そして海を見ていた
それからの俺たちは、お互い学校で会うことはなくなった。
よしのは塾でたまに姿を見かけるが、ほとんど言葉を交わすことはなく、けいはちゃんと学校に来ているのかどうかすらわからなかった。
心の片隅にはいつもふたりのことがあり、ちょっとした拍子に思い出すことはあったが、今は受験の大事な時だと彼女らのことを思う心に蓋をした。それにいまさらお互いの関係をどうしようということを思う余裕もなかった。
そのときは、そうすることが正しい選択だと思っていた。
そして、俺たちの関係はそのままに迎えた卒業式。
まだまだ弱い春の日差しが、つぼみのまじる桜の花に優しく降り注いだ。
最近は卒業式の季節に桜が咲くようになっていた。
思えばあっという間だったこの3年間。
がらんとした教室で、ふと思う。
ふたりはどんな3年間を過ごしたのだろうか。
もっと彼女たちと関わるべきだったのではないかと、いまさらながらに思う。
高校は単なる通過点だと考えていたが、本当は俺には覚悟が足りなかったのだろう。
人の想い、それはふたりにもらった想い、それに対する覚悟。
その想いを受け入れる覚悟。
自分の人生と向き合う覚悟。
彼女たちとの未来を考える覚悟。
得るものもあれば、失うものも多いだろう。
そうして選択することができなかった。
あるはずだった人生を。
そして選択されることもなかった。
ないはずの人生を。
それが幸せだったのか、それとも不幸だったのか、それはわかりようがない。
わかったところで仕方がない。
ただ、そういう人生があったかもしれない。
それだけだ。
そして、その人生があれば、今の人生はない。
ふたつの人生はあり得ない。
あるとすれば、それは夢物語の中でだけだろう。
何かを選んだ人生。
何かを選ばなかった人生。
何かに選ばれた人生。
何かに選ばれなかった人生。
何にも選ばれなかった人生。
選択肢のない人生。
選択肢を見失った人生。
そして、それらから得るものと失うもの。
そういうことを知ってなお、今その選択ができるのか。
何も選ばなくても、季節は巡り人生は移り変わっていく。
新しい生が生まれ、同時に生が朽ちていく。
そして選ばざるを得ないときが来る。
「
突然、後ろから声がした。
「え?」
振り向くと、そこには懐かしい顔が並んでいた。一瞬、夢かと思った。
「なんで、ここに…?」
「教室の扉、開いとったけん」
けいが笑いながらそう言い、隣のよしのもやさしく
「けいちゃん卒業式に出られなくて、さっき来たばっかりなんだけど、最後に校舎を見ておこうと思ってふたりであちこち行ってたら、ここの教室の扉が開いてて、ひょっとしているかなと思って…」
よしのが話している間、けいはずっと笑っていた。
俺はふたりと初めて会ったときのことを思い出していた。同じ顔をしたふたり。けれど今なら顔を見ただけでもふたりを見分けられる。同じところもあるけれど、ぜんぜん違うふたり。
「まだ何か用事があるん?」
「いや、もうそろそろ帰ろうと思ってたとこ」
「じゃあ、下まで一緒に帰らない?」
「うん、ちょっと待ってて」
「違うクラスだと、ぜんぜん雰囲気が違うんじゃね。皆実くんはこの机で勉強しとったんじゃね」
けいにそう言われて周りを見渡すと、なんだかこの教室が特別なもののような気がした。
そして俺たちは教室を後に、靴音の響く静かな廊下を歩いていく。
「ねえ、あれ海だよね?」
よしのが指差す方に、きらきらと光る
「あ、ほんまじゃね。海が見えるなんてこと忘れとったよ」
「上に行ったらもっと見えるはずだよ。行ってみようか?」
「いいね!」
「うん!」
俺たちは階段を上がり、隣の校舎との渡り廊下に出た。ここが一番よく海の見える場所だった。
瀬戸内海はどこまでも穏やかで、たおやかな水面と浮かぶ島々は春の霞に消えていく。
「そういえば、高台の公園から海がよく見えたよね」
「そうじゃったね」
「あの公園はよく行ったな」
「皆実くん、好きじゃったもんね」
「最近行った?」
「いいや。今言われるまで存在も忘れてた」
「家遠くなっとったし、忙しそうじゃって、よっちゃんから聞いとったよ」
「まあね…」
そう答えながらも、俺は水面のきらめきをひとつずつ数えるように、ずっと海を眺めていた。ふたりに声を掛けられるまで、ずっと…。
「じゃあね。皆実くん、元気でね」
「うん」
「こっち帰ってきたら連絡ちょうだいね。電話知っとるよね」
「うん。ふたりも元気でな」
俺たちは坂の上で別れた。
ふたりは最後までやさしく微笑んでいた。
一方の俺はどんな顔をしていただろう。彼女たちの瞳にはどう映っていただろう。
これで終わったんだ。
本当にこれでよかったのか。
ふたりと別れひとりになると、やはり虚しさだけが残った。
そして俺はこの街を出た。
彼女たちの笑顔を胸に、新しい生活に向けて。
しかしあとで思えば、それはまるでふたりの思い出から逃げるようなものだったのかもしれない。
けれどこれでよかったんだ。
なんにしても、それから3人はそれぞれの人生を歩んで行く。
そのはずだった。
人並みの人生があるはずだった。人並みとは何か、そんなことはわからないが、そうあればいいと思い込んでいた。
*
引っ越しの準備で
俺は大きなカバンを肩にし、電車を待っていた。
ふたりと一緒に海へ行ったことを思い出す。
そういえば彼女らの誕生日すら聞いていなかった。
夏だろうか。
きっと夏に違いない。
なぜだか、そんな気がした。
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