第7話 ぼくは甘党だけど『あんこ』の方が好みなんだよ
融資交渉を行っていた経営幹部からサツキの元に連絡が入った。
「銀行団がオルカショーを視察するそうだ」
「いつですか?」
「いま、移動しているのだが、道路が空いてて、午後一のショーに間に合うそうだ」
「は?それっていまから30分後じゃないですか?トレーナーが発熱していて・・・オルカは一頭しか出せませんよ」
「銀行団の視察なんだ。何とかしてくれ。そもそも、新人が3人いるじゃないか・・・。トレーナーが新人でもオルカはベテランだろ。新人を使えばオルカを4頭だせるよね」
「技の完成度がまだショーのレベルではありません。そもそも、いったい、誰が責任をとるんですか???」
「もう、ランドのゲートが見えてきたから切るよ。すまない」
「お、おとうさん」
そういって携帯の通話は途切れた。直後、事務所で水原とサツキの口論が始まっていた。
「このショーで事故があった場合、私が責任を取って、辞職します」
「んー。退職願?うちは、早期退職制度はやってなかったと思うけど。んー。きみは辞めてどうするわけ?」
サツキは何も考えていなかった。
「入口の移動店舗のスペースが空いているので、そこでクレープ屋をやろうかと」
即座に破り捨てられる退職願。水原は珍しく鼻息を荒くしながら身を乗り出してきた。
「いままで1年間、一緒に仕事をしてきたのに、こんなこともわからないのかね。だから、いつまでたってもオルカが言うことを聞かないんだよ。ぼくはね、ぼくはね、甘党だけど、『あんこ』の方が好みなんだよ。ちゃんと覚えておいてくれたまえ」
このタイミングで『クレープ』とか『あんこ』とかどうでもいいのに。ああ、もう、オルカショーが始まる。
サツキが事務所の外に出ると、オルカの着水音と観客の歓声が遠くから響いていた。
市原オーシャンランドのオルカショーの会場近くには、巨大な松の木が植えられている。これは、オーシャンランドの開園前から存在した松である。
「いまからちょうど千年前、菅原孝標一家がこの上総国から出発しました・・・」
その日、午後の市原オーシャンランドでオルカショー終了の際に流れるアナウンスをサツキは松の木の脇で聞き入っていた。
もうじきオルカショーが終わる。そして、銀行の融資が決まる。水原も本店に戻される。ランドは新しい資金で生まれ変わるだろう。でも、自分は戻れない。もう、あの頃、あの場所には戻れない。
サツキは、オルカと過ごしたころの思いを胸の奥にしまい込むことにした。
◇作者からのお知らせ◇
「上総介菅原孝標は源氏物語推しの娘に日記でも書かせることにした」
第8章 孝標一行とオルカショー
に関連する描写があります。読み比べてみましょう。
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