしてきた。
「どう? それにあのこのこともぜんぜん話せんかったし」
「ああ、行きたい」
「じゃあ、明日また駅前で…」
俺たちは明日の約束をして別れたはずだったが、心はずっとうわの空で、何を話したのかよく覚えていなかった。
時間がまだわからないからと、よしのから連絡をもらうことにしておいてよかった。
駅前にあるビジネスホテルの狭い部屋は薄暗く、空調の低い音がずっと響いている。
ひとりになると悲しみが押し寄せてきた。
インスタントコーヒーを手に、今日のことを思い起こしてみる。
カーテンを開け窓の隙間から外を見ると、ビルとビルの間に小高い山が見えた。
ベッドに寝転び天井を見る。
そして、ふたりの顔を思い出してみた。
けいがいなくなった現実。
だが、実感はわかない。
成長した彼女も、やはりさっき会ったよしのと同じ顔をしていたのだろうか。
目をつぶって想像してみた。
だが、
ふたりとも真夏の太陽の下で屈託なく笑っていた。
彼女たちの温かな声に包まれて眠りにつけたら、どんなに幸せだろうと思った。
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