第3話 鬼のような妹
視点・兄。
「マジでかわいいね、妹ちゃん! 読モとかでスカウトされたことない?」
「ねーねー、コテ貸してあげるからさあ、ちょっと髪巻いてみようよ」
「ステージ映えしそうな顔してるよね。音楽に興味はない?」
次の週の土曜日、ライブハウスの控室に妹を連れて行ったところ、案の定、女性陣にもみくちゃ&質問責めにされていた。
スプレーで軽く艶を出したロングの黒髪をツインテールで括り、前髪はゆるいアーチ形のパッツン。
服はいろいろ考えたけど、肩にリボンをあしらったボーダーニットにレース付きのデニムキュロットを合わせてみた。
無理に大人びて見せるんじゃなくて、持ち前のかわいらしさを押し出す感じのコーディネート。
メイクもアイラインと口元を少し強調してあるくらいだったけど、思っていた通り、これくらいの改造で、鬼のようにかわいくなった。
あか抜けた身体をされるままにしている妹は、困ったみたいに顔を真っ赤っかにして、時々恨みがましそうな目で僕を見ていたけど、僕は微苦笑してそれを受け止めるだけで、特にフォローなんかは入れなかった。
可愛いんだから、可愛がって貰えばいいじゃない。
男子にそうされているのなら、愛用のストラトキャスターで軒並み殴り殺す所存だけどさ。
最後の最後まで来ることを渋っていた妹だったけど、今度のデートで『トラノアナ』というところに連れて行く条件で承諾を得た。メンバーやほかの皆の期待に応えられて重畳だ。
妹にとっても、社交的な場所に来ることは決して悪いことではない。
確かに引きこもりがちな彼女からしたらキツいこともあるだろうけど、タイプの違う人と話さなければいけない場面っていうのは、この先絶対にどこかである。
中学生になればなおさらだ。こういう所で免疫をつけておいたほうがいい。
それに、苦手だからってその人をシャットアウトするのは良くない。
たくさんの人と触れ合うってことは、たくさんの価値観を自分の中に入れられるってことだからね。
最初は面倒臭いしウザいだろうけど、後々になって役に立つことが必ずあると思うんだ。
っていうのは半分くらい建前。
本当は単純に、いつかかわいい妹をみんなに自慢したかったんだよね。
……あれ? もしかして僕って、結構シスコンなのかな?
なんて思いをお腹に感じながら、僕は持参したトマトジュースのペットボトルを手に取った。
妹も同じやつを持って来ていたから、どっちのか分からないけど、まあいいや。違ったら僕のをあげよう。
「お、お兄ちゃん! それ飲んじゃダメ!!」
五分の一くらい口腔に流し込んだ所で、妹が血相を変えてそんなことをいってきた。
それと一緒に、
「……ゲェガッ!」
僕は、勢いよくトマトジュースを口から吐きだした。
視点・妹。
「マジでかわいいね、妹ちゃん! 読モとかでスカウトされたことない?」
ライブハウス。
それはやりらふぃーたちが夜な夜な乱痴気騒ぎを催す伏魔殿。
その深淵を覗いた者は、例外なくコカ〇ン中毒になって帰ってくるという、現代のアヘン窟だ。
「ねーねー、コテ貸してあげるからさあ、ちょっと髪巻いてみようよ」
ザッカーバ〇グと虎の穴の策略にはまったわたしは、兄に連れられてその魔窟へと足を踏み入れることになってしまい、
「ステージ映えしそうな顔してるよね。音楽に興味はない?」
お家帰りたい。
あの、斧とかそういうやつの、サビをひたすら落とす系のTikTokとか延々と見て、現実逃避したい。
そう思っていた。
……ああ、わたしのバカ野郎。やっぱり来るんじゃなかったよ。こうなることは分かってたじゃん。そうなったらコミュ障がどうなるかなんて分かるじゃん。
っていうかお姉さんたち超いい匂いするじゃん。
どんなパンツ履いてるか見せて欲しいじゃん。
……まあとにかく、この苦行に耐えれば虎の穴に連れて行って貰えるのだ。
あとはケータリングのお菓子をモチベーションにして、なんとか残り二時間耐えて見せよう。
ライブハウスは思ったよりクリーンな場所だった。
服装はチャラい人たちばっかりだけど、みんな愛想よく受け答えしてくれるし、極端にガラの悪い人たちが出入りしている様子もない。
薬漬けにされて中南米辺りに売り飛ばされる未来はなんとか回避できそうだった。
この調子だったら、わたしの用意したブツも使わなくて済みそうだ。
この日のために用意したブツ。それはたぶんわたしの黒歴史帳に追加されるものだろう。
さすがにわたしの想像は冗談だけど、それでもやっぱりライブハウスっていうのは、遊び慣れていない女子中学生には怖い所だった。
お兄ちゃんが一緒とはいえ、ライブ中は離れ離れになってしまう。そんなときに怖い人に声を掛けられたら、昨今になって話題に上ったライブ痴漢なるものの被害にあったら、なんて、怖い想像をしてしまう。
そんなわけで、初めてタバスコ入りトマトジュースを作ってみた。
作り方は簡単。ペットボトルのトマトジュースをちょっと飲んで、開いたスペースに家にあったタバスコ一瓶分を丸々入れるだけ。目や口にかければ悶絶必定の即席防犯グッズだ。
はい、バカなことしてます。黒歴史確定です。
絶対使わないだろうなあ、っていうかそういう場面になったとしても役に立たないだろうなあ、なんて思いながら夜中にコポコポ作ったのだけど、まあこれで少しでも心の安寧が得られるのなら、お守り代わりにでも持っておこう。そんなふうに思って持ってきた。
そういえばあれ、どこ置いたんだっけ? お兄ちゃんのバックパックに入れて貰ったのだけど、変な所にいっちゃってないよね?
一応、お兄ちゃんのジュースと入れ替わるっていう昭和のコントみたいなことになるのを避けるために、タバスコジュースのほうには蓋にバッテンで印をつけてある。
だから一目でそうと分かるんだけど……。
「…………ッ!!」
そのペットボトルはお兄ちゃんの目の前にあって、いままさに、お兄ちゃんが飲もうとしているところだった。
「お、お兄ちゃん、それ飲んじゃダメ!」
わたしが叫んだ直後──。
「……ゲェガッ!!」
お兄ちゃんは、昭和のコントみたいにタバスコジュースを吐きだした。
視点・兄。
「あーあ。ダメだコレ。真っ赤っかに腫れてんよ、喉。今日は歌うのやめたほうがいいな」
僕のバンドのベーシスト・大塚くんは、大きく開けた僕の口を見ながら、諦観気味に自分の顎ヒゲをさすった。
僕が絶叫を上げながら謎の赤い液体を吐きだしたものだから、控室は一時阿鼻叫喚の様相を呈したけど、さっきくらいからやっと落ち着いて、なんとか後片付けも済んだ。
幸いなことに、吐いたトマト(?)ジュースは機材にぶちまけられなかったものの、ギターボーカルである僕の喉という、メインの楽器をぶっ壊してしまったようだった。
ちなみに、このジュースは僕が悪戯のために用意して、間違って自分で飲んじゃったということにしてある。
たぶん、頭一個分くらい変なことをする誰かさんがなにかの目的で持ってきたのだろうけど、そんなことをこの場で言ったら、本当に卒倒しかねないからね。
この時点で既に顔を真っ青にして、可哀想なくらいあうあういっているんだから。
「……ゲホっ。大丈夫だよ。BA○DIESのR○yみたいでかっこいいじゃん。しゃがれ声」
「アホか。喉が傷つくわ。いいよ、今日は俺が歌うよ」
「サビとかどーすんの? 転調のとことか歌いながら弾くとモタるでしょ」
「そこはお前がなんとかしろよ、俺はルート弾いてっからさ」
「そうするつもりだけど、スラップのパートとかは?」
「それは……うーん」
セットリストを囲みながらみんなで呻る。
最悪の雰囲気、ってわけでもなかったけれど、リハが次に迫っているだけあって、ピリッとした空気が流れていた。
「それ……」
そんな微妙な空気の中に、テンパった様相の妹が割って入って来て、セットリストを見た。
「今日、歌う歌のリスト?」
「うん。そうだけど……」
「この五曲だけ?」
「うん」
少し間をあけた後、妹は一世一代の何かをいうみたいにして、
「なら、たぶん、わたし歌える」
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